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野球部の砂時計

用具室を開けると、修平の娘の上履きがあった。ピンクの爪先に、母親が縫いつけた小さな花が二つ並んでいた。修平は娘の鞄を開いた。今朝、保育園から持ち帰った上履きは、袋へ入れたままそこにある。両方を並べて見ると、右の踵の泥まで同じだった。

母校の野球部がなくなるので、用具を片づけに来ていた。修平は卒業して二十三年になる。連絡をくれたのは同級生の恵介で、土曜の午前なら自分もいるという話だった。妻が出勤になり、五歳の娘も連れてきた。彩乃は空いたベンチへ座り、持ってきた絵本を読んでいた。

恵介は遅れていた。修平は上履きの写真を送った。悪戯かと書きかけ、消した。自分の娘の上履きを手に入れるほど、恵介とは家を行き来していない。最後に会ったのは去年の同窓会だった。修平は用具室の一足だけを棚へ戻し、外へ出た。彩乃は来たときのサンダルを履いていた。

グラウンドには白線が残っていた。三塁側のベンチだけ取り壊され、フェンスの支柱が並んでいた。誰も使わないなら先に道具を処分すればよかったのに、と修平は思った。一塁側の棚から古い砂時計を出した。二本の木柱に挟まれた、小ぶりなものだった。砂の色が黒かった。

練習ではそれを使って壁にもたれ、膝を曲げた姿勢で待った。落ち切るまで三分。監督が時計を引っくり返すと、誰かが小さく舌打ちした。なぜ普通の時計を使わなかったのかは知らない。いつも恵介が最初に立ち、捕手だった修平が最後まで残った。それで二人はよく言い合った。

砂時計は下の容器が空になっていた。上に全部溜まっている。修平は台を持ち、軽く揺すった。黒い粒が一つ落ちた。すぐに次が落ち始めた。さらさらと音がして、彩乃が絵本から顔を上げた。
「お父さん、今から?」
「少し待って。もう一人来るから」

用具を大きな袋へまとめていると、バットの間からスプーンが落ちた。今朝、彩乃がヨーグルトを食べたものだった。柄に青い兎の絵がある。洗って流しの籠へ入れたのは修平だ。娘は持ってきていないと言った。上履きと一緒に紙袋へ入れると、底の形に沿って、砂が薄く溜まった。

恵介がグラウンドの向こうを歩いてきた。背中へ古いグローブを挟み、片手を上げた。修平はベンチを出て名前を呼んだ。友人は返事をせず、二塁のあたりへ来て止まった。修平がもう一度呼ぶと、恵介は背後を見た。誰かほかの人に声をかけたと思ったようだった。

「遅かったな」
「お前のほうが早いんだろ」
恵介はそう言い、ベンチへ入った。彩乃を見て、誰の子、と聞いた。修平は笑い、俺の、と答えた。恵介も笑った。冗談にしては長く、その顔が戻らなかった。修平はグローブを見た。去年の同窓会で、この友人が野球をまだ続けていると話した記憶があった。

ところが恵介は、卒業してから触っていない、と言った。修平は電話を見せ、同窓会の写真を出そうとした。その前に砂時計が目に入った。まだ上に半分以上あった。三分どころか、二十分はたっている。恵介は砂時計を手に取り、これはまだ終わっていなかったか、と言った。

「何が」
「最後の試合」
修平は思い出した。秋の練習試合で、雷が近づいて途中で中止になった。九回の裏、同点で、修平が打席へ入るところだった。彼は一度もバットを振らずにベンチへ戻った。控えの選手が砂時計を持っていた。雨が止むまで三分待とう、と誰かが言って、監督に怒られたのだった。

試合が終わらなかったことを、修平はずっと都合よく話していた。あの打席なら打てた。引退していなければ最後は勝った。妻にもそういう話をしたことがある。妻は毎回、練習試合なんでしょう、と笑った。恵介も同じことを覚えていると思ったが、彼は修平が三年になる前に辞めたと言った。

「お前、夏にはいなかっただろ」
修平は返事をしかけた。後ろで彩乃が紙袋を引っ張った。スプーンの下に、水筒があった。彩乃のものではなく、妻が職場へ持っていった白い水筒だった。蓋が開き、中の麦茶が全部こぼれた。砂が水を吸い、紙袋の底で固まった。

修平は妻へ電話した。彼女はすぐに出た。水筒がなくなったと言うと、忘れてきたんだね、と答えた。
「朝、持って出ただろ」
「今日は家にいるよ」
修平はグラウンドを見た。フェンスの向こうに、体操服の人たちが座っていた。背をこちらへ向け、校舎もない側へ膝を抱えていた。

妻は、何時に帰るの、と聞いた。彩乃を連れて買い物へ行く予定だったらしい。電話の向こうから、娘の声はしなかった。彩乃は修平のすぐ横で、濡れた紙袋から自分の上履きを拾っていた。修平が娘を連れてきていると言うと、妻は、それは知ってる、と答えた。その一言だけが普通だった。

恵介はベンチにいなかった。マウンドの後ろへ行き、転がっている白いものを拾っていた。ボールかと思うと、彩乃の髪留めだった。娘の鞄の外側につけておいた予備のものだ。修平は鞄を見た。髪留めはそこにもあった。恵介はそれをボールのように握り、一塁へ放った。

修平は走って拾った。遠くへ投げたはずなのに、恵介は肘を少し動かしただけに見えた。髪留めの歯の間へ砂が詰まっていた。彩乃が父親を追ってきた。修平は立ち止まらせ、ベンチへ戻れと言いそうになってやめた。ひとりにしたくはなかった。

ベンチへ戻ると、棚の上に家庭の物が増えていた。洗いかけの皿、妻の眼鏡、修平の名刺入れ。どれも傷や汚れに覚えがあった。砂時計の下に溜まる粒も増えた。上の容器は減らない。修平が手を触れずに見ていると、真ん中の細い管から、黒い髪のようなものが垂れた。

それは砂ではなかった。ごく小さく折り畳まれたものが、一つずつ落ちていた。紙にも布にも見えた。修平は砂時計を横に倒した。たちまちフェンスの向こうの人たちが立った。一人ずつではなく、同時だった。地面へ手をつくこともなく、曲げていた膝が伸びた。こちらを向いた顔は遠くて見えなかった。

恵介が叫んだ。
「勝手に止めるな」
修平は砂時計を持ち上げた。恵介の姿が一瞬だけ若くなった。頬の肉が落ち、前髪が額へかかった。次に見たときは、四十を過ぎた友人の顔に戻っていた。修平は時計を逆さにした。黒いものは上へ落ち、持っている指の間を細かな振動が通った。

恵介はベンチの前へ来た。やり直せば終わる、と言った。修平が最後に打って、どちらかが勝てばいい。そうすれば片づけられる。修平は嘘だと思った。それでも、この場にいて具体的な方法を口にしたのは彼だけだった。彩乃の鞄を肩へかけ、古いバットを取った。

娘にはバッターボックスの外、手が届く場所に立ってもらった。修平はグリップを握った。やけに馴染む持ち方だった。投手の場所には誰もいなかったが、ボールが一つ飛んできた。遅い球だった。打てると思い、肩を引いた。その動きに合わせて彩乃が一歩、修平から離れた。

修平は振らなかった。球が足元を通り、地面へ落ちた。妻の眼鏡だった。片方のレンズが割れていた。恵介がベンチで舌打ちした。フェンスの向こうの人たちは、まだこちらを向いていた。全員の両手が、バットを持つ形に揃っていた。何もない手で、同じ角度に構えていた。

「もう一球」
恵介が言った。修平は娘を見た。彩乃のサンダルが土へ埋まりかけていた。足を抜こうとすると、同じ場所へ白線が引かれた。誰も線を引く道具を押していない。細い粉が地面から出て、子供の足のまわりを四角く囲んだ。修平はバットを落とし、彩乃を抱き上げた。

砂時計がベンチの端に立っていた。さっき逆さにしたままだった。管の中を細いものが上へ通り、上の容器から音がした。子供が絵本のページをめくる音だった。修平は娘を抱えたまま近づいた。恵介が道を塞いだ。足元の白線を越えるなと、修平の胸へ手をついた。

その手は、修平より若かった。袖から出た腕に昔の傷があった。恵介が試合前にバイクで転び、先生へ隠していた傷だった。修平は、それを覚えていると言いかけた。言えば、この友人の知る修平へ戻れる気がした。彩乃が首にしがみつき、耳元で、知らないおじさんだよ、と言った。

修平は恵介を押しのけなかった。娘を抱え直し、バッターボックスから一歩下がった。恵介が三振になるぞと言った。修平はさらに下がり、ベンチの前を通った。人々の手が一斉に動いた。空のバットを振り切り、腕が肩の後ろへ回った。戻ることなく、肘が逆へ折れ曲がった。

砂時計の音が止まった。上向きに流れていた粒が、管の途中で引っかかった。修平は触れずに鞄を取った。家庭の物は、そのまま棚にあった。全部持って帰るつもりで片手を伸ばすと、彩乃がいや、と言った。そこにあった上履きの中へ、娘の足首と同じ太さのものが入っていた。

修平は何も取らず、グラウンドを出た。恵介は追ってこなかった。校門のところで一度だけ振り返ると、友人はバッターボックスへ立っていた。バットは持っていない。両手を腰の後ろへ隠し、誰かが投げるのを待っていた。フェンスの外の人たちも、同じ姿勢をしていた。

車へ乗ると、妻から電話が来た。職場からだった。いつもの声で、帰りに牛乳を買って、と言った。修平は水筒を持っているか聞いた。持っている、と答えが返った。妻は眼鏡もかけていた。電話の向こうで同僚が話しかけ、妻はまたあとで、と切った。

家へ戻り、彩乃の上履きを洗った。右の踵の泥は落ちた。髪留めも、スプーンも、家のものは普通にそこにあった。修平は恵介へ電話した。番号は使われていた。出た友人は、今度の土曜なら行ける、と言った。今朝の約束を伝えると、修平の送った写真は届いていないと言われた。

翌日、学校へ用具室の鍵を返した。修平は一人で行った。入口から見えた砂時計は、まだ逆さで、管の真ん中に黒いものが止まっていた。管理の人が何か欲しい物はないかと聞いたので、ないです、と答えた。部屋の奥に、子供の小さな上履きが揃えてあった。

その日の夕方、家で彩乃が絵本を忘れてきたと言い出した。修平は鞄へ戻したはずだったが、どこを探しても見つからなかった。娘は取りに行きたいとは言わなかった。代わりに父の背中へ指で数字を書き、これ何、と聞いた。修平の古い背番号だった。野球をしていたころの話を、まだ娘にしたことはなかった。

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