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煤の誕生日

理沙の誕生日には、蝋燭を十本立てるはずだった。ケーキ屋でもらった袋を開けると、細い蝋燭が十二本入っていた。おまけだろうと千夏は二本を戻した。娘は横から手を出し、赤いものだけを選んだ。全部違う色にすればいいのにと言うと、赤が好きだから、と答えた。

千夏は自分がそのことを知らなかったのに気づいた。去年、理沙が選んだランドセルは茶色だった。服も青や緑をよく着る。好きな色は人に見せるものと同じとは限らないらしい。娘は蝋燭を並べ終え、ケーキを冷蔵庫へ戻す母を追ってきた。
「夜まで待つの」
「おじいちゃんが来てからね」

毎年、その言葉で何かを先へ延ばしていた。夕方になって仕事が入り、翌週にしようと電話する。翌週には熱を出す人がいる。ケーキだけ買って、それぞれに切って食べた年もあった。今年は十歳だから、ちゃんとしよう。言ったのは千夏だった。理沙は、別にいつものでいいよ、と答えた。

父が来たのは七時を過ぎていた。理沙への贈り物は大きな地球儀だった。理沙が欲しがっていたのはローラースケートで、千夏は事前に伝えていた。父は、危ないものを覚えても困る、と言った。理沙は礼を言い、地球儀を回した。父は上機嫌で、どこへでも行けるぞ、と娘に言った。

夕飯のあと、照明を落とした。父が台所の引出しからマッチを探し出した。何年も前に仏壇用にもらい、使わずにいた箱だった。擦っても一度目は火がつかなかった。二度目に火が上がると、千夏はケーキを運び、テーブルの中央へ置いた。赤い蝋燭が十本、傾かないよう刺してあった。

最後の一本に火をつける前から、天井が黒くなっていた。千夏は換気扇を回そうと立った。父が、すぐ消すから、と引き止めた。理沙は火を見ていた。十本目が灯ると、テーブルの向こうで椅子が鳴った。空いている椅子だった。座面のクッションが、ゆっくり沈んだ。

「歌って」
父が千夏に言った。娘へ言っているのかと思って、返事が遅れた。
「お前が始めないと、この子は吹けんだろ」
千夏は歌い始めた。父の声が重なり、少し遅れて、知らない女の声も聞こえた。隣の部屋のテレビは消していた。理沙の口は閉じていた。

歌の途中で火が高くなった。赤い蝋が垂れず、芯の先からだけ黒い煙が出た。ケーキの上へ落ちた煤が、苺の周囲を縁取った。千夏は歌うのをやめた。父だけが最後まで歌った。空席の椅子に、首の細い人の形があった。白い壁を背にしているのに、頭の輪郭は見えなかった。

父が、消していいぞ、と言った。理沙が息を吸った。
「待って」
千夏は娘の肩へ手を置いた。触れた肩がひどく熱かった。理沙は、暑い、と小さな声を出した。千夏が額に手を当てると、娘は顔を背けた。熱で赤いのではなく、頬の下で黒いものが動いていた。

千夏は台所へ走り、濡れた布巾を持ってきた。火へかぶせようとすると、父に手首をつかまれた。
「縁起でもない。ちゃんと吹かせろ」
父の手にも熱があった。爪の際に黒い粉がついていた。さっきマッチを使ったせいだと思ったが、手の甲からも細かい煤が出ていた。

「お父さん、手を見て」
父はつかんだ手を離した。椅子の上に、もう一人いた。小さい子供だった。理沙の隣へ座り、ケーキへ顔を寄せていた。目鼻は煤でできた塊の奥へ入り込み、口だけが薄く開いていた。呼吸をするたび、前歯の間から火が見えた。千夏は娘を椅子から立たせた。

部屋の明かりをつけると、煙が濃くなった。消すと少し薄くなる。千夏はスイッチの前で動けなくなった。暗さに慣れた目には、空席だった椅子に二人が重なって見えた。大人の膝に子供が座っているようだったが、二つの顔がどちらも同じ高さにあった。父はテーブルから動かなかった。

「お母さん、来たのか」
父が言った。千夏は亡くなった母のことかと思った。父は続けて、今年はちゃんとやるって言ったでしょう、と言った。敬語だった。子供のころに死んだという父の母親を、千夏は写真でしか知らない。目の前の大きな地球儀に、煤の粒が落ち始めた。

理沙が千夏の袖を引いた。地球儀が熱いのだと言った。回してもいないのに、表面の海がゆっくり向こうへ動いていた。千夏は娘を玄関へ連れていった。ドアを開けると廊下は普通に明るく、向かいの家から料理の匂いがした。二人で外へ出た。理沙は膝を曲げ、その場に座り込んだ。

母の手を離すと、娘の額が冷えた。千夏は慌てて携帯を出した。救急の番号を押す前に、部屋の中で父の怒鳴り声がした。
「一人ずつ座れ」
父を残してきたことを思い出し、千夏は戸を開けた。テーブルを囲む椅子が増えていた。自宅の椅子は四脚しかない。見知らぬ木の椅子や座椅子が、壁際まで詰まっていた。

父が立とうとしていた。背後の椅子の背に足を引っかけ、同じ場所へ戻されていた。千夏は近づき、父の腕を引いた。昔の父なら、引っ張るな、と怒ったはずだった。今は助けてくれ、と繰り返していた。椅子に座った煤の子が、千夏のエプロンをつかんだ。

小さな指は布に触れず、布の色だけを黒くした。千夏が引くと、その色が床まで伸びた。足首へ絡んだのは煙の匂いだった。何も触れていないのに足を前へ出せない。父が千夏へ覆いかぶさるようにして体重をかけ、二人で壁へ倒れた。そこでようやく足が動いた。

玄関まで戻ると、理沙は膝にあった地球儀を押しやっていた。持ってきた覚えはなかった。台座には黒い掌の跡がつき、縦の輪が熱で少し曲がっていた。千夏は理沙の両手を見た。火傷はしていない。父は壁へ背を当て、首を振り続けていた。
「違うな。あんな大勢じゃなかった」

父は、自分の誕生日を一度だけ祝ってもらったことがある、と言った。戦争や貧乏の話ではなく、仕事へ出ている母親の休みと誕生日が重ならなかったのだという。今度一緒に、と何度も言われた。母親が死んだあとも、父はそれを腹立たしく思っていた。そんな話を娘にしたのは初めてだった。

「俺も言ったな。今度、って」
父は理沙を見ずに、床へ言った。千夏も何度も言っていた。三人で座る廊下には、玄関から煤が薄く流れ出していた。誰が誰へ約束した分なのか数えたところで、椅子が減る気配はない。父が謝りかけると、部屋の奥から椅子を引く音がまた一つ増えた。

理沙はお腹が痛いと言い始めた。千夏は近所の友人に電話をかけ、今から来てほしいと頼んだ。父と理沙を廊下に残して、千夏は台所へ入った。勝手に室内の椅子が並ぶなら、出口のある窓へケーキを動かせないかと思った。消防へ説明するにも、まず火を家の外へ出したかった。

テーブルの周りには足が詰まっていた。膝から下だけ見え、その上は黒かった。千夏は椅子を一脚押した。座っていたものは動かず、椅子だけが腹をすり抜けた。空いた隙間を横向きで通った。ケーキの上で、十本の蝋燭は最初と同じ長さを保っていた。火をつけてもう一時間近くたっている。

皿に手をかけると、テーブルの下で子供が笑った。理沙の声によく似ていた。
「また今度にするの」
千夏は皿を持ち上げた。軽かった。隣の席のものが両腕を上げ、皿の底へついてきた。持ち上げたケーキの下に、腕だけが何本も下がっていた。千夏はそれを自分の腹へつけないよう、両肘を伸ばした。

ベランダの窓は、父が開けてくれた。いつの間に戻っていた。理沙は友人に預けた、と言った。千夏はケーキを室外機の横の空いた場所へ置いた。風が当たっても火は揺れなかった。腕は皿の底へ吸い込まれ、窓の内側に置かれていた椅子が、いくつか元の数へ戻った。

千夏は土の入った大きな鉢を持ち上げ、その受皿を空けた。空いた受皿にケーキの皿を置き、水を張って、周囲の燃えるものを遠ざけた。父は消防へ電話し、ベランダの小さな火が消せないと伝えた。千夏は窓際から目を離さなかった。黒いものが窓の向こうへ入ろうとすると、ガラスの内側に椅子の背が現れた。

来た人たちは、ケーキを見た。水をかけると普通に火が消えた。その場では。千夏と父が同じものを見たことは伝わらず、疲れているなら今日は休んだほうがいいと言われた。千夏は礼を言った。制服の人が帰ると、濡れた芯の先が一つずつ赤くなった。父は窓の鍵を閉めた。

理沙は友人の部屋で横になっていた。熱はなく、腹痛も治まっていた。千夏が迎えに行くと、娘は起きて待っていた。友人の子供のスケートを貸してもらったらしく、膝に擦り傷が一つあった。理沙は叱られると思ったのか、手で傷を隠した。千夏は、痛かったね、とだけ言った。

帰ると、父が窓の前に座っていた。ベランダの火は十本とも灯っていた。真夜中を過ぎていた。父は理沙へ、遅くなったけど、誕生日おめでとうと言った。娘はありがとうと答えた。千夏は窓の向こうを見た。火は消えず、煤の塊が三人の言葉を待つようにガラスへ寄った。

「ケーキはもういい」
理沙が言った。千夏は買い直そうとしたが、言葉にする前にやめた。娘は自分で台所へ行き、食パンを一枚出した。ジャムを塗り、半分に切った。千夏へ片方を渡し、おじいちゃんは食べないでしょ、と聞いた。父は、食べるよ、と答えた。娘はもう一枚焼いた。

朝になるまで、三人とも居間で起きていた。父は椅子を増やさず、床へ座った。千夏もそうした。理沙だけがいつもの椅子を使った。夜が明けると、蝋燭の火が少し薄く見えた。煤の中の顔は、外が明るくなったために、かえってよく見えるようになった。

どれも、笑っていなかった。目を細くし、唇を前に突き出していた。蝋燭を消す直前の顔だった。千夏は理沙を窓から離した。顔のひとつがこちらへ向きを変えた。鼻の脇の小さなほくろが、父と同じ場所にあった。父は床に手をつき、何も言わずに見ていた。

千夏は翌日を休みにした。理沙にも、誕生日に何をするかもう母が先に決めるのはやめる、と話した。理沙は頷いたが、窓を見ていた。
「あの人たちは、いつ」
千夏は答えられなかった。父はもう一度、鉢の受皿に水を足した。芯のまわりで、水が小さく沸いた。

理沙は学校へ行く前に、袋に残った二本の蝋燭を千夏へ渡した。火のついていない、青と黄色の二本だった。千夏は引出しへしまわず、娘の筆箱の隣へ置いた。窓の向こうで、煤の顔が二つ増えた。まだ誰も吹いていない細い蝋燭へ、ガラス越しに口を寄せていた。

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