十数年前、私が大学生だったころの話です。
花火大会の帰り
部活の夏合宿が終わった日、合宿所の近くに実家がある先輩に誘われ、四人で地元の花火大会へ行きました。大会が終わってからも河原に残り、買っておいた手持ち花火を全部使って、少し休んでから東京へ戻ることになりました。
出発したのは午前一時前です。運転席に先輩、助手席にA、後ろにBと私が座りました。
「先輩、疲れたら運転代わりますから」
「高速までは俺しか道が分からないんだ。ゆっくり走って一時間くらいだから、最初のサービスエリアで代わってもらうかもな。俺の車、ぶつけるなよ」
古い深緑色の車でした。先輩がアルバイト代をためて買った車で、本人はかなり気に入っていました。

神隠しの話
走り出して十五分ほどで山道に入りました。この山を越えればインターがあると先輩は言いました。
「この辺りには神隠しの話があるんだ」
明治のころ、迷信だと証明するために山へ入った大学教授が、そのまま行方不明になった。昭和三十年ごろにも、話を調べに来た大学院生が何人か消えた。警察や消防団が捜しても手がかりは出なかった。先輩が子どものころ、地元の年寄りから聞いた話だそうです。
「新聞には載ったんですか」
「地元紙には載ったらしい」
「横溝正史みたいですね」
Aがそう言い、先輩も笑いました。Bは自分の田舎にも似た話があると言って、その怪談を話し始めました。

三人で順番に話した
Bが話し終えると、Aが高校で聞いた学校の怪談をしました。次は私が中学時代に聞いた話をしました。私が終えると、頼まれてもいないのにBが別の話を始めました。
眠気覚ましにはちょうどいい。そう考えて、B、A、私の順で話を続けました。先輩にも話してもらおうとしましたが、運転に集中するから聞くだけでいいと断られました。
何巡目かまでは数えていません。一人が終わると次の一人が話し、考える時間もほとんどありませんでした。それでも順番が来ると、何かしら話すことを思い出しました。

まだ山道にいた
自分が十回以上話したところで、時間がおかしいことに気づきました。三人で三十話以上です。一話を三分としても九十分はかかります。高速道路へ入っているどころか、車はまだ山の中を走っていました。
「おい、お前の番だぞ」
Aに言われ、私はまた話し始めました。話している間は時間の計算を忘れ、終わると思い出しました。
その後も十回か二十回は順番が回ってきました。窓の外に道路標識はなく、対向車も来ません。カーブを曲がった覚えも、坂を上った覚えもありません。車は同じ速度でまっすぐ走っていました。

九十九話目
Aが話を終えたところで、それまで聞くだけだった先輩が口を開きました。
「今ので九十九話目だ」
「そんなに話したんですか、俺ら」
Bは感心し、Aも笑っていました。私は計算しました。一話三分なら五時間近くかかっています。午前一時に出発したので、朝六時前になっているはずです。
フロントガラスの向こうは真っ暗でした。よく見ると、街灯がないだけではありません。ヘッドライトも点いていません。それでも車は速度を落とさず走っていました。

この土地の百物語
先輩は「百物語を知っているか」と聞きました。怪談を一話するたびにろうそくを一本消し、百本目を消すと幽霊や妖怪が現れる。BとAが知っている話を答えました。
先輩によると、この土地では少し違いました。夜中に屋外で百話を終えると、怪異が出てくるのではなく、怪異のいる場所へ入ってしまうというのです。
「明治の教授も、昭和の大学院生も、この話を聞いて」
そこで私は先輩の話を止めました。
「ここはどこですか。もう何時間走ってるんですか。車を止めてください」
先輩は前を向いたまま答えました。
「話が終われば着く。黙って聞け」
先輩の声は普段より低く、言葉の間隔がずっと同じでした。私たちが何を言っても返事をせず、百話目の続きを話しました。
車を止めろ
Aは助手席からハンドルへ手を伸ばし、Bは後ろから先輩の肩をつかみました。私はブレーキを踏めと繰り返しました。
「話が終わったら着くから、黙って聞け」
先輩は同じ調子で話し続けます。

「先輩、すみません」
Bが先輩の頬を殴りました。
タイヤが鳴り、車が急に止まりました。シートベルトが胸に食い込み、私は前の座席に額をぶつけました。

時計は一時半だった
顔を上げると、ヘッドライトが道路を照らしていました。少し離れた場所に民家の明かりが見え、街灯も点いていました。
先輩は頬を押さえながら、私たちを見ました。
「どうしたんだ。白いものが前を横切ったから、急にブレーキを踏んで」
先輩は、山道へ入って神隠しの話を始めたところまでしか覚えていませんでした。そのあと黒いもやが見え、すぐに白い影が車の前を横切ったと言いました。

時計を見ると一時半を少し過ぎたところでした。山道へ入ってから三十分ほどしかたっていません。
車の横に、膝くらいの高さの石の祠がありました。四人とも車を降り、誰も何も言わずに手を合わせました。先輩は左の頬が痛むから、高速道路へ入ったら運転を代わってくれと言いました。

話の中身を思い出せない
運転をBに代わり、そのまま東京へ戻りました。帰り道では何も起きませんでした。
あの夜の怪談は、最初に話した数話しか覚えていません。三十話近くは自分で話したはずなのに、題名も筋も出てきません。AとBも同じでした。
何年かして部のOB会があり、先輩、A、B、私の四人がそろいました。あの夜の話になり、長時間の運転で時間の感覚が狂ったのではないか、集団催眠のような状態だったのではないかと話しました。
先輩だけは笑いませんでした。
帰り際、先輩は、あの道で最近また失踪があったと言いました。地元の若者を乗せた車が山道へ入るところを見られ、それから行方が分からなくなったそうです。
車も、乗っていた人たちも見つかっていません。



