三沢から電話が来たのは、盆を過ぎた蒸し暑い晩だった。
固定電話の受話器を取ると、いつもの釣りの話ではない。房総の岬で撮った写真に妙なものが写っていたのだと、三沢は切り出した。声にいつもの張りがない。
その岬の名を聞いて、私は少し黙った。南房総の富浦の先にある岬だ。館山湾と富浦湾に挟まれた小さな山のような岬。名は大房岬という。
三沢は先週、館山まで釣りに来たついでにその岬へ寄ったらしい。天気のいい昼下がりだったという。岬の突端には、戦争のころの要塞の跡が残っている。砲台の跡。発電所の跡。山の腹をくり抜いた地下の通路。三沢は物好きにも、その一つ一つを写真に収めていった。
問題は、砲台の跡で撮った一枚だった。

コンクリートで固めた円い窪みがある。大砲を据えるための台座だと看板に書いてあったという。三沢がそこを撮ったとき、窪みには誰もいなかった。あたりに人の姿もない。
家に帰って写真を見ると、その窪みの縁に人が座っていた。
軍帽らしきものをかぶった影の濃い人影だ。膝に手を置き海の方を向いて腰かけている。顔の造作は暗くて見えない。
同じ場所で三沢は続けて何枚か撮っていた。前の一枚にも後の一枚にも、その人影はいない。窪みに座った姿が写っているのは、まん中の一枚だけだった。
三沢はもう一度その場所を見に行く気にはなれないらしい。

「お前、こういうのを確かめて回ってるんだろう」
受話器の向こうで、三沢はそう言った。写真を送ろうかと聞く声が少しかすれている。
私はその写真を、送らなくていいと答えた。行けば分かる。十六の年から、この手のものを三千は見て回ってきた。詳しいというより、確かめないと寝つけない性分なのだ。
大房岬のことは、前から知っていた。
この岬は江戸のころから首都を守る要地だった。黒船が来るずっと前から海の見張りが置かれていたという。日露の戦の前には海軍がここの断崖を的にして軍艦の大砲を撃つ演習をした。崖にそのときの砲弾の跡が今も残っている。
太平洋戦争のころには陸軍が東京湾の要塞としてここを固めた。昭和三年から四年をかけて砲台を築き発電所を通し、山の腹に地下の通路を掘った。海に向けて探照灯の光を放つためだ。夜の海に敵の船を探す、大きな灯りだった。

地下の通路はその探照灯を運ぶために掘られた。奥には昇降機があって、灯りを地上へ持ち上げたという。壕を掘り灯りを据え、海をにらむ。若い兵がそこに詰めていた。
要塞であった間この岬は地図から消されていた。軍の機密として地図の上でははじめから無いことにされていたのだ。
地図から消された岬。その言い方が前から頭に残っていた。
戦のあと岬は自然公園になった。今はキャンプもできる。海水浴の客も来る。だが要塞の跡は、そこかしこに残っている。発電所の跡は危ないからと入口をコンクリートで塞がれた。地下の通路も砲台の跡も、山の緑に沈むように静かにそこにある。
岬の一角に洞穴がある。奥が深く、まだ人の入っていない場所も多いという。その入口に弁財天の祠が祀られている。

土地にこんな伝説が残っている。千三百年の昔、人を苦しめた海賊が役の行者に捕らえられ、この洞穴に閉じ込められた。のちに慈覚大師に助けられ、海賊は金の竜となって天に昇った。その竜が抜け出した跡が、この洞穴なのだという。
洞穴のあたりでは、今もおかしな音を聞く者がいる。兵隊の姿を見た、身を投げた者の影を見た。そういう噂がこの岬にはついて回る。噂の多くはあの地下の通路と崖の下から始まっていた。
翌日の日暮れを待って、私は南房総へ向かった。
高速に乗れない車体だから、下道を三時間かけて南へ下っていく。海沿いの道に出るころ、日はとうに落ちていた。潮の匂いがヘルメットの中にまで入ってくる。富浦の集落を抜けて多田良の方へ入る。岬へ上がる道は街灯もまばらだった。
駐車場にカブを止めて、そこから歩いた。要塞の跡までは一キロほどある。時刻のせいかほかに人の車はない。夜の遊歩道は木の葉の匂いと、下から突き上げてくる海鳴りに包まれていた。

坂を上るほど海鳴りが体の芯に響いてくる。木立の切れ間から黒い海が一度だけ見えた。灯りの一つもない、ただ黒いだけの海だ。
懐中電灯の輪の中に、古い看板が浮かんだ。要塞跡地、と書いてある。矢印の先を進むと、木立の中にコンクリートの構造物が現れた。
砲台の跡だ。
円い窪みが地面にいくつも据えられている。三沢の写真の場所だとすぐに分かった。窪みの縁は七十年の雨と潮で角が丸くなっている。海に向いた側だけがわずかに低い。
その一つに、私は懐中電灯を向けた。
窪みの中は空だった。枯れ葉が数枚、底に溜まっているだけだ。

海鳴りが、少し遠のいた気がした。
砲台の跡から山の腹へ向かって、口を開けた通路がある。探照灯を運んだ地下の道だ。コンクリートの枠が闇の中へまっすぐ続いている。入口の上に、うっすらと数字らしきものが彫られていた。
中へ入ると、空気が変わった。
外は夏の夜だというのに、通路の中は井戸の底のように冷たい。日中も薄暗く冷えると聞いてはいた。夜のそれは、冷たさの度合いが違う。吐く息が懐中電灯の光の中でうっすら白い。
壁は、素掘りのままの荒い肌をしていた。指でなぞると、湿った土が爪の先に残る。この壁を、若い兵たちが掘ったのだ。灯りを据え、海をにらむために。

奥へ進むほど、海鳴りが遠くなる。代わりに自分の足音だけがコンクリートの壁に反響した。
その足音が半拍おくれて背後から返ってくる。
歩みを止めても、もう一つの足音が少し遅れて止まった。
通路の奥に、行き止まりの壁がある。かつて昇降機があったという四角い穴が、天井に向かって開いていた。穴の奥は、懐中電灯の光も届かない、ただの黒い口だ。
その壁の手前で、私は立ち止まる。

海鳴りに混じって、低い声のようなものが聞こえはじめた。言葉ではない。何人もの男が遠くで低く唸っているような、そんな響きだ。
声は天井の穴の方から、ゆっくり降りてくる。
私は懐中電灯を、砲台の方へ向け直した。来た道を、静かに戻る。振り返らないと決めていた。
砲台の跡まで出ると、さっきの窪みがまた目に入った。
その縁に、人が座っている。
軍帽をかぶった影の濃い後ろ姿だ。膝に手を置き海の方を向いて腰かけている。三沢の写真の、そのままの姿で。動く気配はない。ただ、暗い海を見ている。

私は近づかなかった。名も呼ばなかった。
見てはいけないものを見たときは、気づかないふりをする。これまでの経験が、そう教えている。
懐中電灯を伏せて、来た道を駐車場へ引き返した。
遊歩道を戻る間、背後で足音が鳴っていた。
私の足音のほかに、もう一つ。革靴の底が砂利を踏むような、硬い音だ。私が止まればその足音も止まる。私が歩けばまた鳴りはじめる。坂を下りきるまで、その音はついてきた。

駐車場に着いて、カブにまたがった。エンジンをかけても、しばらく手が動かない。背後の砂利の音は、いつのまにか消えていた。その晩は、それ以上何も起こらない。
三沢には、あくる日に電話で伝えた。あの砲台には確かに何かがいる、と。近づかなければ悪さはしない、と。写真は、消さずに置いておけと言っておいた。
写真の人影が兵隊なのか身を投げた者なのか、金の竜の伝説と関わりがあるのか。私には、分からない。ただ、地図から消された岬に今も残されたものがいる。海をにらんだまま、七十年、そこに座り続けている。それだけは、確かだった。
今もあの岬の遊歩道を夜に歩くと、背後の足音が一つ多い。
革靴の底が、砂利を踏む音が。


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