眠れない夜には、近所をあてもなく歩くことにしている。
撮影で見聞きしたものを家へ持ち帰りたくない晩がある。ただ寝つけないだけの晩もある。ひと気のない住宅街をゆっくり歩いていると、強ばっていた気持ちがほどけていく。
そういう夜歩きを、私はもう何年も続けてきた。怪談を追って各地を巡る暮らしのなかで、夜の道だけが頭を冷やす場所になっていた。夜の町には昼には見えないものが置き去りにされている気がしてならない。

散歩のコースのなかほどに、小さなコイン駐車場がある。
十台ぶんほどの区画が白線で仕切られただけの、よくある時間貸しの駐車場だ。出入口の脇には古びた精算機が一台立っていて、その上に空き状況を知らせる電光の表示板がついている。
深夜に通るころにはたいてい一台も停まっておらず、表示板にはいつも青い「空車」の文字が灯っていた。車の出入りなど一度も見たことがなく、ただ無人の区画が街灯の下で青白く沈んでいる。精算機の表示板は古びてところどころ電球の切れた文字が欠けていた。
その晩、私はその表示板に、ふと足を止めた。

青いはずの文字が赤く灯っている。「満車」と読めた。深夜の住宅街で満車になるほど車が入ることなどあるのだろうかと、私は白線の中を覗き込んだ。区画の上には、車が一台も停まっていない。
がらんとした空き地が、街灯の下に広がっているだけだった。白線の引かれた地面のどこを見渡しても、タイヤの跡ひとつ残っていない。
表示板の故障だろうと、そのときは思った。機械が古びていれば、文字の一つくらい狂うこともある。私はそう考えて、赤い「満車」を背にしたまま駐車場の前を通り過ぎた。
それからというもの、その駐車場の前を通るたびに、表示板が気にかかるようになった。

たいていの晩は青い「空車」が静かに灯っている。けれど何日かに一度、ふいに赤い「満車」が点いている晩があった。そういう晩はきまって白線の中には一台の車もない。空っぽの区画の上で、満車という二文字だけが、赤くひとりでに灯りつづけていた。
車のいない区画の上で赤い光だけが灯っているさまは、空っぽの口が何かを呑み込んだあとのように見える。故障ならいつ直してもいいはずなのに、誰かが直した様子もなかった。
私は精算機の画面のほうも見るようになった。
ふだんの精算機の画面は、料金の案内を表示したまま青白く光っているだけだ。ところが「満車」の灯った晩には、その画面に、見覚えのない表示が並んでいた。車のナンバーと停めた時刻と、加算されていく料金がそこにある。それが画面の上のほうから一台ぶんずつ、行を増やしていくのだ。

停まっている車は、一台もない。
それなのに精算機の中では誰かの車が次々と入庫し、料金がじりじりと加算されつづけている。私は画面に並んだナンバーをなんとなく目で追った。どれも古い形式の、いまはもう見かけない地名のナンバーばかりだった。走っているところなど、想像もつかない。
登録の地名も数字の並びもどれも何十年か前の様式のまま止まっている。停めた時刻の欄だけがどれも判で押したように真夜中を指していた。
私は数えるようになった。

赤い「満車」が灯った晩の数と、精算機の画面に増えていく車の台数。二つを照らし合わせてみると、それはいつもぴたりと同じだった。表示板が一度「満車」になるたびに、画面の中の車が一台ずつ増えていく。
外の区画はいつまで経っても空っぽのまま、機械の中だけが少しずつ満ちていった。外で表示が満ちるたびに、機械の中の見えない車庫が一台ぶんずつ埋まっていく。数だけが外と内とでいつも釣り合っていた。外で何が起きているのかを、機械のほうが先に知っているかのようだ。
ある晩、私は思いきって白線の中へ足を踏み入れてみた。

赤い「満車」の灯る、その夜のことだ。空っぽの区画を、街灯の明かりだけが照らしている。私はその中ほどに立って、精算機のほうを振り返った。画面には、いつものように車のナンバーがずらりと並んでいる。台数は、もう二桁になっていた。
画面の数字は、私がこの駐車場の前を通ってきた晩の数とちょうど重なっている。一台ぶん増えるごとに、画面の文字がほんのわずかこちらへにじり寄る気がした。
そして、もう一度、区画のほうへ目を戻したときだ。
がらんとしていたはずの白線の中が、車で埋まっていた。古い形のくすんだ色の車ばかりが、区画という区画にぴたりと一台ずつ収まっている。どの車もヘッドライトを消しフロントガラスを夜に向けて、ひっそりと停まっていた。走り出す気配は、どこにもない。

どの車も停まっているというより、ずっと前からそこに据え置かれているかのようだった。ナンバーはどれも画面に並んでいたあの古い地名のものばかりだ。
まばたきを一つした。
その一瞬で車はすべて消えていた。区画はまた、がらんとした空き地に戻っている。エンジンの音もドアの閉まる音も、何ひとつ聞こえはしなかった。残ったのは、白線の上にうっすら漂う排気のにおいだけだ。街灯の下に白線だけが冷たく光っていた。
私は自分が今その車の群れの真ん中に立っていたのだということに、しばらくして気づいた。

それからは、あの駐車場を通らないようにしている。
夜歩きのコースそのものを駐車場のない裏道のほうへ変えてしまった。遠回りにはなるが、もうあの赤い表示を見上げる気にはなれない。覗いた一瞬にだけ満ちる、あの車の群れの真ん中に、二度と立ちたくはなかった。
駐車場を避けるようになって、表示板のことは、しだいに頭から薄れていった。
夜の散歩そのものも、気がつけば回数が減っている。あの赤い「満車」も、機械の中で増えていく台数も、もう私の前に並ぶことはない。家の中まで料金が届くことだけは、最後までなかった。精算機からの請求めいたものが郵便受けに入っていたことも一度もない。

ただ、ひとつだけ、いまも腑に落ちないことが残っている。
しばらく経って、私は昼間に一度だけ、あの駐車場の前を通りかかった。明るい日ざしの下で表示板は青い「空車」を灯し、区画にはふつうの車が何台か停まっている。精算機の画面も、ただ料金の案内を映しているだけだった。昼間の駐車場は出入りする車で賑わい、どこから見てもふつうの時間貸しだった。夜のあいだだけ、この駐車場は別の顔に入れ替わるらしい。
ただ、空き区画が一つだけ、白線の内側を新しく塗り直したように白い。
ほかの区画の線はどれも薄く擦れているのに、その一つだけがついさっき引き直されたように際立っていた。誰が引き直したのかは、分からない。あの夜、私が立っていたのは、ちょうどその区画のあたりだった気がする。白く塗り直された一区画だけが、夜のあいだに何かを迎え入れる支度のように見えてならない。

機械の中で増えていった車は、いったい何を待って入庫しつづけていたのか。
加算されていく料金を、最後に払うことになるのは誰なのか。覗いた一瞬にだけ満ちる車の群れと、私が立っていたあの一区画とは、どこかでつながっているのだろうか。表示板が「満車」を灯すたびに数えられていたのが、車ではなく私の通った回数だったのだとしたら。
夜になると、あの駐車場の表示は、今もきっと一台ずつ、その数を増やしている。


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