写真を撮る友人がいる。以下Yと呼ぶ。
風景専門で、月の出と日の出のためなら平気で夜を潰す男だ。私の動画に何度か写真を貸してくれたことがある。
一月の半ば、Yから電話が来た。
「初日の出、結局別の海岸で撮った」
新年の挨拶より先にそれを言った。犬吠埼で撮るはずだったのは聞いている。理由を尋ねると、Yは少し間を置いてから下見の晩の話を始めた。
先に、岬のことを書いておく。
犬吠埼は千葉県銚子市にある。関東の最東端に突き出た岬で、白い犬吠埼灯台は明治七年の初点灯から今日まで海を照らし続けている。設計は英国人技師のブラントン。国の登録有形文化財で、山頂などを除けば日本で一番早い初日の出が見られる場所として、年末年始は人で埋まる。
灯台の光は十五秒に一度だけ白くひらめく。単閃白光と呼ばれる光り方で、これは海図にも載っている決まりごとだ。
岬を回る遊歩道には、夜間の通行を閉ざす門扉がある。

理由は伏せずに書く。ここで海に身を投げる者が続いた時期があり、その対策として設けられたものだ。数字や個別の出来事には触れない。触れずにおくのが筋の場所だと思う。
ネットの噂も一応拾っておく。深夜の岬に立つと下から無数の手が出て引きずり込まれる、という書き込みがある。裏の取れる話ではない。噂は噂として置いておく。
もう一つ、岬には古い石碑がある。
涙痕の碑。大正六年、この海で溺れて亡くなった二人の若い詩人、三富朽葉と今井白楊の慰霊碑だ。一人が波に呑まれ、もう一人が助けに入り、二人とも帰らなかったと伝わる。
これは噂ではない。碑として残っている歴史だ。
Yが下見に行ったのは十二月の二十九日だった。
初日の出の撮影は場所取りが全てだと言う。当日の混雑を見越して三脚を立てる位置と構図を先に決めておく。Yの毎年のやり方だ。
着いたのは日暮れ前。灯台の見学時間はもう終わっていて、観光客もまばらだった。
Yは遊歩道を歩きながら何箇所かで試し撮りをした。
異変は耳から来たそうだ。

岬は三方が海になる。波の音は左右と正面、方々から重なって届く。写真を撮る人間は音を気にしないものだが、Yは違った。波の拍で連写のタイミングを取る癖がある。
その拍が一箇所だけ合わない。
突端寄りの一角からの波音だけ、半拍遅れて届く。
寄せる音がそろって鳴ったあと、遅れてもう一度同じ寄せる音が鳴る。やまびこにしては近すぎる。岩の反響なら毎回同じに響くはずが、遅れの幅が少しずつ揺れていたという。
「気にはなった。その時はまだ、地形のせいにしてた」
日が落ちて、灯台の光が回り始める。
Yは最後の試し撮りをしながら、妙なことに気づいた。
遅れた波音が、閃光の直後にだけ鳴る。
十五秒に一度、光がひらめく。そのたびに一拍おいて、あの遅れた寄せ音が返る。
波が光に合わせる道理はない。

目をつぶって拍を数えてみたそうだ。写真屋の耳は正確だ。十五秒。十五秒。狂わずに光の後ろを波音がついて回る。
目を開けたとき、Yは自分の立ち位置がずれていることに気づいた。
三脚を置いた場所から数メートル、突端側へ。柵の方へ寄って立っていた。歩いた覚えはない。
「もう閉めますよ」
背中から声をかけられた。門扉を閉めに来た係の人だ。
我に返って時計を見ると、目をつぶってから二十分近く経っていた。数えていた拍の記憶は八十までしかない。
Yはその足で帰った。
家で下見の写真を確かめて、一枚だけ消せないものが残った。
連写の中の一枚。灯台の光が海ではなく崖の下を向いて写っている。
灯台の光は水平線へ向けて回る。下は照らさない。構造上そうなっている。

「レンズのフレアだと思いたい。思いたいが、フレアはあんなに真っ直ぐ出ない」
Yは初日の出の場所を変えた。写真は消していないという。消す理由がないからだそうだ。
「お前、ああいうの確かめに行くだろ。波の遅れだけでいい。あれが地形なのか、そうじゃないのか」
一月の下旬、夜にカブで出た。
銚子までは下道で三時間近くかかる。利根川沿いの国道は夜になると信号が減り、対向車のライトと川の匂いだけが続いた。
決めごとを三つ作った。門扉と柵は越えない。波打ち際に下りない。体の位置がずれていたら、その時点で引く。
Yの話の中で一番引っかかったのは光ではない。波の遅れそのものより、歩いた覚えのない数メートルだった。
岬に着いたのは夜十時過ぎ。駐車場に車は二台。釣り人のものらしく、人影は堤の方に見えた。
遊歩道の門扉は閉まっていた。
事前に調べたとおりだ。夜の突端には入れない。門扉の手前と隣の君ヶ浜から確かめると決めてきた。

風が強い。冬の岬の風は音を持って吹く。
門扉の手前に立ち、まず波音を聞き分けた。
正面の岩場から寄せて引く。左手の浜から寄せて引く。重なってはいるが、拍はそろっている。海の音とはそういうものだ。
十分ほどで耳が慣れた。
慣れた耳に、あれが入ってきた。
突端の方角。寄せる音のあと半拍おいて、もう一度寄せる音。
Yの言ったとおりの遅れ方だった。
しばらく聞いて気づいたことが一つ増えた。
遅れた波音には、引きがない。
寄せる音だけが繰り返す。押し寄せる音がして、そのまま途切れる。引き波の砂利を撫でて戻る音がない。

海は寄せて引く。二つで一つだ。引かない波を私は知らない。
灯台の光が頭上を回っていた。
ストップウォッチで計る。十五秒。十五秒。海図どおりの正確さで、白い光が闇を掃いていく。
遅れた波音は、閃光の直後にだけ鳴った。
二十回計って例外は一度もない。光が突端を掃いた一拍あとに、引かない波が寄せる。
君ヶ浜へ移動した。
冬の浜は誰もいない。波打ち際から十分に離れて、砂の上に立った。
ここからは岬が横顔になる。灯台の光が右から左へ流れ、突端の岩場が一瞬だけ白く浮かんでは消える。
浮かんだ瞬間の岩場を目に焼き付けるつもりで見続けた。
岩の形は毎回同じだ。当たり前のことを当たり前だと確かめるために数十回見た。

違ったのは形ではなく、濡れ方だった。
引き潮の時間に入っている。潮位表は確かめてきた。岩の肌は乾いていくはずの時間で、突端の一角だけが閃光のたびに黒く濡れて光った。
波の届かない高さまで濡れが上がっている。
耳の方が先に動いた。
遅れた波音の出どころが、突端から動き始めた。
岩場を離れ、遊歩道の高さへ。門扉のある方へ。
寄せる音だけの波が、舗装の上を進んでいる。
ざ、と寄せては途切れる。半拍おいて少し近くで、ざ。
引かないから、戻る音がない。進む音しかない。
寄せたきり引かない波が、陸を歩いている。

そう思ったとき、自分の爪先が浜の砂を半歩ぶん海側へ向いていた。
向き直した覚えのない半歩だった。
決めごとの三つ目に従い、その場を離れる。
砂浜を戻る足に、遅れた波音はついて来なかった。駐車場に着く頃には、海の音は寄せて引く、二つで一つの拍に戻っている。
カブのエンジンをかける前に、一度だけ岬を見た。
灯台の光が回り、白い塔が浮かんでは消える。
次の閃光を待たずに走り出した。
帰りの利根川沿いで、風はずっと背中から吹いた。追い風の夜は初めてのことだ。
数日後、Yに報告した。
地形なら遅れの幅は揃うこと。あの遅れは揃っていなかったこと。引き波の音がなかったこと。

Yは黙って聞いて、最後に写真の話をした。
「あの一枚な、印刷してみたんだ」
光の筋の先を大きく伸ばすと、崖下の岩場に白い飛沫が写っていたという。
撮影データの時刻は日没後。引き潮で波は岩場のあの高さまで届かない時間だった。
「飛沫の形が、寄せる波のものなんだ。引いてる最中の海で、あそこだけ寄せてる」
Yは今年、犬吠埼で初日の出を撮らなかった。来年は撮ると言っている。昼のうちに場所を決め、日の出の前後だけ入って長居はしないそうだ。
涙痕の碑のことは、Yには話さなかった。
二人の詩人がこの海で亡くなったのは事実だ。一人が呑まれ、一人が助けに入り、二人とも帰らなかった。
引かない波と結びつける気はない。碑は碑で、波は波だ。ここに並べて書いたのは私で、並べたことの責任も私にある。そういう書き方しかできない。
私のほうにも、ひとつ残っている。

帰った晩に洗った上着から、磯の匂いが抜けなかった。
三度洗って、五日かかった。波を被ってもいないのに、匂いだけが染みている。
匂いが抜けた朝、玄関の三和土が一箇所だけ濡れていた。
並べてあった靴の、右の爪先に白いものが浮いている。
指で拭って、舐めはしなかった。舐めなくても分かる。あれは塩だ。
あの晩、波打ち際には一度も下りていない。
あれから、海辺で波の音を聞くと拍を数える癖がついた。
寄せて、引く。二つで一つ。
数が合ううちは、聞いていられる。


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