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白線の下

古い白線を削ると、下から敷居が出てきた。
木の敷居だった。両端を切ったように道の途中で終わり、中央だけが靴で踏まれて凹んでいた。
三浦は機械を止めた。

そんなものが埋まっているはずはなかった。住宅街の舗装道路で、白線を削る作業は表面を薄くさらうだけだ。家を壊して道にしたとしても、敷居を残したまま舗装するわけがない。
三浦はしゃがみ、指先で触った。硬いアスファルトだった。

隣で作業していた野崎を呼んだ。
「これ、木に見えない?」
野崎は照明を少し傾け、確かに、と笑った。
「模様だな」
指で擦ると黒い粉がついた。木屑は出なかった。

深夜の道路工事だった。歩道のない細い道に、車と歩く人を分ける線を引き直していた。三浦はその仕事を始めて二年、野崎は十年以上になる。古い線を落とし、位置を確かめ、新しい線を引く。夜のうちに区切りまで終え、朝には道路を開けなければならなかった。

木に見えるところは、長さが一メートルほどあった。三浦はもう一度機械を当てようとした。野崎が、そこはいい、と言った。
「面は出てる。削りすぎる」
三浦はうなずき、次へ進んだ。
機械が離れると、敷居は少し低く見えた。そこだけ一段下へ落ちているようだった。

作業車へ道具を取りに行く途中、三浦はその場所を踏んだ。足首ががくりと曲がった。段差を見落として踏み外すときの感覚だった。
転びはしなかった。持っていた道具を落とし、野崎に、大丈夫か、と声をかけられた。

長靴の底を見ても、何もついていなかった。路面も平らだった。三浦は足をもう一度置いた。今度は普通に立てた。
「疲れてるんじゃないか」
野崎が言った。三浦はそうかもしれないと答えた。
その日、昼間も別の現場へ出ていた。

白線を引き始めるころ、雨が少し落ちた。すぐ止んだが、風が冷たくなった。路面の状態を確かめ、作業を続けた。
野崎が先に進み、三浦は後ろから仕上がりを見ていた。白い線が敷居の模様を覆った。少しほっとした。

その直後、路面の下で戸が引かれた。
音は二人とも聞いた。古い引き戸が、途中でつかえてから動く音だった。
野崎が後ろを向き、家の窓を見た。
道の両側の家は、雨戸を閉めていた。どの家も灯りが消えていた。

「今の、下じゃないですか」
三浦が言うと、野崎は機械を止めた。白線の上へ顔を近づけ、すぐに立った。
「線、踏むなよ」
注意としては普通だった。三浦は返事をした。
野崎の顔が、照明の色より白く見えた。

区切りまで終えると、道を塞いでいた器具を少しずつ片づけた。まだ車は通さず、三浦は端で人の通行を見ていた。
犬を連れた女の人が来た。朝の散歩には早すぎる時間だった。犬が路面へ鼻を寄せ、白線の手前で止まった。
女の人は綱を引いた。
「行くよ」
犬は動かなかった。

三浦は、反対側を通ってください、と案内した。女の人は礼を言い、犬を抱いた。その腕の中で、犬は白線へ向かって小さく唸った。
女の人が離れたあと、三浦は線を見た。敷居のあった場所だけ、白さが違っていた。濡れて透ける紙のように、下の木目が見えていた。

三浦は野崎を呼びに行った。
戻ると、線の脇に靴が一足あった。
作業靴だった。野崎のと同じ、踝まで覆う黒い靴。片方だけではなく、二つ揃えて置いてあった。三浦は野崎の足元を見た。本人は同じ靴を履いていた。

野崎は靴を見ずに、三浦の腕を引いた。
「片づけるぞ」
「これ、誰の」
「触らんでいい」
三浦は振り返った。靴はなかった。代わりに、白線の中へ二つ、黒い凹みがついていた。上から押しつけた足跡ではなく、向こう側で脱いだ靴を見下ろしているようだった。

帰りの車で、三浦は野崎に何度も聞いた。野崎は最初、寝不足で変なものが見えたんだろう、と答えた。
「二人とも?」
三浦が言うと、野崎は黙った。

しばらくして、野崎は去年の現場の話をした。同じ道で、小さな補修をしたことがあった。そのときも、線の下に木のようなものが見えた。
「そのまま塗ったんですか」
「塗るだろ。道なんだから」
野崎は苛立って言った。
「木の戸があるから止めますって、誰に言うんだよ」

その現場のあと、夜に歩いていた人が転んだという話を聞いた。工事と関係があるかは分からなかった。路面を確かめても段差はなく、作業の不備とはされなかった。
「でも、靴を取られたって言ってたんだと」
野崎は前を向いたまま言った。
「片方、なくなってたらしい」

三浦は会社へ戻り、作業記録に、路面の一部に異常を感じた、と書いた。具体的に書けと言われ、足を踏み外した感覚があった、と直した。
翌日、責任者と二人で現場を見に行った。白線はきれいに引けていた。どこを歩いても段差はなかった。三浦は自分の書いた記録が、ただの言い訳に見えてくるのを感じた。

向かいの家の男の人が出てきた。工事の音がうるさかったかと心配したが、男の人は別のことを聞いた。
「うちの前、夜中に誰か立ってました?」
三浦は犬の散歩の女性のことを話した。
「犬じゃなくて。男の人」
男の人は門の下を指した。
「隙間から靴だけ見えたんです。ずっと」

三浦は責任者を見た。責任者は、作業員でしょう、と答えた。人数を伝え、必要があれば会社へ連絡してほしいと名刺を渡した。
男の人は納得したようだった。
三浦には、名刺を受け取ったその手が、少し震えて見えた。

一週間後、同じ道で再び作業が入った。新しい線の一部が傷んだという連絡だった。原因を調べ、必要なら補修する。
三浦は休みたかったが、言い出せなかった。野崎は普段通り支度をしていた。

傷んでいたのは、敷居のあった場所だった。
線の真ん中が、細長く剥がれていた。車が通って削れたなら、ほかにも跡があるはずだった。そこだけ、内側から持ち上げたように塗膜が反っていた。
野崎はその端を見て、顔を背けた。

三浦が照明を近づけると、剥がれた下に暗がりが見えた。
木の敷居の向こうに、床があった。道の下へ垂直に落ちているのではなく、玄関の外から家の中を見るように、水平に奥へ続いていた。
自分が見下ろしている角度と、床の向きが合っていなかった。

奥に、靴が一足置いてあった。
野崎の靴だった。黒い作業靴の右の踵に、白い塗料が三日月形についていた。前の晩、本人が擦って落とそうとしていた跡だった。
三浦は野崎を見た。

野崎は道の端に座り、片足の靴紐をほどいていた。
「何してるんですか」
「砂、入った」
野崎は靴を脱いだ。靴下の踵が濡れていた。地面は乾いていた。
三浦が近づくと、野崎は自分の足を見て、何だこれ、と言った。

路面の下で、誰かが足を引きずった。
野崎の靴下が、少しずつ下へ引かれた。野崎は踵を地面へつけ、両手で足首を持った。三浦は肩をつかんだ。
「立って」
野崎は立とうとして、膝を折った。
白線の下から、低い声で、脱いで、と聞こえた。

三浦は靴を拾い、野崎の足へ押しつけた。うまく入らなかった。野崎が自分で踵を踏みこみ、紐を結ばずに立った。
足音が二つ重なった。
一つは地上で、もう一つは白線の下で、同じように立ち上がった。

三浦は機械を動かし、線を削った。敷居の模様が消えるかどうか考えなかった。白い皮が剥がれ、粉が飛んだ。削ったところへ水がにじんだ。
野崎が機械の取っ手へ手をかけた。二人で、区切りも気にせず線を落とした。

暗がりは少しずつ狭くなり、最後に、木の敷居だけになった。
野崎はそこへ機械を当てなかった。三浦も止めた。
二人の足元に、平らな黒い舗装が残った。靴はどこにもなかった。

会社には路面の状態が悪いと報告した。補修のやり直しになり、二人とも叱られた。余計に削った分も、作業時間も、記録へ残った。
三浦は記録に、見えたものを書き足さなかった。
野崎はしばらく休んだ。

あの道の線は、別の人たちが引き直した。今も普通に車が通り、人が歩いている。三浦は仕事を辞めていない。ほかの現場で線を引き、古い線を落とす。
下から木目のようなものが見えることは、あれ以来ない。

ただ、三浦は白線を削る前、必ず自分の靴紐を結び直す。作業の途中で靴を脱ぐことはしない。
野崎が戻ってきてそれを見ると、俺も、と言って隣にしゃがんだ。
二人は笑わなかった。

後日、向かいの家の男の人から会社へ電話があった。夜中に立っていた人は見なくなったと、わざわざ知らせてくれた。
ただ、玄関の中に砂が入るようになったという。掃いても、翌朝、靴の周りに薄く溜まっている。
工事の粉が飛んだのではないかと言われ、責任者が見に行った。

三浦は写真を見せてもらった。
玄関の敷居は、道の下に見えたものと同じだった。真ん中が踏まれて凹み、片側に小さな焦げ跡があった。
けれど、道の下にあった靴は、その家の物ではなかった。

写真の端に、男の人の足が写っていた。片方はスリッパで、もう片方は靴下だけだった。
三浦はそこで画面を閉じ、野崎に電話をかけた。
電話に出た野崎は、話を聞く前に、今、靴は履いてるか、と訊いた。

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