占いというものを、たいていの人は生まれた日から一生の傾向を読むものだと思っている。四柱推命も、紫微斗数も、西洋占星術も、出発点は生年月日時だ。
ところが東アジアの占術史には、それとはまったく発想の異なる巨大な体系が存在する。生年月日を一切必要とせず、いま、この瞬間だけを入力として、目の前の一件の吉凶を読み切る術だ。
それが六壬神課、りくじんしんか、または大六壬と呼ばれるものになる。
六壬は、太乙神数と奇門遁甲と並んで三式と総称される高等占術のひとつで、しかもその筆頭に置かれることが多い。中国では古来、三式のうち六壬が最も難しく、最も当たると言い習わされてきた。
日本ではもっと具体的な形で残っている。平安時代の陰陽寮で必修とされ、安倍晴明が扱ったとされる式占の実体こそが、この六壬だった。
ドラマや漫画で晴明が式神を飛ばす場面がある。あの背後にいた実際の陰陽師は、天盤と地盤を組み合わせた円と方形の道具を回し、四つの課と三つの伝を導き出して黙々と計算していた。地味だが、そちらが本体になる。
ここでは六壬神課の歴史的背景と名称の由来、出土資料と文献史、そして日本への伝来の経緯を押さえておく。そのうえで、実際に課式を立てて読むまでの手順を、可能なかぎり具体的に追っていく。
あわせて、現代における評判、懐疑論からの批判、他の占術との違いにも触れる。分量の大半は実践編に割いた。
六壬は読んで分かった気になることが最も難しい術になる。実際に紙の上に十二支を並べてみるまで、その構造は決して体に入らないからだ。
なお、はじめにひとつだけ断っておきたい。ここで扱うのは占術という文化史的、技術史的な対象になる。
医療上の判断、法律上の判断、投資その他の資産に関する判断を、占いの結果によって代替することは一切推奨しない。健康や病気に関することは医療者に、権利義務に関することは法律の専門家に、資金に関することは有資格の専門家に相談してほしい。
六壬の古典自体が疾病を占う法や訴訟を占う法を含んでいるのは事実だ。ただしそれは近代的な専門職制度が存在しなかった時代の産物であって、現代においては専門家の判断を補うことすらできない。この点は最後の禁忌の節で改めて述べる。
- 天を占い、地を占い、人を占う
- なぜ「六壬」という名なのか
- 女神が授けたという物語と、その留保
- 漢墓から出てきた円と方形の板
- 漢から清まで、千八百年の文献
- 陰陽寮の必修科目だった
- 指を折るだけの「小六壬」との違い
- 机の上に何を用意するか
- いつ占うかが、そのまま答えを決める
- 立課の第一歩、日干支と占時
- 月将は「節」ではなく「中気」で切り替わる
- 月将加時、つまり天盤を回す
- 四課を積み上げる
- 六壬最大の難関、九宗法
- 十二の神を盤に配る
- 年命を加えて解像度を上げる
- 記号の集まりから意味を読み出す
- 課体という型を見分ける
- 実占例その一、転職の内定は出るか
- 実占例その二、商談はまとまるか
- 占ってはならないとされる事柄
- 実践者は何を語っているのか
- 懐疑論を正面から受け止める
- 他の占術のなかでの位置
- 机の前に座ってから終わるまで
天を占い、地を占い、人を占う
太乙と奇門遁甲と六壬の三者は、いずれも十干十二支と陰陽五行を土台にしている。そして円形の天盤を方形の地盤の上で回転させて盤面を作る、という共通の構造を持つ。
この盤を回す形式を古くは式と呼び、そこから三式という呼称が生まれた。三者はしばしば次のように役割分担して説明される。
太乙神数は、国家の興亡、王朝の運命、天災の周期といった巨大な時間スケールの天の事を扱う。奇門遁甲は、軍事行動や方位取り、時と場所を選んで動くという地の事を扱う。
そして六壬は、訴訟、縁談、失せ物、待ち人、商談、出産、旅の可否といった、生身の人間が日々直面する具体的な案件を扱う。すなわち人の事だ。
太乙は天を占い、奇門は地を占い、六壬は人を占う。この定型句は、宋代以降の術数書にくり返し現れる。
この分担は単なる標語ではなく、盤の構造に根拠がある。六壬の盤は、十二の地支をぐるりと配した二重の円環になる。
この十二支は、方位でもあり、時刻でもあり、月でもある。同時に人間関係の類型でもあり、貴人や配偶者や子や財や敵や病を表す。
そこに十二の天将、十二天神という擬人化された神格を重ね、さらに四課という四つの人間関係の窓口を設ける。四課の第一課は占う本人、つまり日干を表し、第三課は相手や事柄、つまり日支を表す。
つまり六壬の盤は、はじめから私と相手という二極を構造の中に持っている。この点で、方位の吉凶に特化した奇門遁甲や、宇宙的周期を扱う太乙とは、設計思想が根本的に異なる。
六壬がとりわけ当たると評判を取ってきた理由も、この設計にある。四課三伝という枠組みは、事の発端である初伝、経過である中伝、結末である末伝という時間の流れを示す。
同時に、当事者と相手と第三者という人物関係も、一枚の盤の上に表示する。占者は、ひとつの盤面から誰がいつどう動いてどうなるかを読み分けることになる。
情報量が多い分だけ習得は困難だ。しかし当たったときの具体性が桁違いに高い、というのが伝統的な評価になる。
なぜ「六壬」という名なのか
六壬という奇妙な名称については、古来いくつもの説が並立しており、決定的な結論は出ていない。主なものを挙げていこう。
第一に、最も広く流布している説がある。六十干支のうち十干の壬を含む組み合わせが六つあることに由来する、というものだ。
すなわち壬申、壬午、壬辰、壬寅、壬子、壬戌の六つで、これを六壬と呼ぶ。ただし六十干支は十干と十二支の最小公倍数として構成されるため、どの干についても六つずつの組が生じる。
したがって壬が六つあること自体は、壬に固有の性質ではない。ではなぜ壬なのか。それに答えるのが次の説になる。
第二に、壬は五行では水に属し、方位では北方を司る、という点に注目する説がある。北方は玄武の座であり、冬であり、万物が種子として蔵される場所だ。
すべてのものが始まる前の状態、まだ形をなさない混沌としての水に、あらゆる可能性が畳み込まれている。占いは未だ現れざるものを読む技術であるから、その源を北方の水すなわち壬に置いた。そういう理路になる。
加えて易において水は坎であり、坎は険難と智慧を同時に象徴する。難事を智によって切り抜ける術としての含意を読む向きもある。
第三に、十干のなかで壬は陽水、癸は陰水であり、陽である壬を代表として立てたとする説がある。第四に、壬の字形が妊に通じ、はらむ、孕むという意味を持つことから、事象が生まれ出る以前の兆しを読む術という命名だとする説だ。
第五に、より即物的な説もある。古代の式盤において起点となる位置に壬が置かれていた名残だ、というものになる。
さらに、六壬には六壬式、玄女式という別名がある。玄女式という呼称は、後で扱う九天玄女伝授伝説に由来する。
日本ではりくじんと読むのが一般的だが、ろくじんと読む流派もある。また、四課三伝を用いる本式の体系を大六壬と呼び、後で扱う簡易占法の小六壬と区別する。
これらの説は互いに排他的ではない。後世の術者がそれぞれの立場から意味づけを重ねてきた結果と見るのが穏当だろう。名称の起源が確定しないこと自体が、この術の成立が文字資料の残らない古い層にまで遡ることの傍証でもある。
女神が授けたという物語と、その留保
六壬の起源については、こんな伝説が広く語られてきた。黄帝が蚩尤との戦いに苦しんだとき、九天玄女という女神が天降って授けた、というものだ。
奇門遁甲にもほぼ同型の伝説があり、両者は同じ物語の変奏になる。玄女は道教の神格体系のなかで兵法と術数を司る女神とされ、六壬の別名である玄女式はここから来ている。
また別系統では、六壬は伏羲が河図を得て八卦を画いたのと同じ源流にあるともいう。周公旦や姜太公が用いたともいう。話はどんどん古くなっていく。
ただし、これらはいずれも後世の仮託であって、史実として受け取ることはできない。中国の術数書には、自らの権威を高めるために由緒を古代の聖王や神格に遡らせる強い慣行があり、六壬もその例外ではない。
黄帝も九天玄女も、術の成立年代よりはるかに古い、あるいは神話的な存在になる。そこに実際の伝授関係を想定する根拠は乏しい。
同様に、六壬の主要文献の多くが唐の袁天罡や李淳風の名を冠しているが、これも大半は宋代以降の仮託と考えられている。
では実際にはいつ成立したのか。盤という形式を用いる式占の技術は、遅くとも前漢期には存在していたことが出土資料から確認される。
四課三伝という現在の完成形に近い体系が整うのは、六朝から隋唐にかけてとみられる。それが穏当な見方になる。
もっとも、この時期区分についても研究者の間で幅がある。断定を避けるべき領域であることは強調しておきたい。
漢墓から出てきた円と方形の板
伝説を離れて、物として残っているものを見よう。二十世紀後半以降、中国各地の漢代の墓から、式占に用いられたとみられる盤が複数出土している。いわゆる式盤だ。
よく知られているのが、安徽省阜陽の双古堆にある前漢の汝陰侯の墓から出た漆製の盤で、紀元前二世紀のものとされる。また甘粛省武威の磨嘴子の後漢墓からも木製の式盤が出ている。
ほかにも朝鮮半島の楽浪郡関連の遺跡や、各地の漢墓から類例が報告されている。決して珍しい発見ではないわけだ。
これらの盤に共通するのは、上に円形の板、下に方形の板を重ね、中心の軸で円板が回転するという構造になる。円形の上盤を天盤、方形の下盤を地盤と呼ぶ。
これは中国古代の宇宙観である天円地方、つまり天は円く地は方形であるという考えを、そのまま器物にしたものだ。
天盤には北斗七星の図と十二の月神、後の十二月将が刻まれる。地盤には十二支、二十八宿、十干、八卦などが同心円状に配置される。
天盤を回すことで、天の十二支と地の十二支の対応関係が刻々と変わる。このずれこそが、六壬の全計算の出発点になる。
出土した盤には、六壬に用いる形式のものだけでなく、太一つまり太乙の九宮を刻んだ盤や、日時計を兼ねたとみられるものもある。当時、式と呼ばれる技術がひとつではなく複数系統あったことがうかがえる。
六壬式盤に十二の月神名が刻まれている点は重要だ。これは後の月将、太陽の黄道上の位置を示す指標の原型と考えられる。
つまり六壬は、その根に天文観測の要素を持っている。太陽が今どの位置にあるかを盤の上で再現し、それをいま何時かという人間の時間に重ねる。
天の時間と人の時間の重なり方から吉凶を読む。これが六壬の基本発想になる。
なお、日本でも奈良時代から平安時代にかけての遺跡や正倉院関連の記録に式盤に関わる資料があるとされる。ただし伝世品として完全な六壬式盤が残っている例は多くない。この点は確認できる範囲での記述にとどめておく。
漢から清まで、千八百年の文献
文献の上で六壬に類する占法が現れる最も古い層として、しばしば引かれるのが呉越春秋と越絶書になる。
いずれも後漢期に成立したとされる、春秋時代の呉越抗争を題材とする書物だ。そのなかに軍師が時刻と方位から吉凶を判じる場面があり、六壬の術語らしきものが見えると指摘されてきた。
ただし、これらの記述をただちに現在の六壬と同一視することはできない。あくまで式占の古層を示すものと理解すべきだろう。
隋唐期になると、目録に六壬関係の書名が現れる。隋書の経籍志などに六壬式経の類が著録され、この時代には体系化された占法として流通していたことが分かる。
唐代には、暦算と占術に長けた李淳風や、人相と予言で知られる袁天罡が活躍した。後世の六壬書の多くが彼らの名を冠することになるが、実際の著者は不明である場合がほとんどだ。
宋代に入ると、国家事業として術数書が編纂される。北宋の仁宗の代、景祐年間に勅撰された景祐六壬神定経は、六壬史における画期をなす。
これは当時流通していた諸説を国家の権威のもとに整理し統一したもので、以後の六壬書の基準となった。宋代はまた、印刷技術の普及によって術数書が広く読まれるようになった時代でもある。六壬が士大夫層の教養の一部となっていく。
明代には六壬大全が編まれる。これは十二巻からなる大部の集成で、清の四庫全書にも収められた。
九宗法や六十四課体、各種の格局、実占例を網羅しており、現在に至るまで六壬の最重要文献であり続けている。同じ明代には、実占例を大量に収めた六壬断案の類も現れ、理論書から実務書への広がりが見られる。
清代は六壬の解説書が最も充実した時期になる。陳公献の大六壬指南は初学者向けの体系的入門書として名高く、簡潔な叙述と豊富な実占例で長く読み継がれてきた。
六壬視斯は判断法の精緻化を進めた書として知られる。清末の大六壬尋源は諸書を博捜して整理した集大成的な著作だ。
ほかにも畢法賦、これは百の判断原則を韻文にまとめたものになるが、そうした書や六壬粋言、六壬説約など、性格の異なる書が多数流通した。
現在、日本語で六壬を学ぶ場合の基本文献としては、これら中国古典の訳注のほか、近代日本の術者による解説書が挙がる。
昭和期に阿部泰山が六壬尋源系の内容を日本語化して紹介したことが、途絶えていた日本の六壬を復活させる大きな契機になったとされる。近年では東海林秀樹らによる入門書や精義書が出ており、日本語だけでも一通りの学習が可能な環境が整いつつある。
ただし流派によって細部の作法が異なる。複数の書を突き合わせる際には注意が必要になる。
陰陽寮の必修科目だった
六壬が日本に入った経路は、暦法や天文と一体のものだった。日本書紀には、推古天皇十年、西暦六〇二年に百済僧の観勒が暦本、天文地理書、遁甲方術の書をもたらし、朝廷が学生を選んで学ばせたという記事がある。
ここでいう遁甲方術に六壬が含まれていたかどうかは断定できない。それでも式占の技術がこの時期に大陸から流入したことは確かだ。
律令制の整備にともない、この技術は国家機構に組み込まれる。養老令の職員令が定める中務省の下に陰陽寮が置かれた。
そこには陰陽博士、暦博士、天文博士、漏刻博士がそれぞれ配され、陰陽生、暦生、天文生といった学生が養成された。陰陽道、暦道、天文道、漏刻という四つの職掌になる。
陰陽道は占筮と地相、暦道は造暦、天文道は天体観測と異変の奏上、漏刻は時報を担当する。このうち陰陽道の中核をなす占法が、まさに六壬式占だった。
国家の重要事に際して吉凶を占い、密奏する。それが陰陽師の本業だったわけだ。
平安中期になると、この技術は特定の家に世襲される。天文道は安倍氏、暦道は賀茂氏が掌握し、いわゆる賀茂と安倍の両家体制が確立する。
安倍晴明はこの安倍氏の祖であり、賀茂忠行や保憲に師事したと伝えられる。晴明の名を冠する六壬の解説書に占事略决がある。
これは六壬の占目、つまり何を占うかごとの判断法を簡潔にまとめたもので、日本に残る六壬文献としてはきわめて重要になる。
ただし、これが晴明自身の真撰であるかについては議論がある。後世の仮託や増補の可能性も指摘されている。
少なくとも、晴明の名のもとに平安期の日本で六壬が実務的に運用されていたことを示す資料としての価値は動かない。ほかに金沢文庫に伝わる六壬関係の写本群も、日本における六壬受容を知るうえで欠かせない。
中世を通じて六壬は陰陽道の秘技として保たれた。しかし応仁の乱以降の社会変動と、江戸期における合理主義的な学風の浸透のなかで、実占の伝統は次第に細っていく。
江戸期には中国から六壬大全などの書籍が舶来し、一部の学者や術者が研究した。それでも平安期のような国家的運用には戻らなかった。日本の六壬の実践的伝承は、江戸から明治にかけて事実上途絶えたとする見方が一般的だ。
近代以降、大陸の術数書が再輸入され、昭和期の術者によって日本語での紹介が進んだ。六壬は再興された占術として現在に至っている。
したがって現代日本の六壬は、平安陰陽道の直系というより、近代に中国古典から学び直された体系という性格が強い。
流派としては、中国清代の書を基礎とする系統、台湾や香港経由で入った系統、日本独自の再構成を加えた系統などが併存している。月将の切り替え時期、貴人の起こし方、天将の順序といった基本部分ですら、書によって差異が生じることがある。
学ぶ際は、まず一つの系統を通しで習得し、その後に他系統と比較するのが実際的になる。
指を折るだけの「小六壬」との違い
六壬という名を冠しながら、まったく別物と言ってよい簡易占法が存在する。小六壬だ。
諸葛孔明の名を借りて諸葛馬前課、孔明馬前課とも呼ばれ、中国民間では現在も広く行われている。
小六壬は、大安、留連、速喜、赤口、小吉、空亡という六つの語を用意する。流派により小凶や病符などの異名がある。
指を折って月と日と時、あるいは思いついた三つの数を順に数えていき、行き着いた場所の語から吉凶を読む。道具も暦も要らず、その場で数秒で答えが出る。
日本の六曜、つまり大安、友引、先勝、先負、仏滅、赤口は、この小六壬の系統が変形して定着したものと考えられている。意外に身近なところにつながっているわけだ。
大六壬と小六壬の関係は、名前が似ているだけで、技術的にはほとんど別系統になる。両者の差異を整理しておこう。
入力情報が違う。大六壬は占う瞬間の日干支と時支、その時期の月将を使う。小六壬は月と日と時、または任意の三つの数でよい。
必要な道具も違う。大六壬は万年暦、つまり干支暦と課式用紙が要り、式盤があればなお可となる。小六壬は指を折るだけで不要だ。
盤の構造はもっと違う。大六壬は天盤と地盤の十二支、四課、三伝、十二天将からなる。小六壬は六つの語を輪にしただけになる。
出力の粒度も段違いだ。大六壬は事の発端、経過、結末、関係者、時期まで読み分ける。小六壬はおおまかな吉凶と方向性を示すにとどまる。
習得難易度は、大六壬が三式のなかでも最難と言われるのに対し、小六壬は数分で覚えられる。文献の厚みも、宋と明と清に大部の専門書が多数ある大六壬に対し、小六壬は民間口伝が中心になる。
以下で扱うのは、すべて大六壬だ。
机の上に何を用意するか
六壬を始めるにあたって必要なものは、意外なほど少ない。
第一に、干支暦、いわゆる万年暦になる。占う日の日干支と、その時期の二十四節気、特に中気の日付が分かるものであれば何でもよい。
書籍の万年暦でも、暦計算のできるアプリでもかまわない。オンラインの干支計算サービスを使うことも、技術的にはまったく問題がない。
伝統派のなかには暦は紙で引くべしと言う人もいる。それは作法の問題であって精度の問題ではない。
ただし、日の切り替わりを何時とするかは確認しておきたい。夜中の零時か、子の刻の始まりである二十三時か。暦や流派によって扱いが異なる。
使う暦がどちらの定義を採っているかは必ず確認する。特に二十三時台に占う場合、この一点で日干支がまるごと一日ずれてしまう。
第二に、課式用紙で、方眼紙でもノートでもよい。要は十二支を円環状に二重に書き、その上に四課三伝を記入できる余白があればいい。
慣れてくると自分専用の書式を作ることになる。市販の六壬用紙もあるが、必須ではない。
第三に、筆記具。鉛筆やシャープペンシルで下書きし、確定した課式を万年筆やボールペンで清書する術者が多い。
理由は単純で、誤記に気づいたときに消せるからだ。六壬は転記ミスが結論を丸ごとひっくり返す術なので、この実務的配慮は馬鹿にできない。
第四に、任意で式盤。天盤と地盤を重ねた実物の盤があると、月将加時の作業が視覚的に理解しやすい。
木製や紙製のものが術書の付録として出ていることもあり、自作する人も少なくない。伝統的には地盤に雷に打たれた棗の木、天盤に楓のこぶを用いるのが正式だとされるが、これは象徴的な作法であって、実用上は素材を問わない。
羅盤、つまり風水用の方位盤を代用する向きもある。ただし六壬の判断に方位そのものを使う場面は限定的なので、必須ではない。
第五に、記録用のノート。占った日時、占的つまり何を占ったか、立てた課式、その場での判断、そして後日判明した結果を対にして残す。
これが六壬上達の唯一の道になる。当たった課式より、外した課式のほうが学びは大きい。
いつ占うかが、そのまま答えを決める
六壬は占おうと思ったその瞬間を入力とする術になる。したがって、いつ占うかが、そのまま答えを決めてしまう。ここには古来いくつかの約束事がある。
まず、占時は正時を用いる。十二支の時刻は二時間ごとの区分であるから、たとえば午前九時二十分に占うなら、それは巳の刻、九時から十一時に属する。分単位の精度は使わない。
ただし境界に近い時刻、たとえば十時五十八分のときは、前後どちらの刻で立てるべきか迷うことになる。伝統的には、問いが心に定まった瞬間を採るとされる。
実務的には、境界前後の場合は両方の課式を立てて比べる術者もいる。どちらが問いの状況をよりよく写しているかを判断材料にするわけだ。
次に、心を定めてから占う。慌ただしい場所で、気の散った状態で立てた課式は読めない、というのが古来の教えになる。
これは神秘的な話というより、六壬の作業が集中を要する計算であることの裏返しでもある。静かな場所で、机の上を片づけ、問いを一文に書き出してから盤を作る。
この問いを一文にする工程が実は最も効いてくる。問いが曖昧なままだと、どれだけ精緻な課式を立てても読み解く軸が定まらない。
そして再占の禁がある。同じ事柄について、望む答えが出るまで何度も占うことを、六壬では厳しく戒める。
一度立てた課式が答えであり、それが気に入らないからといって立て直すのは、術に対する不信であると同時に、自分自身を欺く行為だとされる。
状況が実質的に変化した場合、たとえば新しい情報が入った、条件が変わったといったときに改めて占うのは差し支えない。その場合も前回の課式との関係を意識して読む。伝統的には一事一占、三度に及ばず、といった言い方がされる。
占う前の所作についても触れておきたい。流派によって、手を洗う、線香を焚く、一礼する、短い祝詞や呪文を唱えるなど、さまざまな作法がある。
これらは術の精度を上げるというより、占者自身の意識を切り替えるためのスイッチとして機能している。自分なりの一定の所作を決めておくことは、実務的にも意味がある。
ただし、他者に危害を加えることを目的とした儀式的行為は、六壬の伝統においても厳しく戒められてきた。ここではそうした用途を一切扱わない。
立課の第一歩、日干支と占時
ここからが本題になる。六壬の課式を立てる作業を立課、または起課という。手順は大きく七段階に分かれる。
最初は日干支と占時を出す作業だ。万年暦を引いて、占う日の日干支を確認する。
たとえば甲子日であれば、日干が甲、日支が子になる。次に、占う時刻がどの地支にあたるかを確認する。これを占時、または時支という。
十二時辰の対応も並べておこう。子は二十三時から一時、丑は一時から三時、寅は三時から五時、卯は五時から七時にあたる。
辰は七時から九時、巳は九時から十一時、午は十一時から十三時、未は十三時から十五時になる。申は十五時から十七時、酉は十七時から十九時、戌は十九時から二十一時、亥は二十一時から二十三時だ。
なお、日本国内で標準時を用いる場合、真太陽時との差、東京でおよそマイナス十九分を補正するかどうかは流派により分かれる。境界時刻でなければ実質的な影響はないことが多いが、自分の流儀を決めておきたい。
月将は「節」ではなく「中気」で切り替わる
月将は、その時期に太陽が黄道上のどこにいるかを十二支で表したものになる。六壬の全計算はここから始まると言ってよい、最も効いてくる要素だ。
注意すべきは、月将が切り替わるのが節、つまり節気ではなく中気だという点になる。四柱推命や奇門遁甲が節入りで月を切り替えるのに対し、六壬は雨水、春分、穀雨、小満という中気で切り替わる。
この一点を取り違えると、課式はまるごと別物になってしまう。ここは絶対に外せない。
対応を順に並べていく。雨水の後は月将が亥で、名は登明。おおよそ二月中旬から三月中旬にあたる。
春分の後は戌で、名は河魁。三月下旬から四月中旬になる。穀雨の後は酉で従魁、四月下旬から五月中旬だ。
小満の後は申で伝送、五月下旬から六月中旬。夏至の後は未で小吉、六月下旬から七月中旬になる。
大暑の後は午で勝光、七月下旬から八月中旬。処暑の後は巳で太乙、八月下旬から九月中旬だ。
秋分の後は辰で天罡、九月下旬から十月中旬。霜降の後は卯で太衝、十月下旬から十一月中旬になる。
小雪の後は寅で功曹、十一月下旬から十二月中旬。冬至の後は丑で大吉、十二月下旬から一月中旬だ。そして大寒の後は子で神后、一月下旬から二月中旬になる。
覚え方としては、月将はその月の月建、つまり月の十二支と六合の関係にある支だと押さえればいい。
たとえば春分後の月は卯月であり、卯と六合するのは戌。だから月将は戌となる。この規則を知っていれば表を暗記する必要はない。
なお、月将の切り替えを中気ではなく節で行う流派、あるいは黄経の実測値で行う流派も存在する。日付が境界に近い場合は、使う暦の定義を確認してほしい。
月将加時、つまり天盤を回す
いよいよ盤を作る。作業は一言で言えて、月将を占時に加える、それだけだ。
具体的には、紙に十二支を時計回りに円環状に書く。これが地盤になり、地盤の十二支は動かない。
次に、その外側、または内側にもう一重の十二支の環を書く。これが天盤だ。そして、天盤の月将の支が、地盤の占時の支の真上に来るように、天盤全体を回転させる。これで天地盤が完成する。
たとえば、秋分後で月将が辰のとき、巳の刻で占うとしよう。天盤の辰を地盤の巳の上に置く。すると天盤全体が地盤に対して一つ分ずれる。
地盤の各支の上に乗っている天盤の支を上神と呼ぶ。この例では、地盤の各支の上神は、それぞれ一つ手前の支になる。
具体的には、子の上に亥、丑の上に子、寅の上に丑、卯の上に寅、辰の上に卯、巳の上に辰が来る。
さらに午の上に巳、未の上に午、申の上に未、酉の上に申、戌の上に酉、亥の上に戌が乗る。
これで、この日この時の天地の関係が固定された。以後の作業はすべてこの対応を参照して進む。
四課を積み上げる
四課は、日干と日支を起点に、上神を二段ずつ積み上げた四つの組になる。左から四課、三課、二課、一課と並べるのが伝統的な書式で、右から左へ一、二、三、四と数える。
その前に、日干を地盤上のどこに置くかを決める必要がある。十干には十二の座がないため、それぞれ十二支の座を借りる。これを寄宮という。
対応はこうなる。甲は寅、乙は辰、丙は巳、丁は未、戊は巳、己は未に寄る。
そして庚は申、辛は戌、壬は亥、癸は丑に寄る。歌訣にはこうある。甲は寅に課し乙は辰、丙戊は巳にして丁己は未、庚申辛戌壬は亥の上、癸は丑上に課すこれ真なり。
そのうえで、四課を次の順に作る。一課は、日干の寄宮を地盤上に取り、その上神を置く。この上神を干上神といい、占う本人の現在の状態を示す。
二課は、一課の上神を、こんどは地盤の支とみなして、そのさらに上神を取る。
三課は、日支をそのまま地盤上に取り、その上神を置く。この上神を支上神といい、相手や事柄の状態を示す。
四課は、三課の上神を地盤の支とみなして、そのさらに上神を取る。これで四つ揃う。
一課と二課は私の側、三課と四課は相手や事の側を表す。二課は一課の背景、つまり私の内情や私に向かって来るものを示す。四課は三課の背景、相手の内情や事の背後を示すと解される。
なお、上神が重複して四つの組が三つしか作れない場合がある。このときは別責課または八専課として特別な発用法を使う。詳しくは後で扱う。
六壬最大の難関、九宗法
四課から、事の推移を示す三つの支を導き出す。これを三伝といい、順に初伝、これは発用ともいう、そして中伝、末伝と呼ぶ。
初伝を決める規則が、六壬最大の難関である九宗法になる。九つの方法を、上から順に適用条件を確かめていく。前の条件に該当したら、そこで確定して先には進まない。
まず用語を押さえよう。四課それぞれについて、上神と下神、つまり地盤側の五行の剋の関係を見る。
下の支が上の支を剋している場合を賊、下賊上という。上の支が下の支を剋している場合を剋、上剋下という。賊のほうが強い意味を持ち、常に優先される。
一つめが賊剋法だ。四課のなかに賊または剋が一つだけある場合、その上神を初伝とする。
賊が一つだけなら重審課、賊がなく剋が一つだけなら元首課という。賊と剋の両方があるときは賊を採る。
二つめが比用法になる。賊または剋が二つ以上あって一つに絞れないとき、日干の陰陽と同じ陰陽の上神を初伝とする。
該当が一つに定まれば知一課、比用課ともいう。日干が陽なら陽支である子、寅、辰、午、申、戌を採り、陰なら陰支である丑、卯、巳、未、酉、亥を採る。
三つめが渉害法。比用でも定まらない、つまり該当が複数、または該当ゼロのときに使う。
各候補について、その支が天盤上の現在位置から地盤の自分の本位まで戻る道のりで、いくつの地盤支に剋されるかを数える。剋を受ける数が最も多いものを初伝とし、これを渉害課という。
害を最も深く渉った支が事の主導権を握る、という発想になる。数が同じで決まらないときは、次の順に採る。
孟神である寅、申、巳、亥を優先し、これを見機格という。孟がなければ仲神である子、午、卯、酉を採り、察微格という。それでも決まらなければ、陽日は干上神、陰日は支上神を採り、綴瑕格という。
四つめが遙剋法で、四課に賊も剋も一つもないときに使う。日干と四課の上神との間の剋を見る。
上神が日干を剋していればそれを初伝とし、これを蒿矢課という。逆に日干が上神を剋している場合はそれを初伝とし、弾射課という。
両者があるときは蒿矢、つまり上神が日干を剋す方を優先する。総称して遙剋課だ。剋の関係が上下に接していないのに、遠くから射抜くように働くという比喩になる。
五つめが昴星法で、賊も剋も遙剋もない場合に使う。
陽日は地盤の酉の上にある天盤支を初伝とし、これを虎視転蓬という。陰日は天盤の酉が乗っている地盤支を初伝とし、冬蛇掩目という。
中伝と末伝は干支の上神から取る。陽日は中伝が支上神、末伝が干上神、陰日はその逆というのが一般的な扱いだが、流派差がある。
総称して昴星課。酉は西方の金であり、粛殺と停滞を表すため、この課は総じて動きの鈍い象とされる。
六つめが別責法になる。四課の上神が重複して三つの組しかできず、かつ賊も剋もない場合だ。
陽日は、日干と干合する干の寄宮の上神を初伝とする。陰日は、日支から三合の関係で前にあたる支を初伝とする。中伝と末伝はともに干上神を用いる。
これを別責課という。四課が欠けている、すなわち情報が足りない象であり、判断は慎重を要する。
七つめが八専法だ。日干の寄宮と日支が同じ位置になる特殊な日で、かつ賊剋がない場合に使う。
その日とは甲寅、乙卯、丁未、己未、庚申、辛酉、癸丑、戊午のいわゆる八専日になる。
陽日は一課の上神から数えて三番目にあたる支を初伝とし、陰日は四課の上神から逆に三番目の支を初伝とする。中伝と末伝はともに干上神だ。
これを八専課という。自他の区別がつかない盤であるから、境界の曖昧な事柄、身内の問題、公私混同などを示す。
八つめが伏吟課で、月将と占時が同じ支である場合になる。天盤と地盤がぴたりと重なり、まったくずれが生じない。すなわち天が動いていない状態になる。
この場合、剛日つまり陽日は干上神を、柔日つまり陰日は支上神を初伝とする。中伝は初伝の刑、三刑の関係にある支を取り、末伝は中伝の刑を取る。
自刑にあたる辰、午、酉、亥の場合は冲を用いる。初伝が干上神なら自任課、支上神なら自信課、刑が連鎖する形を杜伝課と呼び分ける。
伏吟は動かない象になり、待つ、留まる、隠れるという判断に傾く。
九つめが返吟課、反吟課とも書く。月将と占時が冲、つまり正反対の関係にある場合だ。天盤が地盤に対して百八十度ずれ、すべての支がその対冲の上に乗る。
剋があるときは賊剋法に準じて初伝を取り、これを無依課という。剋がまったくないときは駅馬、日支から求める移動の神を初伝とし、井欄射課という。
返吟は反転の象になる。往復、再来、逆転、去った者の帰還などを示す。
初伝が決まったら、中伝と末伝は原則として単純だ。中伝は初伝を地盤の支とみなしたときの上神、末伝は中伝を地盤の支とみなしたときの上神を取る。
ただし昴星、別責、八専、伏吟には、さきほど書いたとおり例外規定がある。
十二の神を盤に配る
四課三伝という骨格ができたら、そこに神格の肉づけをする。それが十二天将、十二天神になる。天盤の各支に、次の十二の神を順に配当していく。
一番目が貴人で、己丑の土、吉の将になる。目上、援助者、公的な後ろ盾、格式を意味する。
二番目が螣蛇で、丁巳の火、凶の将だ。驚き、動揺、怪異、まとわりつく不安を表す。
三番目が朱雀で、丙午の火、こちらも凶になる。言論、文書、訴訟、口舌の争い、情報を意味する。
四番目が六合で、乙卯の木、吉だ。和合、縁組、仲介、契約、交渉ごとを表す。
五番目が勾陳で、戊辰の土、凶になる。停滞、もつれ、土地争い、拘束を意味する。
六番目が青龍で、甲寅の木、吉だ。財、慶事、発展、酒食、良縁を表す。
七番目が天空で、戊戌の土、凶になる。虚偽、空約束、実体のなさ、当てが外れることを意味する。
八番目が白虎で、庚申の金、凶だ。疾病、事故、急変、道路、武力を表す。
九番目が太常で、己未の土、吉になる。衣食、儀礼、安泰、常のこと、印章を意味する。
十番目が玄武で、癸亥の水、凶だ。盗難、隠蔽、欺瞞、逃亡、失うものを表す。
十一番目が太陰で、辛酉の金、吉になる。秘事、内密、庇護、女性、静かな助けを意味する。
十二番目が天后で、壬子の水、吉だ。女性、母性、内向き、私的な愛情を表す。
配当の起点は貴人になる。貴人の位置は日干によって決まり、しかも昼と夜で異なる。
卯の刻から申の刻まで、およそ五時から十七時に占うなら昼貴人を用いる。酉の刻から寅の刻まで、およそ十七時から五時に占うなら夜貴人を用いる。
日干ごとの対応はこうなる。甲、戊、庚は昼貴人が丑で夜貴人が未。乙と己は昼が子で夜が申になる。
丙と丁は昼が亥で夜が酉、壬と癸は昼が巳で夜が卯だ。そして辛は昼が午で夜が寅になる。
歌訣ではこう唱える。甲戊庚は牛羊、乙己は鼠猴の郷、丙丁は猪鶏の位、壬癸は兎蛇に蔵る、六辛は馬虎に逢う、これ是れ貴人の方。
ただし庚を甲戊と組むか辛と組むかについては古来異説があり、書によって配当が一部異なることが知られている。学ぶ際は依拠する書の表に従い、途中で混ぜないこと。
貴人の支が決まったら、天盤上でその支がどこにあるかを探し、そこに貴人を置く。そして、貴人が乗っている地盤の支によって、以後の配当を順回りにするか逆回りにするかを決める。
貴人が地盤の亥、子、丑、寅、卯、辰の上にあるときは順行になる。天盤の支の順に、貴人、螣蛇、朱雀と時計回りに配当していく。
貴人が地盤の巳、午、未、申、酉、戌の上にあるときは逆行だ。天盤の支の逆順に配当する。
亥は天門、巳は地戸と呼ばれる。この二点を境に天将の巡り方が反転する、というのが伝統的な説明になる。
配当が終わったら、四課の各上神と三伝の各支に、対応する天将を書き添える。これで課式は完成だ。
年命を加えて解像度を上げる
より精度を上げるため、相談者の年命を課式に加える。年命とは、相談者の生まれ年の十二支である本命と、その年齢に対応する支である行年になる。
天盤上でこの支がどこにあり、どの天将が乗っているかを見る。それによって、この盤の出来事がこの人にとってどう働くかを読む。
年命は課式の骨格を変えるものではなく、あくまで補助だ。だが実占では非常によく効く。
たとえば三伝が凶であっても、相談者の本命の上に貴人が乗っていれば救いがあると読む。逆に三伝が吉でも本命の上に白虎が乗っていれば、本人には利がないと見る。
他人のことを占う場合に本命が分からなければ、年命なしで読むこともできる。ただしその分だけ判断の解像度は落ちる。
記号の集まりから意味を読み出す
課式が完成しても、それは記号の集まりにすぎない。ここから意味を読み出す作業に入る。読解の柱をひとつずつ見ていこう。
まず初伝、中伝、末伝の役割になる。初伝、つまり発用は事の発端であり、いま動き出しているもの、問題の核心を示す。
中伝は経過であり、途中で介在する要素、障害または助力を示す。末伝は結末であり、最終的にどこへ着地するかを示す。
ただしこれは単純な時系列ではない。初伝がすでに起きたこと、中伝が現在、末伝が近未来、という読み方もある。
一方で初伝を原因、末伝を結果と読む場合もある。占的、つまり何を占っているかによって、時間軸の当て方は変わってくる。
次に干上神と支上神。三伝が事の推移を示すのに対し、四課の一課上神である干上神は今の私の状態を示す。三課上神である支上神は今の相手や事柄の状態を示す。
三伝がどれほど良くても、干上神が日干に剋されていれば本人は消耗している。支上神が空亡していれば相手に実体がない。三伝と四課は必ずセットで読む。
生剋の関係も基本になる。五行の相生、木生火、火生土、土生金、金生水、水生木を押さえる。相剋は木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木だ。
これを日干を基準に見ると、日干を生じるものは援助になる。日干が生じるものは支出や努力だ。
日干を剋するものは圧力や障害で、日干が剋するものは獲得や支配になる。日干と同じものは同僚や競合だ。
上記の関係を家族の呼称で整理したものを六親という。日干を生じる印綬は父母にあたり、支援、情報、書類、住居、学びを意味する。
日干が生じる食傷は子孫にあたり、産物、技能、楽しみ、部下を表す。日干が剋する妻財は、金銭、報酬、成果、男性から見た配偶者になる。
日干を剋する官鬼は、仕事、地位、圧力、病気、災難、女性から見た配偶者を意味する。日干と同じ兄弟は、同僚、競争相手、分配、出費だ。
三伝がどの六親で構成されているかを見れば、その件が何をめぐる話なのかが一目で分かる。ここは便利なので覚えておきたい。
空亡も外せない。日干支の属する旬、つまり十日間のまとまりにおいて、十干が行き渡らずに余る二つの支を空亡という。
たとえば甲子の旬、甲子から癸酉までの十日では、戌と亥が空亡になる。空亡に当たる支は、実体がない、当てにならない、時期が来ていないと読む。
三伝に空亡が混じるかどうかは判断を左右する最重要のポイントだ。末伝が空亡なら結末が定まらない、初伝が空亡なら発端そのものが虚である、といった読み方をする。
ただし、凶事を占って凶の支が空亡なら、凶が実らないという反転も起こる。空亡は単純な凶ではない。
用神の取り方も押さえておきたい。占的に応じて、盤のどこを主役に据えるかを決める。これを用神という。
たとえば失せ物なら玄武と、財に当たる支。待ち人なら日支と六合、あるいは駅馬になる。
試験や就職なら官鬼と貴人、および印綬。病気なら日干と白虎、および官鬼を見る。
用神を定めずに盤全体を眺めても読めない。逆に、用神さえ定まれば、その支がどう剋され、どう生じられ、空亡しているかを追うだけで大筋の結論が出る。
最後に応期の判定になる。いつ起こるかを読むのが応期で、基本的な取り方はいくつかある。
第一に、末伝の支に対応する日や月を取る。第二に、用神が空亡しているなら空亡を出る日、その支が実になる次の旬を取る。
第三に、用神が三合や六合を成す相手の支の日を取る。合する日に事が成るという考え方だ。第四に、用神が冲される日を取る。冲によって動き出すという読みになる。
第五に、天将の性質から測る。青龍なら遅く大きく、白虎なら急である、といった具合だ。
どの取り方を使うかは占的と課体による。応期の判断は六壬のなかでも最も難しく、熟練を要する部分になる。
課体という型を見分ける
四課三伝の形には、古来おびただしい数の類型が定められている。六壬大全などが伝える六十四課体がその代表だ。
九宗法によって定まる十種の基本形に加え、三伝の並び方や五行の組み合わせによる派生形が体系化されている。すべてを覚える必要はない。基本の十種と、頻出する派生形をいくつか押さえておくと、課式を見た瞬間に大まかな性格がつかめる。
元首課は上剋下が一つだけの形になる。筋が通り、上位者が主導する。正攻法が通る、素直な吉だ。
重審課は下賊上が一つだけ。下から突き上げる力があり、慎重に再検討すべしという象になる。急ぐと損なう。
知一課、比用課は、賊剋が複数あって日干と同陰陽で一つに絞れる形だ。似たものが並ぶなかから一つを選ぶ、選択と比較の局面を示す。
渉害課は比用でも絞れず、渉害の深さで決めた形になる。障害を渉って進む象で、労多く、途中の妨害が多い。
遙剋課、つまり蒿矢と弾射は、上下の剋がなく日干と遠隔で剋し合う形だ。離れた場所からの影響、間接的な力、実感の薄い作用を示す。
昴星課、虎視転蓬と冬蛇掩目は、剋も遙剋もなく酉を用いる形になる。停滞、閉塞、身動きが取れない、目を塞がれた状態を示す。
別責課は四課が三つしかなく、剋がない形だ。情報が欠けている、片手落ち、単独では成りにくいという象になる。
八専課は日干の寄宮と日支が同位置の形。自他の区別が曖昧で、身内、内輪、公私混同、重複を示す。
伏吟課、自任と自信と杜伝は、月将と占時が同じ形になる。動かない、潜伏、待機、内向を示し、動けば凶とされる。
返吟課、無依と井欄射は、月将と占時が冲の形だ。反転、往復、再来を示す。去ったものが戻る、来たものが去るという象になる。
これに加えて、三伝の並びによる派生形がある。三伝が十二支の順に進むものを進茹、逆順に退くものを退茹といい、それぞれ前進と後退を示す。
三伝が三合、つまり申子辰、亥卯未、寅午戌、巳酉丑を成すものは全局と呼ばれ、その五行の性質が極端に強まる。三伝が一つ飛ばしで並ぶものを間伝といい、迂回や段階的進行を示す。
ほかにも吉課がある。吉将が揃う三光課、そして龍徳課、官爵課、富貴課、軒蓋課、鋳印課といったものだ。
凶課もある。斬関課、閉口課、淫泆課、度厄課、天網課、九醜課が伝えられている。
これらの名称と条件は書によって細部が異なる。依拠する文献を一つ決めて覚えるのがよさそうだ。
実占例その一、転職の内定は出るか
架空の相談として、応募した会社から内定が出るかどうかを占ったとしよう。相談者は特定の実在人物ではない。
設定はこうする。秋分後、つまり月将が辰の天罡である時期の甲子日、巳の刻、午前十時ごろに占った。
まず月将加時から。月将は辰、占時は巳になるので、月将の辰を占時の巳に加える。
天盤が地盤に対して一つ分ずれ、地盤の各支の上神は一つ手前の支となる。子の上に亥、丑の上に子、寅の上に丑という具合だ。
次に四課を立てる。日干は甲で、寄宮は寅になり、地盤の寅の上神は丑だ。よって一課は丑と寅、つまり甲の組になる。
二課は丑を地盤とみて、その上神の子。三課は日支の子を地盤に取り、その上神の亥。四課は亥を地盤とみて、その上神の戌になる。
整理すると、一課が丑と寅、二課が子と丑、三課が亥と子、四課が戌と亥だ。上神がすべて下神より一つ退いている形になる。
続いて剋を見る。一課は下の寅、木が上の丑、土を剋す。下賊上だ。
二課は下の丑、土が上の子、水を剋す。これも下賊上になる。三課は亥と子でともに水、剋なし。四課は上の戌、土が下の亥、水を剋す。上剋下になる。
賊が二つあるので賊剋法では決まらない。比用法へ進む。
日干の甲は陽である。賊の上神は丑が陰、子が陽。日干と同じ陽支は子ひとつになる。
よって初伝は子、課体は知一課、比用課だ。中伝は子の上神で亥、末伝は亥の上神で戌になる。
三伝は子から亥、戌と続く。十二支を逆にたどる形、すなわち退茹だ。
天将を配る。甲日で巳の刻、つまり昼占なので昼貴人を用いる。甲の昼貴人は丑になる。
天盤の丑は地盤の寅の上にある。地盤の寅は亥から辰の範囲なので順行だ。
よって天盤の支の順に配当していく。丑が貴人、寅が螣蛇、卯が朱雀、辰が六合、巳が勾陳、午が青龍になる。
さらに未が天空、申が白虎、酉が太常、戌が玄武、亥が太陰、子が天后だ。
三伝に天将を乗せると、初伝の子に天后、中伝の亥に太陰、末伝の戌に玄武。四課では、一課上神の丑に貴人、三課上神の亥に太陰が乗る。
さて判断に入る。まず空亡を確認する。甲子日は甲子の旬に属し、この旬の空亡は戌と亥だ。
中伝の亥と末伝の戌が、そろって空亡している。これは決定的になる。
次に六親を見ると、日干は甲、木だ。初伝の子と中伝の亥はともに水で、水生木で日干を生じる。すなわち印綬であり、情報、書類、打診、支援を意味する。
末伝の戌は土で、木剋土で日干が剋する。すなわち妻財であり、報酬や条件や待遇を意味する。
物語はこう読める。初伝が天后と太陰という内向きで秘めやかな吉将であり、印綬でもある。だから水面下での接触や打診、書類のやり取りは確かに進んでいる。
しかし三伝は退茹、すなわち後退の形だ。話は前へ進まず引き返す方向にある。
そして中伝と末伝がともに空亡。最後に玄武が乗っているのは、隠されたもの、あるいは実体が失われることを示す。
結論として、内定は出にくい。打診や好意的な反応はあっても、条件の段階で実らず立ち消えになる可能性が高いと読む。
救いを探すなら、一課上神の丑に貴人が乗っている点になる。相談者自身に対する目上の評価は悪くない。
したがって助言はこうなる。この案件は流れるが、本人の評価そのものが低いわけではないので、次の機会に向けて動くべし。
応期は、空亡している戌が実になる時、すなわち次の旬に入って戌の日が来るころだ。およそ十日から二週間のうちに何らかの通知は来ると見立てる。
念のため書いておくと、これは占いの結果であって、就職活動の意思決定を代替するものではない。実際には応募先への確認、他社への応募継続といった現実的な行動が優先されるべきになる。
実占例その二、商談はまとまるか
設定はこうする。小満後、月将が申の伝送である時期の丙午日、辰の刻、午前八時ごろに、ある取引の成否を占った。相談者も取引先も架空だ。
月将の申を占時の辰に加える。地盤の各支の上神は、それぞれ四つ進んだ支となる。
子の上に辰、丑の上に巳、寅の上に午、卯の上に未が乗る。辰の上に申、巳の上に酉、午の上に戌、未の上に亥が来る。
さらに申の上に子、酉の上に丑、戌の上に寅、亥の上に卯が乗る。ずれが大きいぶん、盤の表情も変わってくる。
四課を立てる。日干は丙で、寄宮は巳になる。地盤の巳の上神は酉で、一課は酉と巳、つまり丙の組になる。
二課は酉の上神の丑。三課は日支の午を取り、その上神の戌。四課は戌の上神の寅になる。
並べ直すと、一課が酉と巳、二課が丑と酉、三課が戌と午、四課が寅と戌だ。
剋を見ると、一課は下の巳、火が上の酉、金を剋す。下賊上になる。
二課は丑、土が酉、金を生じるので剋なし。三課は午、火が戌、土を生じるので剋なし。四課は上の寅、木が下の戌、土を剋す。上剋下だ。
賊が一つだけ、一課の酉になる。賊は剋に優先するので、賊剋法により初伝は酉、課体は重審課だ。
中伝は酉の上神で丑、末伝は丑の上神で巳になる。三伝は酉から丑、巳と続く。
並べ替えると巳酉丑、すなわち三合金局を成す全局になる。ここが効いてくる。
天将を配ると、丙日で辰の刻、昼占なので昼貴人になる。丙の昼貴人は亥になる。
天盤の亥は地盤の未の上にある。地盤の未は巳から戌の範囲なので逆行だ。
天盤の支を逆にたどっていく。亥が貴人、戌が螣蛇、酉が朱雀、申が六合、未が勾陳、午が青龍になる。
続けて巳が天空、辰が白虎、卯が太常、寅が玄武、丑が太陰、子が天后だ。
三伝の天将は、初伝の酉に朱雀、中伝の丑に太陰、末伝の巳に天空になる。
判断に入ろう。丙午日は甲辰の旬に属し、この旬の空亡は寅と卯だ。三伝の酉と丑と巳に空亡はない。
三伝が実であることは、それだけで話に実体があることを意味する。ここは良い材料になる。
六親を見ると、日干は丙、火だ。三伝のうち、酉は金で火剋金、すなわち妻財。丑は土で火生土、すなわち子孫。巳は火で日干と同じ、すなわち兄弟になる。
ただし三伝全体が三合金局を成しているため、局としては金、つまり財の性質が極端に強まると読むのが定石だ。
商談や取引を占って三伝に財局が成る。これはきわめて良い形になる。
天将の並びも物語を持っている。初伝の朱雀は文書や交渉や言論だ。中伝の太陰は秘事、水面下の調整になる。
末伝の天空は虚偽、空約束、実体のなさを示す。ここが引っかかる。
すなわち、交渉と書面のやり取りから始まり、水面下の調整を経て、話そのものは財として大きく成る。しかし最後に天空が乗るため、口約束や曖昧な文言が残る危険がある。そう読む。
結論としてはこうなる。商談はまとまる公算が高い。ただし末伝の天空を軽視してはならない。
契約条件、納期、支払い条件を必ず書面で確定させること。口頭の合意に頼ると、後でそんな約束はしていないという食い違いが生じうる。
応期は、末伝の巳に対応する巳の日か、三合が完成する酉の日を取る。おおむね一巡、つまり十二日以内に何らかの決着がつくと見立てる。
これも占例であって、契約や取引に関する法的助言ではない。契約書の作成と確認は法律の専門家に依頼してほしい。
占ってはならないとされる事柄
六壬に限らず、東アジアの卜占には共通して伝えられてきた戒めがある。六壬の古典もその例に漏れない。
第一に、他人に害を与える目的で占うこと。誰かを陥れるため、あるいは危害を加えるために盤を立てることは、伝統のなかで最も厳しく戒められてきた。ここでもそうした用途に資する記述は一切行わない。
第二に、他人の私事を、本人の依頼なしに勝手に占うこと。第三に、生死そのものを断定的に占うこと。
古典には疾病占の章があるが、それでも軽々に死を言うなかれという戒めが繰り返される。現代においては、健康や病気に関する事柄は医療機関に相談すべきであり、占いはその代わりにならない。
第四に、面白半分の試し占い。本当に当たるか試してやろうという気持ちで立てた盤は乱れる、というのが古来の教えになる。
再占の禁はさきほど書いたとおりだが、これは占者の心得としても効いてくる。
同じ問いを繰り返し占うのは、答えではなく安心を求めている状態だ。そのとき占いは判断の道具ではなく依存の対象に変わっている。この境界を自覚しておくことが、術と健全につきあうための最低条件になる。
断定を避けることも大切だ。六壬は具体的な予測を出す術であるが、だからこそ断定の危険が大きい。
特に他人を占う場合、断定的な言い方は相談者の行動を不必要に縛る。こういう象が出ているので、この点に注意しておくとよい。その提示の仕方が、実務的にも倫理的にも望ましい。
実在の人物や団体について、占断をもとに評価を断定することは避けるべきになる。
繰り返しになるが、判断の代替にしないこと。医療、法律、投資といった専門的判断を要する領域で、占いの結果を専門家の助言の代わりにしてはならない。
六壬の古典が生まれた時代には近代的な専門職制度が存在しなかった。現代においてその役割を占いに戻すのは、時代錯誤であるだけでなく実害を生む。
課式の記録と後始末についても書いておこう。立てた課式は、必ず日時、占的、判断とセットで記録する。
ノートに残す術者もいれば、専用の用紙に清書してファイルする術者もいる。伝統的な作法としては、判断が終わり結果が判明したあとの下書きは、丁寧に処分するとされる。
焼く、あるいは細かく破って捨てるという流儀がある。これは呪術的な意味というより、未整理の課式が散らばっていると後で見返したときに混乱するという、実務的な合理性を含んでいる。
肝心なのは、清書した記録のほうを長く保存することだ。数年分の課式記録は、どんな教科書よりも雄弁な教材になる。
実践者は何を語っているのか
現代日本で六壬を実践している人の声を、匿名化し一般化した形で並べてみると、いくつかの傾向が見えてくる。
まず圧倒的に多いのが、とにかく覚えることが多いという感想になる。四柱推命や紫微斗数が、命式を出すのは機械的だが読みが難しい術であるのに対し、六壬は盤を立てる段階からすでに難しい。
九宗法の分岐を間違えれば、そこから先はすべて無意味になる。学習者の多くが渉害法と昴星法のあたりで一度つまずく、というのは定番の話らしい。
次によく語られるのが、当たるときの当たり方が異様に具体的だという体験になる。
失せ物を占って、水回りの、蓋のあるものの中といった細かい示唆が出て実際にそこから出てきた。待ち人を占って三伝の示す日にちょうど連絡が来た。この類の話は、ブログや個人の記事でしばしば見かける。
逆に、外れるときは大きく外れるという証言も同じくらい多い。中間がない、という評が印象的だ。
占的の立て方で結果が変わる、という指摘も繰り返し現れる。
うまくいくかという漠然とした問いより、今月中に返事が来るかという限定された問いのほうが、盤がはっきり答えを返す。これは多くの実践者が共通して述べるところになる。
この点は六壬という術の性質をよく表している。六壬は答えを探す術ではなく、問いに答える術なのだ。
表に出しにくい術だという声もある。六壬は結論が具体的すぎるため、対面鑑定の主力に据えると相談者に強い影響を与えすぎる、という理由からだ。
表向きは易やタロットを用い、裏で六壬を立てて方向性を確認する。そういう使い方をする術者がいる。これは技術というより職業倫理の問題として語られている。
一方で、懐疑的な感想も当然ある。準備に三十分かけて出た答えが、直感で判断したのと同じだった。複雑すぎて、結局は解釈者の恣意が入る余地が大きいのではないか。そうした指摘は、匿名掲示板や質問サイトでも見かける。
実際、九宗法や渉害法の細部で流派が分かれている以上、同じ日時と同じ問いでも術者によって違う盤が出ることは起こりうる。これは六壬の弱点として率直に認めるべき点になる。
近年はオンラインで自動立課ができるツールやアプリが増え、学習の敷居はかなり下がった。
ただし、自動で盤が出るようになったぶん、なぜその盤になるのかを理解しないまま読もうとして詰まる人が増えたという指摘もある。道具の進歩が必ずしも理解を進めるわけではない、という点は他の分野と変わらない。
懐疑論を正面から受け止める
六壬に限らず、占術一般に向けられる批判を整理しておこう。これらは無視すべきものではなく、術と向き合ううえで正面から受け止めるべき論点になる。
まず統計的検証の不在。六壬が当たると言われる根拠は、ほぼすべて術者と相談者の個別の経験談だ。
二重盲検法に相当する厳密な条件下で、六壬の予測精度が偶然を上回ることを示した査読付きの研究は、確認できるかぎり存在しない。
二千年の実績があるという主張は、実績が記録され検証されてきたことを意味しない。当たった話は語り継がれ、外れた話は忘れられる。それだけでも実績は積み上がってしまう。
次にバーナム効果、フォアラー効果とも呼ばれるものがある。誰にでも当てはまる曖昧な記述を、人は自分に固有のものだと感じる傾向だ。
六壬の判断語彙を見てみよう。妨げがあるが最後には通る、隠れた助力がある、文書に関わる件で動きがある。いずれも解釈の幅が広い。
事後的にはほとんどどんな出来事にも当てはめられてしまう。ここは正直、弱いところになる。
確証バイアスもある。人は自分の予想を裏づける情報を強く記憶し、反証する情報を軽視する。
占いの結果を知ったうえで日常を過ごせば、それに合致する出来事が目に飛び込んでくる。三伝に朱雀が出ていたから文書の件に注意していたら、案の定メールでトラブルがあった。この体験は成立しやすい。
しかし朱雀が出ていなければ、メールのトラブルに気づかなかっただけかもしれない。
自己成就予言も働く。この件は流れると言われた人が消極的に振る舞い、結果として本当に流れる、という因果が生じうる。
占いの結果が行動を変え、その行動が結果を作る。これは占いが当たることの説明にはなるが、占いが未来を読んでいることの証明にはならない。
そして解釈の自由度で、六壬は要素が多い。四課、三伝、十二天将、空亡、六親、年命、課体、格局。
これだけの変数があれば、どんな結果に対しても事後的に整合する説明を作ることができる。反証可能性という科学の基準から見ると、この点が最大の問題になる。
こうした批判を踏まえたうえで、それでも六壬が千数百年にわたって用いられ、いまなお学ぶ人が絶えないのはなぜか。いくつかの説明が可能だ。
第一に、意思決定を外部化する装置としての機能がある。人は決めきれないとき、判断を先延ばしにして消耗する。盤を立て、答えが出て、行動が定まる。この決着をつける働きそれ自体に価値がある。
第二に、視点を強制的に切り替える機能。六壬は、自分が考えもしなかった角度を必ず提示する。
相手の背後に何があるのか、これは四課が示す。この件は結局何をめぐる話なのか、これは六親が示す。思考の死角を埋める作業として有用でありうる。
第三に、構造化された内省の枠組みとしての価値になる。占的を一文にする、用神を定める、時間軸を切る。これらはすべて、問題を整理する作業そのものだ。
第四に、文化史的で知的な対象としての魅力がある。天円地方の宇宙観、五行の論理、千八百年分の文献の厚み。これらは占いを信じるかどうかとは独立に、それ自体で研究対象たりうる。
要するに、六壬を未来を知る装置として使うなら、その主張は科学的な裏づけを欠く。しかし思考を構造化し、決断を促し、古代の知的体系に触れる道具として使うなら、そこには批判とは別の次元の意味がある。
どちらの態度で向き合うかは、使う人の選択になる。
他の占術のなかでの位置
最後に、六壬の位置を他の主要な占術と比較して整理しておこう。
六壬神課は、占う瞬間の日時、つまり月将と占時と日干支を入力とする。個別の案件の吉凶、成否、時期を扱い、出力は一件ごとに具体的だ。事の経過と結末まで読む。
奇門遁甲は、占う時点の日時に方位を加えて入力とする。いつどの方角へ動くか、行動の択日を扱い、出力は空間的で、動くための処方箋になる。
紫微斗数は生年月日時を入力とする。一生の構造、十二宮ごとの傾向を扱い、出力は持続的で、人生の設計図にあたる。
四柱推命も生年月日時を入力とする。先天的な性質、大運と流年の起伏を扱い、出力は持続的で、気質と時期の傾向を示す。
易、つまり周易や断易は、その場で得た卦を入力とする。個別の案件の吉凶と態度を扱い、出力は一件ごとで、象徴的かつ箴言的になる。
大きな分け方をすれば、四柱推命と紫微斗数は命の術になる。生まれ持った運命の構造を読む術だ。
六壬と奇門遁甲と易は卜の術になる。いまこの一件の帰趨を読む術だ。ほかに人相と手相の相がある。
命の術はあなたがどういう人で、どういう時期にいるかを教える。卜の術はこの件がどうなるかを教える。両者は競合せず、補い合う。
卜のなかでの六壬の特色は、答えの解像度にある。易が進むべし、止まるべしという態度を示すのに対し、六壬は誰が関わり、いつ動き、どこで滞り、どう終わるかを支と天将の組み合わせで名指ししようとする。
その分だけ外れたときの誤りも明確になる。逃げ場がないわけだ。
奇門遁甲との違いは役割にある。奇門が動く方角と時刻を選ぶという能動的な処方であるのに対し、六壬はいま進行している事態を読むという受動的な診断になる。
両者を併用し、六壬で診断して奇門で処方するという使い分けをする術者もいる。
机の前に座ってから終わるまで
ここまで書いてきたことを、実際に紙とペンを持って机に向かったときにそのまま追える形へ並べ直しておく。上から順にやっていけばいい。
支度から始めよう。静かな場所を確保して机の上を片づけ、万年暦かそれに代わるアプリ、方眼紙かノート、鉛筆、清書用のペン、記録用のノートを手元に置く。式盤を持っているなら出しておくといい。
手を洗い、姿勢を正して一呼吸置く。一礼するとか線香を焚くとか、自分なりの所作があるならここでやっておく。中身は自由だが、他人に害を与える意図を含む所作だけは行わない。
そのうえで占的を一文で書き出す。ここが肝心で、うまくいくか、ではなく、今月中に先方から返事が来るか、という具合に期限と対象を限定していく。曖昧な問いには曖昧な盤しか立たないからだ。書けたら紙の一番上に置いておく。
なお、同じ事柄をすでに占っているなら、ここで手を止めること。状況が実質的に変わっていないのに占い直すのは、さきほど書いた再占の禁にまっすぐ触れてしまう。
盤を立てる
占時を確定するところから始まる。時計を見て、いま何時何分かを記録し、対応する十二支の刻を書き出しておく。二十三時台だけは要注意で、使っている暦が日の切り替えをどこに置いているかを確かめないと、日干支がまるごと一日ずれる。
次に日干支を引く。万年暦でその日の干支を確認し、日干と日支を書き出したうえで、その日が属する旬から空亡になる二支をメモしておきたい。これを後回しにすると、読解の段階で必ず慌てることになる。
月将の確定はその次だ。万年暦で直近の中気を確認する。雨水、春分、穀雨、小満、夏至、大暑、処暑、秋分、霜降、小雪、冬至、大寒、この十二のどれかを見て、月将対応表から支を取ればいい。節ではなく中気であるという一点は、何度でも確認しておきたい。
ここを取り違える初学者はとても多い。節と中気は交互に並んでいるから、暦の欄をひとつずらして読むだけで月将が変わってしまう。
さて天地盤だ。紙に十二支を時計回りに、二重の環として書く。内側の地盤は固定して動かさず、外側の天盤を、月将の支が占時の支の真上に来るように回転させる。やることはそれだけになる。
あとは地盤の十二支それぞれの上に乗った支、つまり上神を、一覧表の形で書き出していく。ここで一度、指で差しながら書き写しの誤りを確認しておくといい。
四課を立てよう。まず寄宮表で日干の座を確認する。甲は寅、乙は辰、丙と戊は巳、丁と己は未、庚は申、辛は戌、壬は亥、癸は丑と決まっている。
一課は日干の寄宮の上神、いわゆる干上神になる。二課はその一課の上神をさらに一段上がったものだ。三課は日支の上神、すなわち支上神を取り、四課は三課の上神をもう一段上がって求める。右から一課、二課、三課、四課の順に、上下二段で書き並べる。
書けたら四課の剋を判定する。各課について、下の支が上の支を剋していれば賊、上の支が下の支を剋していれば剋と印をつけ、どちらでもなければ空欄のままにしておく。
九宗法をたどる
ここが六壬でいちばん脱落者が出るところになる。上から順に条件を確認して、当てはまったらそこで止める。それだけの話なのだが、とにかく分岐が深い。
賊または剋が一つだけなら、その上神がそのまま初伝になる。賊なら重審課、剋だけなら元首課と呼ぶ。
賊剋が複数あるときは、日干と同じ陰陽の上神を探していく。それが一つに絞れれば初伝で、知一課という名がつく。
絞れなければ渉害法に移る。各候補が本位へ戻る道のりで受ける剋の数を数えて、いちばん多いものを初伝に取るやり方で、これが渉害課になる。同数で並んだときは孟神、つまり寅申巳亥を優先し、次に仲神の子午卯酉を見ていく。それでも決まらないなら、陽日は干上神、陰日は支上神を取る。
賊も剋もまったくない盤なら遙剋法だ。上神が日干を剋しているなら蒿矢課、日干が上神を剋しているなら弾射課になり、両方あるときは蒿矢を優先する。
遙剋すらないなら昴星法に移る。陽日は地盤の酉の上神を、陰日は天盤の酉が乗っている地盤の支を初伝とする。
四課が三つしか立たないときは別責法、日干の寄宮と日支が同じ位置に来る八専日なら八専法を使う。月将と占時が一致してしまったら伏吟課で、陽日は干上神、陰日は支上神を初伝に取り、中伝は初伝の刑、末伝は中伝の刑を取ることになる。自刑になる場合は冲を用いる。
月将と占時が冲していたら返吟課になる。剋があれば賊剋法に準じて無依課、なければ駅馬を初伝として井欄射課だ。
初伝さえ決まれば、あとは楽になる。原則として中伝は初伝の上神、末伝は中伝の上神で、昴星、別責、八専、伏吟だけが例外規定に従う。三伝を縦に、初伝、中伝、末伝の順で書いておく。
最後に十二天将を配る。占時が卯から申までなら昼貴人、酉から寅までなら夜貴人を使うことになる。
日干から貴人の支を求めるのだが、甲戊庚は昼が丑で夜が未、乙己は昼が子で夜が申になる。丙丁は昼が亥で夜が酉、壬癸は昼が巳で夜が卯、辛だけは昼が午で夜が寅だ。
求めた支を天盤上で探して、そこに貴人を置く。貴人が乗っている地盤の支が亥から辰の範囲なら順行、巳から戌なら逆行になる。
貴人、螣蛇、朱雀、六合、勾陳、青龍、天空、白虎、太常、玄武、太陰、天后。この順に天盤の各支へ配当していき、配り終えたら四課の上神と三伝の各支に、対応する天将を書き添える。
相談者の生まれ年の支と行年が分かるなら、それが天盤上のどこにあるかとともに書き添えておきたい。年命があるとないとでは、読みの厚みがまるで違ってくる。
そこまで済んだら清書する。占的、日時、日干支、月将、占時、四課、三伝、天将、空亡を一枚の紙にまとめて書き写し、下書きと照合して転記ミスがないか必ず確認しておく。転記ミスで外した、というのは六壬の学習者が最も頻繁にやる失敗らしい。
読む
まず空亡を確認する。三伝と四課上神のどれが空亡に当たるかに印をつけていく。空亡の基本は、実体がない、時期がまだ来ていない、という意味合いになる。
ただし凶の支が空亡になっているときは、その凶が実らないという反転が起きる。ここは機械的に凶と読まないほうがいい。
次に用神を定める。占的に応じて、この盤の主役は誰なのかを決める作業だ。仕事や試験なら官鬼と貴人、金銭なら妻財と青龍、人間関係なら六合と日支を見ていく。失せ物なら玄武と財、待ち人なら日支と六合と駅馬を取る。
用神が決まらないうちは読み始めないこと。主役が決まっていない物語は、そもそも読めない。
課体を見分ける段に入る。九宗法で決まった型が元首なのか重審なのか、知一か渉害か遙剋か昴星か別責か八専か伏吟か返吟か。あわせて三伝の並びが進茹なのか退茹なのか、三合全局を成しているのか間伝なのかを見ていく。これで盤全体の性格が一言でつかめる。
六親を割り振ろう。日干の五行を基準にして、三伝の各支が印綬、食傷、妻財、官鬼、兄弟のどれに当たるかを書き込んでいく。三伝がどの六親で構成されているかが分かれば、その件が何をめぐる話なのかが見えてくる。
そこまで来たら物語を組む。初伝が発端であり核心、中伝が経過と介在するもの、末伝が結末と着地点になる。この順に、支の五行、六親、乗っている天将、空亡の有無を重ねて、一続きの文章にしていく。
組み終わったら、干上神が示す自分の状態と、支上神が示す相手の状態を見て、その物語が当事者双方にどう働くかを補う。年命が分かっているなら、相談者本人にとっての利害を最後に加えておく。
応期の判定もここでやる。末伝の支に対応する日や月が第一候補になり、用神が空亡しているなら空亡を出る時期を取る。用神が三合や六合を成す相手の支の日、あるいは用神が冲される日も候補に入ってくる。
そこへ天将の性質で速度を補正していく。青龍は遅く大きい、白虎は急、勾陳は停滞。そういう按配になる。
最後に結論を一文で書く。断定ではなく、こういう象が出ているのでこの点に注意するとよい、という形にまとめておく。他人を占ったのならなおさらだ。
片づける
清書した課式に、その場での判断を書き添えて記録ノートに綴じる。下書きのほうは丁寧に処分しておく。
そして後日、実際に何が起きたかが判明したら、必ず同じ記録に結果を書き加えること。これを面倒がる人が多いのだが、当たった課式より外れた課式のほうが学びは大きい。どこで読み違えたのか、どの要素を見落としたのか、一行でいいから書き残しておきたい。数年分たまった頃には、どんな教科書よりも役に立つ。
同じ事柄を、望む答えが出るまで占い直さないこと。状況が実質的に変わったときだけ、前回の課式との関係を意識しながら新しく立てればいい。
それから、これは何度でも繰り返しておきたい。医療、法律、投資、進路といった専門的な判断を要する事柄については、課式に何が出ていようと、必ずその分野の専門家に相談すること。占いはその判断を補うものであって、代わりになるものではない。この一点だけは、どの流派のどの時代の心得よりも優先させていい。
