カクヨム掲載「心霊体験談短編集」の導入記事です。実話・体験談・聞き書きをもとに、読み物として脚色を加えた怪談として扱い、全文転載はせず冒頭のみ掲載しています。
この話について
扉を、開けなくてよかった。 今でもそう思う。あの夜、もし俺が鍵を回していたら、今ここに俺はいない。そんな確信がある。根拠はないが、確信だけはある。 これは今の娘たちに話したことがない。上が十二歳、下が八歳。二人とも千葉の小学校に通っている。上の娘は最近ませてきて、父親の言葉に口答えするようになった。下の娘はまだ甘えん坊…
冒頭抜粋
扉を、開けなくてよかった。
今でもそう思う。あの夜、もし俺が鍵を回していたら、今ここに俺はいない。そんな確信がある。根拠はないが、確信だけはある。
これは今の娘たちに話したことがない。上が十二歳、下が八歳。二人とも千葉の小学校に通っている。上の娘は最近ませてきて、父親の言葉に口答えするようになった。下の娘はまだ甘えん坊で、休日になると膝に乗ってくる。そういう日常の中に、この話は似合わない。だから話さない。
これは十年前、京都にいた頃の話だ。
元妻のことを、ここでは咲と呼ぶ。
俺が京都に来たのは二十歳の時で、仕事の配属先がたまたまそこだった。縁もゆかりもない街だったが、咲と出会ったのもその頃だ。共通の知人に紹介されて、何度か会うようになって、一年も経たないうちに結婚した。早いと言われたが、互いにそれでよかった。
咲は京都の生まれだった。
街の路地の話をよくした。観光客が入らない細い道のこと、特定の時間だけ光の角度が変わって別の場所みたいに見える辻のこと、地元の人間しか知らない小さな祠のこと。俺には何が珍しいのかよく分からなかったが、咲が話す時の顔は生き生きしていた。週末になると自転車で当てもなく出かけた。行き先も決めず、ただぶらぶらして、夕方になると土産に饅頭だの漬物だのを買って帰ってくる。そういう人だった。
生まれ育った街と、その街に迷い込んだ俺と。そう思えば、俺たちの関係はずっとそういう構図だった気がする。
翌年、長女が生まれた。
子どもができてからの咲は、以前より少し遠くなった気がした。子どもができれば夫婦は近くなると思っていたが、実…


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