千葉県勝浦市の海沿いに、おせんころがしと呼ばれる場所がある。
大沢の集落から西へ続く断崖で、高さは数十メートル。
太平洋へ向かって切れ落ちた壁が四キロにわたって連なる。

昔はこの崖の中腹を旧国道が通り、陸の難所として知られていた。
今は新しい国道とトンネルが海側の交通を引き受け、旧道は廃道になっている。
一部だけが遊歩道として残された。
旧道が現役だった頃は、崖の中腹を人馬が通った。
海側に柵はなく、陸の難所と呼ばれた時代が長い。
地名そのものが、落ちた人間の記憶でできている。
名前の由来はお仙という娘の伝承だ。

細部の違う話が幾つも伝わっている。
強欲な領主の父を改心させるため、娘のお仙が崖から身を投げたという型。
これは勝浦市の公式ページにも載っている。
もう一つは身代わりの型だ。
年貢に怒った領民が夜に領主を襲い、簀巻きにして崖から投げ落とした。
翌朝、浜で見つかったのは父の着物をまとったお仙の亡骸だった。
娘が身代わりになったと知った領民は泣き崩れ、供養塔を建てたと語られる。
継母がお仙を崖の上へ呼び出して突き落としたという型まである。
どの型にも共通するのは、お仙が崖の下で死ぬことだ。
もう一つ共通点がある。
突き落とす側と落ちる側が、型ごとに入れ替わることだ。
父の身代わり、領民の誤り、継母の手。
誰が落とし誰が落ちるのかが揺れ続け、崖だけが動かない。
いつの時代の話なのかは、どの資料にも書かれていない。
市史にも郡誌にも年代の記載が見当たらないことを、現地を検証した人の記録で知った。
伝承だけがあって、時代がない。
昭和二十六年には実際の事件が起きている。
勝浦駅で声をかけられた母子四人がこの崖から投げ落とされ、三人が命を落とした。
生き残ったのは十一歳の長女ひとり。
犯人は各地で八人を殺した男で、後に処刑された。
伝承の崖に、記録の残る死が重ねられている場所だ。
生き残った長女は、崖の途中の草むらに隠れて助かったと記録にある。
十一歳が、家族の落ちた崖の中腹で夜を明かした。
この一行だけで、この場所の重さは足りている。
噂も並べておく。全てネットで確認できる範囲のものになる。
夜、崖の近くで女のすすり泣きを聞いた。
風の強い夜や霧の出た夜に多いという。
姿のない足音がついてくる。
写真に黒い人影が写り込む。
カメラのピントが急に合わなくなり、シャッターが切れなくなる。
一番引っかかったのは崖下の噂だ。
月の弱い夜、崖の下の磯に白い影が立ち、こちらへ手を振っている。
波かと思って目を凝らすと、人の形をしていたという。
手招きの噂には続きがない。
振り返した者がどうなったのかを書いた記録は、探した範囲では見つからなかった。
続きのない噂は、続きを確かめた者がいないか、確かめた者が書けなかったかの、どちらかだと思っている。
友人Mの話をしておく。

Mは外房の磯で釣りをする男で、機材の防水の相談から付き合いが始まった。
おせんころがしの名前を出すと、Mは竿の手入れの手を止めた。
「上から下を見ても、応えるな」
十年ほど前だという。
夜釣りの帰り、Mは仲間と旧道側の高みから磯を見下ろした。
潮の具合を確かめるだけのつもりだったらしい。
月は細く、磯は黒い塊にしか見えない夜だ。
ヘッドライトを消すと、波頭の白だけが順番に生まれては消えた。
磯の先に白いものがひとつ。
波の泡だと思ったそうだ。泡は引かない。
同じ場所に残ったまま、ゆっくり左右に揺れていた。
仲間が先に言った。
人だ。誰か落ちてる。
Mたちは警察を呼んだ。
夜の磯を照らす捜索は明け方まで続き、誰も見つからなかった。

落ちた形跡も、釣り客の届け出もなかった。
引き上げる間際、係の人が独り言のように言ったそうだ。
ここはたまに、こういう通報がある。
責める口調ではなかったそうだ。
慣れの混ざった低い声だったという。
何件あるのか、いつからなのかを、Mは聞けなかった。
聞けば数が形になる。形になった数は、次から自分の目が探し始める。
そんな気がしたからだと言っていた。
Mが引っかかっているのは白いものの動きだ。
左右の揺れは、思い返すほど手招きに見えてくる。
仲間は今も、あれは手を振っていたと言い張っている。
「呼ばれて降りた人間がいるのかは知らん。降りて確かめた人間もいないだろ」
Mはそれきりこの話をしない。
七月最初の平日に出た。

自宅からカブで下道をおよそ二時間。
外房の海沿いを南へ下る。
梅雨の名残の雲が水平線に低く残り、海は鈍い銀色をしていた。
海沿いの区間に入ると信号が減り、トンネルと入り江が交互に来る。
カーブのたびに潮の匂いが濃くなったり薄くなったりした。
御宿を過ぎ、勝浦の港町を抜ける。
干物屋の軒先と朝市の看板が流れていき、道はまた崖と海に戻った。
外房のこの区間は、集落と断崖が交互に来る。
人の暮らしのすぐ横に、数十メートルの落差が普通の顔で並んでいる。
行川アイランド駅の前を過ぎる。
閉園した施設の名前を掲げたままの無人駅だ。
ホームの向こうには崖と海しかない。
時刻表の本数は片手で足りる。
駅から百メートルほど小湊寄り、おせんころがしトンネルの手前に広場がある。
ここにカブを停めた。
先客はいない。民家もない。自販機の一台もない。
国道を走る車の音だけが、一定の間隔で背中を通り過ぎていく。
ヘルメットを荷台に固定する音が、広場に大きく響いた。
広場の隅に案内の看板が立っている。
伝承の概要と、足元への注意。
夜間の立ち入りに触れた文字はない。
触れる必要がないのだろう。夜にここへ来る理由が普通はない場所だ。
遊歩道の入口には草が寄っていた。
歩く人の少なさが道幅に出ている。
左手は山の斜面、右手は低い柵の向こうに海。
崖の縁はすぐそこにある。
舗装の割れ目から伸びた草が、風のたびに同じ方向へ倒れた。
供養塔は旧道の途中に立っていた。

「孝女お仙之碑」。
彫りは深く、石の角は潮風で丸くなっている。
建立の年代はどこにも刻まれていない。
台座に寺の名前だけが刻まれ、その寺は五百メートルほど離れた山の上にあると調べてあった。
伝承にも碑にも、時代を示す数字がひとつもない。
碑の右に小さな地蔵が祀られている。こちらにも文字はない。
線香は持っていないので、水筒の水を左手で石の前に垂らし、手を合わせた。
碑の前は狭い。
背中のすぐ後ろが柵で、柵の下はもう崖だ。
手を合わせている間、波の音が真下から聞こえ続けた。
音の出どころが足の裏より下にある。
この位置関係だけで、ここが供養の場所である理由が分かる。
カメラを構えた。
碑にピントが合わない。
レンズは前後に迷い続け、碑の輪郭を掴んでは手放す。
背景の海には一瞬で合う。碑にだけ合わない。
レンズを拭き、設定を変え、三度目でようやく固まった。
機材の不調の噂は頭にあった。
潮気のせいだと整理して先へ進んだ。
碑の左側から、上へ続く細い道が伸びている。
砂岩の斜面に足場を刻んだだけの道で、崩れやすく、幅は肩ほどしかない。
三点で支えながら登り切ると、視界が開けた。

右手に垂直の崖が四キロ。
眼下に大沢の港、その先に入道ヶ岬。
海面までの高さに膝の裏が縮んだ。
柵はない。風だけが下から吹き上げてくる。
四キロの壁は途中で幾つも襞を作り、襞ごとに影の濃さが違う。
旧道の名残らしい平場が壁の中腹に細く見えた。
あそこを人と馬が通った時代がある。
落ちれば止まる場所はない。
景勝地と呼ばれる眺めのはずが、目は距離ばかり測っていた。
日が傾き始めている。
波の音は一定のはずだった。
岩を叩く低い音の間に、別の拍子がひとつ混ざる。
高くて細い。周期が波と合っていない。
すすり泣きの噂は知識として入っていた。
風が崖の襞を鳴らす音だと説明はつく。
説明をつけたまま、録音機の向きだけそちらへ変えた。
背後で砂の鳴る音がした。

砂岩の道を踏む音だ。
登ってくる者がいるのかと振り返った。
道は空で、広場の方まで人影はない。
音は一度きりで止んでいる。
靴の中の指が少し丸まった。
下りにかかった時、崖の下が目に入った。
大沢港の手前の磯。
岩の黒の中に、白いものがひとつある。
波の泡だと思った。泡は引かない。
同じ場所で、ゆっくり左右に揺れている。
Mの話がそのまま足元にあった。
目を離さずにカメラを向けた。
ファインダーの中でレンズが迷う。
海面に合い、岩に合い、白いものだけを素通りする。
肉眼では見えているのに、画面の中では像を結ばない。
露出を変え、拡大する余裕はなかった。
片目をファインダーから離して肉眼と見比べる。
白は磯の同じ位置にいる。
潮が満ちれば沈む高さだ。
立てる足場があるようには見えなかった。
白いものの揺れが少し大きくなった。
左右の振りに、上下が加わる。
振り子とは違う動きだ。
人が腕を上げて振る時の、あの形に近づいていく。

応えるな。
Mの声で足が決まった。
手は振らない。目礼だけを崖の下へ送り、砂岩の道を降りた。
振り返らずに碑の前を過ぎ、遊歩道を戻る。
背中の側で波の音がずっと続いていた。
別の拍子は、聞き分けようとしなかった。
広場でカブが待っている。エンジンは一発でかかった。
日暮れの国道128号を北へ戻る。
ミラーは道路だけを映すよう、いつもより角度を上げた。
トンネルを抜けるたびに耳の奥で気圧が抜ける。
行川アイランド駅の灯りが一瞬だけ流れた。
無人のホームに照明だけが点いている。
誰も降りない駅の灯りは誰のために点いているのかを、考えかけてやめた。
自宅の庭にカブを入れた頃には、あたりは虫の声に沈んでいた。
素材の確認はその晩のうちに済ませている。
碑のカットは三度目の一枚だけが使える。
前の二枚は碑の部分だけが滲み、背景の海は細部まで写っていた。
滲み方は手ぶれの形と違う。
碑の輪郭に沿って、そこだけ膜がかかったような滲みだった。
崖の上からのカットを開いた。
白いものは写っている。
岩の上で揺れる、細い白。
肉眼の記憶より輪郭がはっきりしている。
ピントが合っていた。
素通りし続けたはずのレンズが、この一枚では白いものだけを掴んでいる。
海も岩もぼけていた。
撮影情報を開いて、指が止まった。
被写体距離の欄に、一・二メートルとある。

崖の高さは数十メートル。磯まではさらに距離がある。
レンズが一・二メートル先として掴んだものが、あの白の正体ということになる。
ファインダーを覗いていた私の、腕の先ほどの位置。
そこに何がいたのかは、素材のどこにも写っていない。
録音機の方も確かめた。
崖の上で拾った別の拍子は、再生では波の音に埋もれて聞き取れない。
ひとつだけ、砂の鳴る音がはっきり入っていた。
振り返って誰もいなかった、あの一度きりの音。
再生では、二度入っていた。
一度目の直後、私が振り返るより前に、もう一度。
数日後の夜、固定電話が鳴った。Mの声だ。
行ったのか、とだけ聞かれた。行ったと答えた。
振ったか。
振っていない。
目礼だけだと答えると、受話器の向こうで短く息が抜けた。
安堵の音に聞こえた。
ならいい。あそこの白いのはな、近い方から順に見えるんだと。
誰から聞いた話なのかを聞き返す前に、電話は切れた。
かけ直す気にはなれなかった。
Mの言葉は今も机の上に置いたままにしている。
近い方から順に見える。
あの白が一・二メートルの位置で像を結んだことと、この言葉を並べると、座りが良すぎる。
ここから先は私の憶測になる。
お仙の伝承には年代がない。
市史にも郡誌にも碑にも、時代を示す数字がひとつも残っていない。
物語は普通、いつの話かが決まって初めて過去になる。
年代を持たない話は、過去に置き場がない。
置き場のない話は、今の側に立っている。
崖の下で手を振る白いものが誰なのかは分からない。
お仙なのか、昭和二十六年の誰かなのか、それより後の誰かなのか。
決める材料を、この場所は最初から渡してこない。
分かっているのは、レンズが測った距離だけだ。
一・二メートル。
近い方から順に、見える。


