病人の寝所の脇に屏風で囲いを作る
寛弘五年の九月、藤原道長の土御門殿で中宮彰子のお産が迫ったとき、屋敷の中は物の怪を移す祈りの陣地になった。紫式部の日記が、その部屋割りを書き留めている。南に僧正や僧都が並び、東には内裏から来た女房が集まった。物の怪を移された人たちは西側にいた。
囲いの作り方はこうだ。屏風を立てて一人ずつの局を仕切り、局の口に几帳を立てる。その局ごとに験者が一人ずつ付いて、声を張り上げて祈った。日記の原文では、験者あづかりあづかりののしりゐたり。受け持ちごとに大声で祈り立てていた、という騒ぎぶりだ。
よりまし一人に験者一人。これが憑祈祷の座のいちばん小さな単位になる。局の数だけ験者を呼ぶ勘定になるから、大きな祈りほど人手も部屋もかかった。
病人とよりましは、同じ屋根の下の別の囲いに置いた。移した物の怪が病人のほうへ戻らないよう、几帳一枚ぶんの隔てを作るわけだ。験者は囲いの口か脇に陣取り、よりましと向き合って祈る。病人の枕元には、別の僧が護摩や読経で付いた。枕元と囲い、二か所で同時に祈る組み方。
手が足りない局には、験者を足した。日記では、宮の内侍の局を受け持った千算阿闍梨が物の怪に引き倒され、念覚阿闍梨を呼び加えて二人で祈らせている。宰相の君の局の叡効は、一晩中叫び通して声を涸らした。夜通しになる前提で、交代できる人数をそろえておく。長丁場になる。
よりましを選び、独鈷か数珠を握らせる
平安の記録でよりましに立ったのは、子どもか若い女房だった。『枕草子』の松の木立の高い屋敷の段では、大柄な女の子が移す人として連れてこられた。着ているのは生絹の単衣で、鮮やかな袴を長めにはいている。改まった身なり。
座らせる場所は几帳の前。験者はその子に独鈷を握らせ、向き合って陀羅尼を読んだ。独鈷は両端のとがった金剛杵で、験者の持ち物をそのまま貸す。験者の力をよりましの体へ通す取っ手、くらいに受け取っておけばいい。貸し借りの道具。
同じ枕草子の「すさまじきもの」の段では、験者がよりましに独鈷や数珠を持たせていた。どちらを持たせるかは験者しだいだったらしい。のちに山伏が里で憑祈祷をするようになると、手に持たせる物は白い御幣に替わっていった。
中山太郎の『日本巫女史』は、よりましの別名を御幣持、仲座、乗童、護法実、護法付などと並べた。御幣持という名は、まさに手に持たせる物から来た呼び方だ。仲座はのちに御嶽の行者が中座と書く役目で、護法実という名は美作の護法祭でいまも使われている。
験者は護身法で身を固め、不動の真言を繰る
密教の修法は、祈る側が自分の身を固める護身法から入る。浄三業、仏部三昧耶、蓮華部三昧耶、金剛部三昧耶、被甲護身の五つを、印と真言で順に重ねていく。物の怪を呼び寄せる前に、まず自分が取り込まれない支度をするわけだ。印と真言は師から授かって使うもので、在家が本を見て組むものではない。
調伏の中心にいるのは不動明王だった。『源氏物語』の若菜下では、紫の上が息絶えたかに見えたとき、験者たちが不動尊の本誓を頼みに黒煙を立てて祈った。護摩を焚き、不動の真言を繰り返して物の怪を追う。平安の調伏の芯はそこにあった。
不動明王の慈救呪の原文は、ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン。読みは、のうまく・さんまんだ・ばざらだん・せんだ・まかろしゃだ・そわたや・うん・たらた・かん・まん。あまねく金剛の尊に帰依し、大いなる忿怒の尊よ障りを打ち砕きたまえ、と願って種子の音で締める。何遍唱えるかは流派や寺でばらばらなので、数は書かない。
修験の加持では、場を固めるのに九字も切る。原文は臨兵闘者皆陣列在前、読みは、りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん。人差し指と中指をそろえた刀印で、横、縦と交互に空を切っていく。横五本、縦四本の格子になる。
よりましが震え出したら護法が付いた合図
平安の憑祈祷では、物の怪より先によりましに乗るものがいた。護法だ。験者が使う童子の姿の守り神で、まず護法がよりましに付き、その力で物の怪を病人から追い立てて移す。護法を呼べるかどうかが、験者の腕のすべてだった。呼べなければ何も始まらない。
合図は体の震え。枕草子の女の子は、独鈷を握って陀羅尼を聞くうち、いくらもたたないうちに震え出して正気を失った。そこから物の怪が病人を離れ、几帳の前のよりましへ乗り移っていく。移った物の怪は、よりましの声で泣いたりわめいたりした。
若菜下では、移られた女の子が髪を振りかけて泣いている。物の怪が来た姿の定番。験者の祈りの声が、ここからいっそう強まっていく。騒がしい場面だ。
まわりの女房たちは、本人が苦しいわけではないと知りながら、泣き出す姿を気の毒がって見ていた。よりましの体は大きく動き、几帳の内から大勢の前へ転がり出ることもあった。験者は祈りを止めずに続ける。付いてからが本番。
名乗らせて、恨みと望みを聞き出す
物の怪が移ったら、正体を問いただす。どこの誰の霊か、何の恨みで取り憑いたのか、何を望むのか。名乗った名が故人のものなら、家の者にも見当がつく。問いかけは験者がし、病人の家の者はそれを聞いて手当ての道筋を決めた。問うのは験者の役。
若菜下では、何か月も姿を見せなかった物の怪が小さな女の子に移って叫び出した。源氏は、本当にその人なら確かな証を見せよと迫る。霊は女の子の口で歌を詠み、亡くなった六条御息所だと分かった。名乗らせたうえで、証を立てさせたのだ。名だけでは信じない。
その歌の原文は、わが身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君は君なり。読みは、わがみこそ、あらぬさまなれ、それながら、そらおぼれする、きみはきみなり。わたしの身は変わり果てたのに、とぼけてみせるあなたは昔のまま、というほどの意味になる。霊はそのあと、調じられる苦しさを訴え、自分のために功徳を積んでほしいと頼んだ。
聞き出した望みは、書き留めて家の者へ渡す。読経を頼むのか、法会を営むのか、供養の形はそこで決まった。追い払う前に言い分を聞き、望みがあれば供養でこたえる。平安の憑祈祷は、この順番を崩さなかった。
物の怪が一つとは限らない。葵の巻では、身重の葵の上にいくつもの物の怪が出て、思い思いに名乗った。験者たちは一つずつ移して名を聞き、残ったものをまた祈る。一体ずつ片づけていく根気の仕事だ。
付かない夜と移らない物の怪の手当て
護法が付かない夜もあった。すさまじきものの段の験者は、得意顔でよりましに独鈷や数珠を持たせ、蝉のような絞り声で読み続けた。時刻が変わるまで読んでも何も付かない。験者は、さらにつかず、立ちね、と言ってよりましを立たせ、数珠を取り返した。
笑い話だけど、打ち切り方の記録として読める。付かなければ、よりましから法具を返してもらい、座を解く。無理に続けて座を荒らさない。引き際も腕のうち。紫式部日記にも、移れと呼び出した人たちに物の怪がちっとも移らず騒ぎになった一幕が出てくる。
手に負えない局には験者を足す。千算に念覚を加えた二人がかりの祈りがそれで、声が涸れるまで祈る験者の交代要員もこのためにいた。験者が倒れたら次が入る。祈りの声を途切れさせないのが、夜通しの憑祈祷の段取りだった。
いちばん厄介なのは、どう祈っても移らない物の怪だ。葵の巻の原文に、人にさらに移らず、ただみづからの御身につと添ひたるさまにて、とある。よりましには少しも移らず、葵の上の体にぴたりと寄り添ったまま、という意味だ。こうなると名乗らせることも話を聞くこともできず、病人の枕元での修法を重ねるほかなかった。
許して送り、よりましを呼び止めて休ませる
物の怪を退かせることを、当時は許すと言った。責めを解いて、立ち去らせる。枕草子の段では、物の怪が許されたところで女の子が我に返っていた。よりましから霊が抜ければ、祈祷はひと区切りだ。
我に返ったよりましは、何をしていたか覚えていない。女の子は几帳の内にいたつもりが大勢の前に転がり出ていたと気づき、髪で顔を隠して奥へすべり込もうとした。験者はその子を呼び止め、しばらく待たせてから、病人のほうへ向き直って具合を尋ねた。帰すのは、両方が落ち着いてからだ。見届けて終わり。
離す所作は、いまの民間の祈祷にも見られる。岩手県で平成二十四年の夏に実見された例では、拝み屋の男性が大声で祝詞を唱え、エイッと気合をかけて組の巫女に宇迦御魂を憑けた。終わると巫女の体から神を除く儀礼をして、背中をぽんと叩いて離したという。駒澤大学の佐藤憲昭の論考が伝えた一例だ。
同じ組は、死者を呼ぶホトケオロシも二人がかりでする。宇迦御魂が死者を探して連れてきて、終わればまた送っていく、という段取りだ。死者があの世へ行く道のりのうち、八割は宇迦御魂が運び、残りの二割は死者が自分の足で行く、と説明されていた。送る先まで決めてから離す。平安の供養の約束と、考え方は同じところにある。
阿尾奢法から山伏の御幣持ちへ、明治の禁令まで
童子に尊格を降ろして物事を問う法は、密教で阿尾奢法と呼ばれた。比叡山無動寺を開いた相応が内裏でこれを修したと、伝記の『天台南山無動寺建立和尚伝』に見える。もとは吉凶を聞く占いに近い法だった。説話研究の小田悦代は、鎌倉の初めには病気治療の加持として働いていたと論じている。
貴族の屋敷の外へ憑祈祷を持ち出したのは山伏たちだ。独鈷の代わりに御幣を持たせ、村で病や憑き物の相談を受けて祈った。明治五年に修験道が廃され、翌明治六年の正月には教部省が梓巫女や市子、憑祈祷、狐下げなどを禁じる達を出した。そのあと二人組の祈りは、寺の年中行事や御嶽の講のように、守られた器の中でだけ続いていく。
護法実は一週間籠もり、夕方五時の神勧請を待つ
平安の護法付けをいまに伝えるのが、岡山県久米郡の護法祭だ。美咲町の二上山両山寺や久米南町の清水寺などに伝わり、国の記録作成の対象にも選ばれている。両山寺は高野山真言宗の寺で、祭りは毎年八月十四日の夜から翌未明にかけて。清水寺は八月十五日の深夜に行う。
祈るのは五穀豊穣と天下泰平、万民快楽だと岡山県の資料は書く。村の祭りとしての願い。病人一人のために物の怪を移した平安の調伏とは、祈る相手の幅がまるで違う。形だけが同じ道をたどってきた。
憑けられる役が護法実で、地元ではゴーサマとも呼ぶ。選ばれるのは地元の男性で、日頃まじめに暮らしている者でなければならない、と寺の側は伝えてきた。温厚で誠実な人を、というのが地区の言い方だ。
選ばれた人は、祭りの一週間前から本坊書院内の護法殿に入り、精進潔斎で身を清める。平成二十四年の取材記事では、十一日から寺に籠もり、二時間おきに水をかぶっていた。肉や魚を断ち、会話も控える、とする紹介もある。修行の足りない者は顔が赤く見える、という言い伝えもあるらしい。
当日の次第は、寺の案内にくわしい。夕方五時に神勧請があり、夜八時に開会、九時に壱番貝、十時に弐番貝が鳴る。十一時の参番貝で、僧たちが護法善神社へ神を迎えに向かう。これが御迎神で、ここから夜が本番に入る。三度の貝が区切り。
本堂で祈りつけ、零時のお遊びへ
祈りつけの場は本堂。護法実は白装束で座り、修験者の祈りつけを受ける。錫杖や太鼓、法螺貝の音が激しくなり、取材記事では本堂内の祈りがおよそ二十分続いた。付き添いの子どもたちは経の句を唱えながら護法実のまわりを回った。
唱えられるのは般若心経で、付き添いが繰り返すのは結びの句だ。原文は羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。読みは、ぎゃてい・ぎゃてい・はらぎゃてい・はらそうぎゃてい・ぼじそわか。往ける者よ、彼岸へ往ける者よ、悟りよ幸いあれ、というあたりの意味になる。
音がいっそう激しくなって急に拍手に変わると、神が憑いた合図だ。零時ごろ、護法実が堂から境内へ飛び出す。寺の次第ではここを御法楽と呼び、地元ではお遊びと言う。松明の火の中を、鳥のように手をはばたかせて駆け回った。
お遊びの装いは、黒っぽい衣に紙の帽子だったと見物記は書く。両山寺の護法は鳥護法で、高い所まで追いかけてくる。清水寺の護法は犬護法で、堂の床下まで追ってくるという。同じ護法付けでも、降りた神の癖が寺ごとに違う。
心経が止んだら御送神、垢離場の水で戻す
修験者の般若心経が途切れたところで拍手がわき、護法様は帰っていく。取材記事では、お遊びは四十分ほどで終わった。寺の次第では午前二時に御送神があり、これで神を送り届ける。
文化庁の記録では、両山寺の護法祭は本堂への降行に始まり、神迎えの行列、神懸りの儀、お遊びと進んで、最後に垢離場の水で加持をして終わる。水で護法実を人に戻す。平安のよりましを呼び止めて休ませた段と、同じ位置にある所作だ。水で締める。
見物する側にも決まりがある。参詣者も穢れを避けることが求められ、精進が足りない者は護法実に捕まって災難にあう、と清水寺の側では伝えてきた。捕まった人は、帰る前に残って霊を落としてもらう。地元の記事は、それでも三年は用心したほうがいいと添えていた。
見に行くなら、寺の案内と岡山県の観光案内で、その年の日程を確かめてから出かける。夜の山寺なので、足元を照らす明かりと歩きやすい靴は要る。護法実が走り出したら道を空け、追いかけたり写真のために前へ出たりはしない。撮影の可否も寺の案内に従う。山の夜は冷えるので羽織る物が一枚あると助かるし、虫よけもあったほうがいい。
捕まったときは慌てて逃げ帰らない。その場に残り、寺の人に声をかけて霊を落としてもらってから帰る。これが見物する側の送りにあたる。帰り道で寄り道をせず、そのまま家へ戻るのが無難だ。
御座では中座が御幣を胸に立て、前座が向き合う
木曽御嶽の講に伝わる御座は、験者とよりましの組をそのまま行者同士に移した形だ。神霊を降ろす役を前座、降ろされる役を中座と呼び、二人は正面から向き合って座る。中座に憑いた神霊は前座の呼びかけに応え、まず神名を述べてから託宣をする、と研究者は記録してきた。
行者が一人で神を憑ける独座、山中で急に神がかる飛座という形も知られている。ただ講の行事として在家が目にするのは、たいてい前座と中座が組んだ御座だ。二人で一座。
支度は神前から。祭壇に御嶽大神の神号を掲げ、洗米、塩、水、酒などを供え、灯明をともす講が多い。中座は白衣で座に着き、白い御幣を一本、両手で柄をそろえて胸の前に立てる。目を閉じて待つ。前座はその正面に座り、講員はまわりを囲む。
法螺貝が鳴り、講員が般若心経や不動明王の真言を繰り返すなか、前座が中座に向かって九字を切る講もある。やがて中座の御幣が小刻みに震え出し、揺れが大きくなって、上体が起き上がる。そのまま立ち上がる中座もいる。講員はそこで唱えるのをやめる。静まり返る一瞬。
名を問い、取り次ぎ、神上げで帰す
最初に前座が、どちらさまがお降りになったかを尋ねる。御嶽大神のこともあれば、講の先代の霊神のこともある。名乗りを聞くまで、前座は問答を始めない。何が来たか分からないまま話を進めない、というのが御座の慎みだ。最初は名だ。
伺いを立てたい者は中座に直接話しかけず、前座に申し出て取り次いでもらう。体の弱った者には、降りた神が御幣でなでたり息を吹きかけたりして加持をすることもある。伺いが尽きたら、前座が礼を述べ、経や九字で神に帰っていただく。これを神上げと言う。
戻し方は講によって違う。中座の背を叩く講もあれば、名を呼んで引き戻す講もある。戻った中座はひどく疲れていることが多く、水を飲ませてしばらく休ませる。前座が御幣を中座の手から受け取って神前に返し、講員そろって拝礼して供え物を下げれば一座が閉じる。
日蓮宗にも、僧が祈ってヨリダイと呼ぶ寄り役に霊を寄せ、語らせる寄加持がある。宗派が違っても、祈る者と語る者を分けて組ませ、名を問い、最後に送るという骨組みは変わらない。平安の験者とよりましのころから、二人で組んで問うて送るという順番だけは、どの宗派でもずっと守られてきた。
御座や加持祈祷を頼みに行く段取り
いま在家が憑祈祷の流れを汲む祈りに触れるなら、寺か御嶽系の社や講へ頼むことになる。御座を受け付けている社もある。御嶽系の社の和邇御嶽山は御座法を祈祷の一つに挙げ、前座先達の修法で中座先達に神々や霊神が降り、その体を通して意思を伝え加持を授ける、と案内していた。
祈祷料は初めての人で一座三万円と書かれている。普寛行者が感得し、一心行者に伝えられた法だという。御嶽の講祖の名。二回目以降の料金や所要時間は案内に書かれていないので、申し込むときに尋ねておくと当日慌てずに済む。
申し込みは、まず電話で問い合わせるのが早い。御座を立てる日が月例の祭りや登拝に限られる講も多く、見学を受け入れるかどうかも講しだいだ。聞きたいことは、前もって短くまとめておく。病気、仕事、縁談、家の移転といった相談が多いそうだ。
ふつうの加持祈祷なら、受付で申し込めば済むところが多い。御嶽教大本庁の案内では、本殿入口左手の受付で午前九時半から午後四時半まで受け付け、祈祷料は五千円以上のお志を、としていた。祈祷は随時奉仕で、祭典の都合で待つこともあるという。
祈祷料は、紅白の蝶結びの熨斗袋か白い封筒に入れる。表書きは、神社や御嶽系なら御初穂料、寺なら御祈祷料とするのがふつうだ。下に名前を書き、受付で渡す。中袋があれば、金額と住所もそこへ書き込んでおく。当日は派手な服を避け、座る場所は言われたとおりにする。
寺の加持祈祷なら、受付で申込書に願いごと、住所、名前を書くところが多い。本堂に通されたら、僧の読経や真言のあいだ静かに座って手を合わせる。終われば札やお守りを受けて帰る。御座の見学なら講員の後ろに座り、経本を借りられたら分かるところだけ一緒に唱える。数珠を鳴らしたり、託宣に言い返したりはしない。
授かった札や御幣は、神棚や仏壇の上など目線より高い清らかな所に祀る。一年たったら授かった寺社へ返納して、新しいものを受けるのがふつう。遠くて返しに行けないときは、近くの寺社の古札納め所に納めてもかまわないか、授かった所に尋ねておくと迷わない。
家で験者とよりましの真似をしない
験者とよりましの祈りは、組む二人とも長い修行を積んだうえで成り立っている。護法祭では護法実が一週間籠もり、御座の中座と前座は何年も行を重ねてから座に着く。そのうえで、付かない夜もあれば、移らない物の怪もあった。
だから家で真似はしない。これは鉄則。子どもに御幣や棒を持たせて囲み、真言を唱えて何かを憑けようとするのが、いちばん危うい形だ。名を問う役も、送る役も、戻らないときに手当てをする役もいない。平安の験者でさえ、付かなければ立ちねと言って座を解いた。
在家が自分でしてよいのは拝む側まで。朝に手を洗って神棚か仏壇に向かい、般若心経を一巻あげる。不動明王の慈救呪を唱えるのもいい。九字は唱えるだけにして、印を人や場所へ向けて切るのは師から授かってからにする、という行者の言い分にはもっともなところがある。
気になる憑き物や障りがあるなら、自分で祓おうとせず、寺や御嶽系の社に相談して加持を受ける。祈祷のあとに授かった札の扱いは、授けた寺社の言うとおりにする。正直、それがいちばん確かな送り方だと思う。
遊び半分で降ろす真似をしてしまい、家の空気がおかしいと感じたときの後始末も書いておく。続きを自分でやらない。窓を開け、手を洗って神棚か仏壇に向かい、略拝詞を唱えて、その日はもう何もしない。それでも落ち着かなければ、寺や御嶽系の社に相談する。
略拝詞の原文は、祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきわえたまえ。罪や穢れを祓い清め、守り、幸いを与えてください、という意味だ。短いので、覚えておけば困らない。家で唱えるのはここまで。
