1. 導入
横浜市都筑区に、茅ヶ崎城址公園がある。
センター南駅から歩いてすぐの、緑の丘だ。
地元では昔から「じょうやま」と呼ばれてきた。

ここは中世の城、茅ヶ崎城の跡である。
空堀や土塁が、驚くほどよく残っている。
横浜市指定の史跡だ。

そしてこの公園は、心霊スポットとしても語られる。
鎧武者の霊、白い影、耳鳴りのするエリア。
戦で死んだ兵の無念が彷徨う、という話だ。
だが、調べると奇妙なことが分かった。
この城では、戦がなかったらしいのだ。
奇怪千万は深夜、その食い違いを確かめに行った。

2. なぜ茅ヶ崎城址へ向かったのか
奇怪千万は千葉から、スーパーカブ110で都筑区へ入った。
城跡は、心霊の噂が集まりやすい場所だ。
戦、落城、死者。連想の材料に事欠かない。
だが茅ヶ崎城は、少し様子が違った。
噂では、戦死者の無念が語られている。
一方で史料は、この城の戦乱を記録していない。

戦のなかった城に、なぜ武者の霊が出るのか。
その矛盾が、今回の調査の出発点だった。
ニュータウンの真ん中に残る中世の丘。
昼は散策の人でにぎわう歴史公園だ。
夜にどう化けるのか、それも見ておきたかった。
深夜、誰もいない時間を選んで向かった。
3. 史料が語る茅ヶ崎城
まず、記録に残る事実を整理する。
茅ヶ崎城は、早渕川南岸の台地に築かれた丘城だ。
発掘調査から、十五世紀後半の築城と推定される。

築いたのは、おそらく後北条氏。
小机城の支城としての役割を担ったとされる。
十六世紀前半に、改修も行われた。

治安年間に多田行綱が築いたという伝えもあるが、
正確な築城年代は分かっていない。
重要なのはここからだ。
調査によれば、この城をめぐる戦乱はなかったとされる。
落城も、合戦の記録も見当たらない。
一五九〇年、後北条氏の滅亡とともに廃城となった。
その後は村の入会地として使われ、雑木林になった。

港北ニュータウンの開発で、遺跡は破壊の危機にあった。
だが地元の尽力もあり、現況保存が決まる。
発掘調査を経て、二〇〇八年に公園として公開された。
曲輪、土塁、空堀、土橋、井戸。
中世城郭の構造が、都会の中に丸ごと残っている。
学術的評価も高い、貴重な遺跡だ。
この場所の現地調査動画を見る神奈川県心霊スポット 茅ヶ崎城址公園

4. 語られてきた噂
一方で、夜のこの公園には噂が絶えない。

第一は、鎧武者の霊だ。
城跡の入り口や空堀のあたりに現れ、
静かに立ち尽くしているという。

第二は、白い影である。
散策中、視界の隅にぼんやりと浮かぶ。
女性の姿が多く、目が合うと消えるという。
第三は、体調の変化だ。
主郭のあった場所に近づくと、
耳鳴りや体の重さ、吐き気を感じる者がいるという。
空堀の近くで背後から足音が聞こえ、
振り返っても誰もいなかった。
そんな体験談も語られている。

噂の解釈は決まって、戦死者の無念だ。
だが史料に、その戦は存在しない。
5. 深夜、空堀の底で
センター南の駅前は、夜でも明るかった。
だが公園の入り口をくぐると、光が絶えた。
丘全体が、黒い塊になって沈んでいる。

ライトを絞り、園路を登った。
両側に空堀が深く落ち込んでいる。
五百年前の堀が、闇の中に口を開けていた。

空堀の底へ降りてみた。
堀の中は、外より空気が冷たい。
音も、妙にこもって聞こえる。
足音が、半拍遅れて返ってきた。
堀の壁が反響させているのだろう。
噂の「背後の足音」は、これかもしれない。
中郭へ上がると、平らな広場に出た。
ここに館が建っていたという。
風が抜け、木々がざわりと鳴った。
耳鳴りは、しなかった。
体の重さも、吐き気もない。
ただ、深い静けさがあるだけだった。
6. 武者はいなかった
主郭跡で、奇怪千万はしばらく待った。
鎧武者が出るという、その場所でだ。
現れたものは、何もなかった。
白い影も、視界の隅をよぎらない。
写真にも、異常は写らなかった。
感じたのは、時間の厚みだけだ。
五百年前の地形が、足の下にそのままある。
人の手で削られた土が、闇の中で息をしている。
怖さとは違う。
静かな圧、とでも言うべきものだ。
古い場所に立った時の、あの感覚だった。
一つだけ、妙なことがあった。
帰り際、空堀の方で枝の折れる音がした。
振り返ると、音は堀に沿って遠ざかっていった。
小動物だろう。
そう思うことにして、丘を下りた。
7. 考察
体感を整理する。
足音の反響は、空堀の構造で説明がつく。
堀の冷気も、地形による空気の淀みだ。
枝の音は、タヌキかハクビシンだろう。
ニュータウンの緑地には、野生動物が多い。

耳鳴りや吐き気の噂も、説明の余地がある。
急な登り坂と暗さは、体に負荷をかける。
不安と疲労が、体調の変化として出るのだ。
そして核心の、武者の霊について。
史料を信じるなら、この城に戦はなかった。
戦死者の無念、という解釈は成り立たない。
つまりこの噂は、城跡という記号から生まれた。
城イコール戦イコール死者。
その連想が、いなかった武者を作り出したのだ。
8. 仮説
ひとつの仮説を残す。
茅ヶ崎城址の噂は、「城跡らしさ」の産物だ。
人は城跡に立つと、物語を求める。
合戦、落城、散った命。
実際の歴史がどうであれ、型に当てはめてしまう。
だが、この城の本当の物語は別にある。
戦をせずに役目を終え、村の山になり、
開発の波からも守られて残った。
争いも破壊も免れ続けた、幸運な城だ。
無念の霊がいる場所ではなく、
むしろ稀有な平穏を保った場所である。
夜に感じる圧は、怨念ではないと思う。
五百年の地形が持つ、時間の重さだ。
それを怖いと呼ぶか、貴いと呼ぶかは人による。
奇怪千万は、後者を取る。

9. アクセス
茅ヶ崎城址公園は、横浜市都筑区茅ケ崎東二丁目にある。
市営地下鉄センター南駅から徒歩八分ほどだ。
早渕川の対岸には大塚・歳勝土遺跡もある。
園内には解説板が整備され、
曲輪や空堀の構造を学びながら歩ける。
出土品は横浜市歴史博物館が所蔵している。

ここは横浜市指定の史跡だ。
遺構の上を荒らしたり、立入禁止の郭に入らないこと。
土塁や堀を傷つける行為は厳禁だ。

周囲は完全な住宅街である。
深夜の騒音や肝試しの喧騒は、慎んでほしい。
夜は足元が暗く、堀への転落にも注意が要る。

戦をしなかった静かな城に、静かに参る。
それがこの丘にふさわしい作法だと思う。



