火曜の料理教室は、揚げ物をしたいという人が多かった。家では油の始末が面倒だし、一人分を揚げても寂しい。そういう理由で集まった十二人だった。教える私も、一人で住む部屋ではほとんど揚げない。教室の仕事をしていると、家では納豆ご飯でいい日がある。
その日は、誰かが葉の天ぷらを食べたいと言った。まだ材料を見せる前だった。大葉ならありますと答えると、いえ、大きいの、と言われた。隣の人も頷き、裏が白いやつでしょう、と言った。私は山菜には詳しくない。確認できない野草は使いませんよ、と返した。
補助の荻野さんが、箱を運んできた。いつもの野菜と一緒に、入口へ届いていたという。薄い段ボールに、大きな葉が重ねて入っていた。掌ほどの楕円形で、裏が白い。私が注文した大葉とは違った。業者が荷物を間違えたのだろうと、私は箱を冷蔵庫の上へ置いてもらった。
電話で確かめると、業者は葉を送っていないと言った。伝票もついていなかった。荻野さんに聞くと、箱を持ってきた人はいつもの配達員ではなかったらしい。もう一人、下へ荷物を取りに行っていると、その人が言った。それで受け取ってしまったという。受付から教室まで、箱は普通に運ばれてきた。
「使わないんですか」
受講者の一人が聞いた。私は使わないと答えた。珍しく、不満そうな顔をされた。代わりにかぼちゃと茄子を見せ、切り方を説明した。皆は手を動かしていたが、ときどき冷蔵庫の上を見た。知らない種類の葉なのに、どうして皆があんなに食べたがるのか分からなかった。
六人ずつ、二つの台に分かれてもらった。私は前の台で衣を作り、荻野さんが奥の油を見た。天ぷらの揚がる音がすると、いつもの教室らしくなった。家族の好き嫌いや、油を何度使うかといった話が始まった。私はかぼちゃを皿へ上げ、端を割って中まで火が通っているのを見せた。
「この匂い」
手前の女性が、箸を止めた。
「うちのおじいさん、これ好きだったの」
かぼちゃですかと聞くと、違う、と首を振られた。奥の台で、別の女性も箸を止めていた。荻野さんが鍋のそばに立ち、何も持たずに下を見ていた。油の上に大きな葉が一枚、浮いていた。
私は荻野さんへ、入れないでと言った。彼女は首を振った。私じゃありません、と答えたあと、横にいた男性を見た。男性も手を引いた。箱はまだ冷蔵庫の上にあった。そこから白い葉の裏が見えていた。私は火を止め、葉を網ですくって別の皿へ上げた。
誰かが、おいしそう、と言った。すると十二人が同じ場所へ寄った。三人くらいが動くなら分かる。けれど、手前の台の人も、まだ流しで洗い物をしていた人も、一斉に来た。私は皿を持ち上げた。葉は衣もついていないのに、厚く膨らんでいた。表面に、細かな泡が消えずに残っていた。
食べないでください、ともう一度言った。男性の一人が笑い、少しくらい大丈夫でしょう、と箸を出した。私は皿を引いた。葉の端が箸に引っかかり、小さく切れた。彼はすぐ口へ入れた。私が何か言うより先に、噛むのをやめた。目に涙が溜まっていた。
「違う、これ、あの晩の」
男性はそこまで言って口を押さえた。私は口に残っているものを出すよう頼んだ。荻野さんに水と袋を用意してもらった。彼は素直に吐き出した。小さな葉の欠片はなく、冷たいご飯が袋へ落ちた。何度も噛んだらしく、白い飯粒が平たく潰れていた。
その人は、子供のころの夕飯の話をした。夕方、友達と遊びに行く前に母と喧嘩し、帰っても用意されたご飯を食べなかった。翌朝には捨てられていた。もう三十年以上たつのに、今、あの茶碗のご飯が口に入ったという。隣の女性が、私も分かる、と頷いた。
彼女はまだ食べていないはずだった。けれど口の脇に、黄色いものがついていた。卵焼きだと言った。教室では卵を衣の材料に使っただけで、焼いてはいない。台の上に置いた葉の皿が空になっていた。誰が食べたのか、私にも荻野さんにも見えていなかった。
私は全員に箸を置いてもらった。知らない物を食べたので、中毒の相談をする必要がある。そう伝えると、何人かは不安そうに頷いた。一人は、そんな大げさな、と笑った。荻野さんが受付へ連絡した。私は箱を下ろし、残った葉を袋へ入れようとした。
箱の底が見えなかった。重ねられた葉の隙間に、食卓があった。豆電球の灯りで、皿や箸はよく見えない。誰かが肘をつき、黙って待っていた。箱を傾けても、食卓はそのまま水平だった。私は箱を床へ置き、荻野さんの肩を叩いた。彼女は電話を耳へ当てたまま、顔を伏せた。
「先生、ここ、もう一人座れますか」
受講者が台の間へ椅子を入れた。試食用の椅子だった。別の人も廊下へ出て、椅子を持ってきた。私は座らず立ったままでいて、と言ったが、皆は聞いていなかった。自分が座るのではなく、隣へ椅子を用意していた。
椅子を置くと、座面にくぼみができた。人の身体は見えなかった。だが、台へ肘をつく場所に油の跡が増え、箸が少しずつ動いた。窓は曇り、換気扇の音が遠くなった。誰も油の火を使っていないのに、葉を揚げる音だけがいくつも重なっていた。
私は全部の火が消えていることを確かめ、荻野さんを呼んだ。彼女は電話を切っていた。受付が出ないと言った。
「誰もいないの?」
「声はするんです。食べてるから待って、って」
受付の人は一人ではない。夕方の利用者もいる。荻野さんは番号を間違えていないことを、何度も画面で確かめた。
手前の台の女性が、空の椅子へ話しかけていた。お母さん、それもう冷たいでしょう、と言った。返事はなかった。彼女は自分の手を台の上へ置き、嬉しそうに指を開いた。その指の間を、誰も持っていない箸が通った。指に触れず、皮膚の下だけに細い筋が二本できた。
私は彼女の手を引いた。箸が台へ落ちた。指の間に赤い線が残ったが、血は出ていなかった。女性は私を睨んだ。
「やっと食べられるのに」
誰がですかと聞くと、黙った。空いた椅子が軋み、台の下から、裸の足が少しずつ出てきた。爪が厚く、指の間が黒く汚れていた。
冷蔵庫の上から葉が落ちた。箱は床にある。それなのに、一枚、また一枚と、白い裏を見せながら降りてきた。男性がそれを拾い、口へ近づけた。荻野さんが手を押さえた。男性は泣いていた。
「これでいいんです。何でも」
その声を聞いたとき、私も無性に食べたくなった。
母が作った天ぷらは、いつも厚かった。最後に残った衣へ細かい具を全部入れ、油へ落とした。母は自分の分を揚げるころには、くたびれていたのだと思う。私はその形が嫌で、もっと薄くして、と毎回言った。料理の学校へ行くと決めたときも、母の天ぷらのことを人に笑い話として聞かせた。
目の前の葉から、その匂いがした。自分が食べたいのか、母へ食べさせたいのか、分からなかった。私は床の葉を一枚拾った。荻野さんが私の手を見た。私は彼女へ頷き、口には入れないと見せた。葉の裏に、太い筋が一本あった。押すと脈のように動いた。
母は生きている。先月も電話で話した。いま食べなかった夕飯のことを埋め合わせる必要はない。それなのに、手の中の一枚を揚げれば、あの人だけはここへ呼べると思っていた。私はその考えを言葉にする前に、葉を小皿へ置いた。衣もつけず、火も使わなかった。
荻野さんが玄関の鍵を持ってきた。教室の廊下側の戸は、内側から簡単に開いた。私は受講者を一人ずつ、椅子から離した。食べてしまったものは診てもらうから、と同じことを言った。外へ出ると冷たい空気が来た。一人を出すたび、その人が用意した椅子は台から離れた。
最後に、最初の葉を食べた男性が残った。自分の箸を探していた。私が紙袋へ入れると、母親が洗ってくれると言った。私は、お母さんのところへ電話しましょう、と答えた。彼はそれはできない、と言って、ようやく自分で廊下へ出た。椅子の下の裸の足が、彼の踵を追うように伸びた。
私は椅子を持ち上げた。足の先が浮いた。座面には誰もいないのに、重くて腕が震えた。荻野さんが反対を持ち、二人で調理台へ裏返して載せた。裸の足は椅子の脚の間へ入り、消えた。背もたれの隙間から、喉を詰まらせたような音が漏れた。
受付の人が駆けてきた。十二人が急に廊下へ出てきたので驚いたらしい。電話について聞くと、一度も鳴っていないと言われた。私たちは材料を保存し、体調を確認してもらう段取りを頼んだ。自分で運転して帰る予定の人にも、その場で待ってもらった。
教室へ戻ると、葉の箱は空だった。空の箱を手で裏返した。底には湿った跡しかなく、普通の段ボールだった。台に置いた椅子は軽くなっていた。私は荻野さんに、もう出ていて、と言った。彼女は頷いたが、戸の前から動かなかった。一緒に帰ります、と答えた。
私が揚げなかった一枚だけが、小皿に載っていた。葉は少し縮み、縁が茶色くなっていた。私は皿ごと透明な袋へ入れようとした。そのとき、調理台の向こうから手が出た。細い腕で、袖口はなく、肘のあたりが台の縁に隠れていた。手は私へ触れず、小皿を持った。
私は皿を離した。指が三本、皿の裏へ回っていた。爪の下に衣が白くついていた。母の手だとは思わなかった。よく知る人の仕草でもない。ただ、皿を持つ手がひどく震えていた。落としてはいけないと思い、支えそうになった。戸口で荻野さんが私の名を呼んだ。
皿は台の向こうへ下がった。しゃがんだ人が持っていったのなら、足音がするはずだった。何も聞こえなかった。私は台の下を見ず、荻野さんと廊下へ出た。検体に残せたのは男性が吐き出したご飯と、普段使っている野菜だけだった。あの葉は一枚も残らなかった。
受講者は皆、その夜のうちに帰った。具合が悪くなった人はいなかったと、後日、事務所から聞いた。何を食べたか尋ねると、答えは少しずつ違った。天ぷらだったという人は一人もいなかった。教室では当面、揚げ物をやめることになった。私は母に電話し、特に用はない、と言った。
そのあとで荻野さんと食器を数えた。小皿が一枚足りなかった。二人とも、それは分かっていた。ただ、返却用の棚に、洗ったばかりの小皿が一枚立ててあった。私たちが探していたものと同じだった。水滴のついた皿の上に、揚げていない葉が載っていた。縁に、歯のない口で吸ったような跡があった。葉は一口分も減っていなかった。


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