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一羽なら平気

うちの文鳥には、墓が九つある。
どれも私が小学生の頃に掘ったものだ。玄関脇の柿の木の下に、平たい石を置いて印にしていた。石は母がときどき動かしたので、今はどれがどの墓か分からない。
文鳥は、まだ生きている。私が今年四十一になったから、普通なら、そんなはずはないのだけれど。

八歳の誕生日に買ってもらった白文鳥で、ピコと名づけた。
首の後ろに灰色の羽が二枚だけあった。手に乗せると、爪先が指の皮へ細かく引っかかった。学校から帰るとまず鳥籠を覗き、それからランドセルを下ろしていた。
最初のピコは、飼い始めてひと月ほどで死んだ。朝起きたら籠の底で横になっていた。前の晩まで餌をつついていたのに、身体が軽く、足が乾いていた。
私が泣くので、母は小さな菓子の箱へピコを移した。
「帰ってきたら、お墓を作ろう」
蓋は閉じなかった。最後に顔を見てから学校へ行けるように、と母は言った。

その日、私は二時間目で早退した。
お腹が痛いと嘘をついた。死んだピコを一人で置いてきたことが、急に気になったのだ。家へ帰ると母は買い物に出ていた。居間には、空になった鳥籠が吊ってあった。
隣の部屋から、鳴き声がした。
ピコの箱を置いた部屋だった。
畳の上で、白い鳥が跳ねていた。開いた箱の横を何度も回り、私が膝をつくと、その膝へ乗った。首の後ろに、灰色の羽が二枚あった。
箱の中には、さっきまでと同じように、死んだ鳥が寝ていた。

母が帰るまで、私は二羽を見比べていた。
膝の鳥は生きていた。私の指を噛み、顔を近づけると頬の産毛を引いた。箱の鳥は冷たかった。足の指が曲がったままで、どうしても止まり木をつかめそうになかった。
母は買い物袋を台所へ置き、居間まで来た。
「戻ったの」
嬉しそうな声だった。
私は、どっちが、と訊いた。母は箱を見ずに、膝にいる鳥だよ、と答えた。

初めは、母が同じ鳥を買ってきてくれたのだと思った。
でも、その後も何度か同じことがあった。私が学校から帰ると籠の中に鳥がいて、母は、死んだほうを包む紙を用意していた。真夏に二羽が続けて死んだ時には、餌や置き場所を変えた。父が鳥籠を買い直し、病院へ連れていったこともある。
何をした日でも、新しい鳥は来た。
死んだ鳥のすぐそばに、身体をふくらませて座っている。卵も巣もない。ただ、少し目を離すともういた。
首の灰色の羽の数は、いつも二枚だった。

私は新しいピコをあまり喜ばなくなった。
前の日に埋めた鳥へ悪いような気がした。籠へ指を入れると同じ強さで噛まれたが、そのことが、余計に嫌だった。
母は逆だった。ピコは丈夫になったね、と近所の人へ話していた。鳥が死んだことを言わずに済むので、私も否定しなかった。
九つ目の墓を作った日、母は石を置く私に言った。
「次からは、お母さんがやるから」
私はもう十二歳だった。そろそろ泣かずに一人で埋めなさい、と言われるかと思っていた。

中学生になると、鳥の世話はほとんど母がするようになった。
私が洗い忘れた餌入れを洗い、落ちた羽を掃き、鳥を手に乗せて庭を見せていた。そういう母を見ていると、ピコは幸せなのだと思えた。
ある夜、廊下で小さく羽ばたく音を聞いた。
台所に母がいた。流しの前で、片手に新聞紙を持っていた。その上に白いものが載っていた。
「どうしたの」
私が近寄ろうとすると、母は紙の端を折った。
鳥の頭が、紙から一度だけ出た。灰色の羽が見えた。

「まだ生きてるよ」
私は母の手をつかんだ。
母は困った顔をした。叱られた時より、その顔のほうが嫌だった。
「こっちは、もう駄目なの」
居間へ行けば、籠の中で別のピコが鳴いていた。
死んでから来るのではない。母はそれを前から知っていた。弱ったほうを外へ出すと、元気な鳥だけが残る。私の見ていたピコは、そうやって選ばれていたのだ。
私は包みを受け取ろうとした。母が力を緩めたので、紙の間から鳥をすくった。細い胸が、掌の中で速く動いていた。

自分の部屋で箱を作り、古いタオルを敷いた。鳥籠から外した低い止まり木を入れたが、鳥はそこへ上がらなかった。
母は部屋を覗き、眠れなくなるよ、と言った。
「朝まで、見てる」
私が答えると、母は、好きにしなさいと言って戸を閉めた。
その晩は、ラジオを小さくつけていた。横になると眠ってしまうので、机に頬杖をついた。鳥が動くたび、箱へ顔を寄せた。
明け方、胸の動きが止まった。
しばらく待っても、戻らなかった。私は箱の脇へ座ったまま、眠ってしまった。

目を覚ますと、白い鳥が頬をつついていた。
机の上から私の膝へ下り、袖口の糸を引いた。箱には、昨夜の鳥がいた。片目を開けたまま、横向きに寝ていた。
居間でもピコが鳴いていた。
私は母を呼んだ。
母は箱の中と膝の上を見て、少し息を吐いた。
「二羽になっちゃったね」
責めている声ではなかった。皿を一枚余計に出さなければならない、そのくらいの響きだった。

母は鳥籠をもう一つ買った。
私の部屋に新しい籠を置き、もう一羽には名前をつけなかった。母も私も、こっちの子、と呼んだ。
その鳥も、いつか死んだ。私が修学旅行から帰った日に、籠は空になっていた。母は、今朝死んだの、と言った。
新しい鳥は、と聞くと、母は、来なかったよ、と答えた。顔は普通だった。
私は、自分がいなければ来ないのかと考えた。でも、私が学校へ行っているあいだに戻ったこともあった。母しかいなくても、新しい鳥は来た。その考えでは合わなかった。
私は空の籠を押入れへ入れた。確かめに行く場所を、母はもう教えてくれなかった。

高校を出ると、実家から離れた。
電話をすれば、母はピコのことを話した。今日は指を噛まれた、父のお茶を飲もうとした、カーテンの上から下りない。よくある飼い鳥の話ばかりだった。
私は大学を出て就職し、結婚して、一度離婚した。そのあいだ、ピコはずっと同じだった。帰省のたび、首の灰色の羽を確かめる癖だけが残った。
父が亡くなった年、母に鳥を手放す話をした。もう自分の身体だけでも大変でしょう、と言うと、母は首を振った。
「一羽なら平気だよ」
母には一羽なのだと思った。私が埋めた九羽も、私の部屋にいた鳥も、その数には入っていなかった。

今年の春、母が風邪をこじらせて入院した。
重い病気ではなかったが、家に帰ってもしばらく一人にはできず、私は一週間休みを取った。病室で母は、冷蔵庫のものを先に食べて、雨戸は奥の一枚が固いから気をつけて、と次々に用事を言った。
最後に、ピコの籠の下を見て、と言った。
「何があるの」
「新聞が敷いてあるでしょう。毎日替えて」
母は少し間を置き、紙を広げないで袋へ入れてね、と付け足した。
私は、分かった、と答えた。病室でその続きを聞くのが嫌だった。

その夜、実家で一人で夕飯を食べた。
鳥籠は、昔からある窓際に吊ってあった。ピコは餌を食べていた。まだ若い鳥に見えた。私が指を近づけると寄ってきて、金網越しに爪で押さえた。
籠の下に新聞紙が敷いてあった。糞や餌の殻を受けるため、母が毎朝替えているものだった。
紙の端が、不意に持ち上がった。
風ではなかった。窓は閉まっていた。私は椅子を持ってきて座り、紙を少しずつ広げた。
中に白い鳥がいた。
仰向けになり、両脚を細かく動かしていた。首の後ろの二枚の羽は、紙へ押しつけられていた。

私は鳥を起こした。鳥は、自分では立てなかった。
籠のピコが、急に鳴きやんだ。
掌の鳥を見ていた。頭を横へ倒し、片目ずつ、何度も見た。それから籠の底へ下り、金網へ嘴を押しつけた。
掌の鳥も首を伸ばした。二羽が近づきたがっているように見えたので、私は籠の戸を開けかけた。
その時、掌の鳥の口が開いた。
鳴き声はしなかった。籠の中の鳥が、口を閉じたまま、細く鳴いた。

私は戸から手を引いた。
二羽は同じ向きへ頭を傾けた。同じところで羽を震わせた。掌に載せたほうは、まだ脚が立たなかった。その脚まで、籠の中の鳥が同じ形に曲げようとしていた。止まり木へ戻ると、片脚を浮かせた。
母の言った、一羽なら平気だよ、という言葉を思い出した。
箱を探して立ち上がると、掌の鳥が指をつかんだ。さっきまで動かなかった足だった。細い爪が皮膚へ入り、私は思わず手を振った。
籠のピコが、止まり木から落ちた。

床で、紙の擦れる音がした。
広げた新聞紙の、その下からだった。畳と紙の間に、白い背中がもう一つあった。
私は鳥を握れず、置くこともできず、母へ電話した。もう消灯している時間だった。一度切って、またかけた。
母が出た時、最初に何を言うかは決めていた。
けれど、床の鳥が鳴き始めた。籠の鳥も、掌の鳥も、嘴を開けた。同じ音が三つの場所から聞こえた。
受話器の向こうで、母が、何羽出したの、と訊いた。

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