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途中からの上映

上映が始まる前に、スクリーンの中で誰かが靴を脱いだ。
革靴を片足ずつ揃え、踵をこちらへ向けた。靴を脱いだ本人は画面の上へ切れていた。膝の下しか見えなかったので、何かの宣伝だろうと思った。まだ客席の灯りは点いていて、私も鞄から飴を探していた。

商店街の二階にある小さな映画館だった。勤め先が変わり、昼の時間が空くようになったころ、週に一度くらい通っていた。昔の映画を二本続けて見られた。全部見ると三時間を越すので、会社勤めの頃はそれが贅沢に思えた。実際に時間ができてみると、途中でメールを確かめたくなったり、買い物へ行くほうがよかったと思ったりした。

その日は二本目だけ見るつもりだった。受付でもそう伝えた。若い男の係員が、入れ替えではありませんからお好きな席へ、と言った。名札の留め具が外れかけていた。いつもいる女性は奥で電話をしていた。男は館内をまだよく知らないらしく、私がトイレを尋ねると、一緒に案内板を見上げた。

客は十人もいなかった。前列に白い帽子の男がいた。右側の壁際に二人連れ、中央に新聞を畳む人、ほかは暗くて顔を見なかった。私は後方の通路側へ座った。スクリーンは照明が反射する白い布で、広告の文字も出ていなかったはずだった。そこへいきなり、揃えた靴が現れた。

靴の先から細い廊下が続いていた。似たような古い壁の色だったので、映画館の昔の紹介映像かもしれないと思った。足が一組、また現れた。今度はサンダルだった。履いたまま止まり、片方の踵だけ浮いた。スクリーンの右下で、戸を引く音がした。

音はスピーカーからではなかった。私の耳には、前の席の下から聞こえた。戸が開くと、細い廊下の向こうに客席が見えた。こちらの映画館よりずっと広い。暗い椅子が何列も並んでいた。席と席の間に、白い小さな顔があった。
私は飴を舐めるのをやめた。

スクリーンの前へ、背広の人が立った。画面から出たように見えたが、右袖の非常口から来たのかもしれない。薄暗い場内で、人がどこから歩いてきたかを見失うことはある。その人は客席を見渡し、小さく頭を下げた。
「すみません」
聞き慣れた、遅れて入る客の声だった。
通路へ入るとき、袖が最前列の椅子を擦った。布の乾いた音がした。

背広の人は、白い帽子の男の前で止まった。男が膝を寄せた。奥へ通すための動作だった。
だが通る人は、横を向かなかった。男の膝へ向かって、そのまま腰を下ろした。椅子を共有するようには見えない。座っている男の胸に、背広の背中が入り込んでいた。白い帽子が少し後ろへ動いた。男の顔は背広の肩の向こうに隠れた。
膝に置いていた番組表だけが、椅子の前へ落ちた。

私は立った。出口へ行こうとして後ろを見たが、いつもの二重扉の前に若い係員が立っていた。さっき案内してくれた人だった。
「あの、席が」
私が前方を指すと、彼は困った顔をした。
「すみません、ちょっと待っていただけますか」
係員も前を見ていた。手にはまだ半券を持っていた。白い帽子の男の半券だったのかもしれない。

画面の廊下から、次の人が出てきた。靴を履いていなかった。初めに靴を脱いだ人かどうかは分からない。白い靴下を履いた足がスクリーンの縁へ来ると、踵から床へ着いた。身体は壁に平たくついていたのに、足が着くと急に厚みができた。
右側の二人連れが席を立った。ひそひそ話をしながら前を通ろうとした。白い靴下の人が片手を伸ばした。
女の肩へ、掌がめり込んだ。

悲鳴はなかった。女は眉を寄せ、襟を引いた。暑くなったときのような仕草だった。連れの男も自分の腕を見た。袖の中で手の向きが変わっていた。肘を曲げる方向へ、爪のある指が出ている。男はそれを隠すように抱え、座った。二人はもう話さなかった。

係員が私の腕に触れた。
「出口、開かないんです」
振り向くと、扉には普通の押棒がついていた。私も押した。動かなかった。係員は鍵は掛けていないと繰り返した。まだそれを自分に言い聞かせているようだった。
「ほかに、出口は」
「前にもあります。でも、さっき」
彼は言い切らなかった。前方の非常口へは、スクリーンから出てくる人を横切らないと行けなかった。

私は受付へ電話しようとした。映画館の名前を検索するだけで、こんなに指が震えるのかと思った。係員が自分の携帯を出し、事務所へ掛けた。呼出音の代わりに、椅子を倒す音がした。前列で、背広の人が携帯を耳へ当てていた。係員はすぐに切った。
「ここ、初めてで」
「私、何度も来てます」
そう答えたが、何度来たからどうなるものでもなかった。

前列の背広の人が、首を後ろへ倒した。肩より後ろに白い帽子が見えた。帽子の男の顔は頭の後ろ側にあった。目を閉じている。あごから下へ、背広の襟が続いていた。
係員が小さく、すみません、と言った。席を案内したことを謝っていたのだと思う。私はうなずかず、後ろの壁へ肩を押しつけた。

画面の廊下には人が増えていた。一列に並んでいるのではない。奥の客席から出て、皆が同時にこちらへ来ようとしていた。身体の細い人から隙間を通り、靴を脱ぎ、画面を越えてきた。
私は先ほど、空いていると喜んだ席を見た。もうほとんど埋まっていた。白い顔がこちらを向いていた。正面のスクリーンを見る人はいなかった。

係員が、後ろの高い小窓を指した。映写室だった。私たちは両手を振った。光を当ててもらえれば気づくかもしれない。彼は名札を外し、窓へ投げた。届かず、客席へ落ちた。
中央の席の人がそれを拾った。指で留め具を直し、自分の胸へつけた。
「こちらへどうぞ」
その人は、係員と同じ声で言った。

係員の口が開いたままになった。私が腕を引くと、後ろの椅子へ膝をぶつけた。痛い、と声を出した。小さいが、彼の声だった。私はその椅子の跳ね上げ式の座面を手で起こし、二人が座らず立てる幅を作った。勝手に座ったら駄目だという規則が分かったわけではない。ただ、あの男と同じ重なり方をするのを見たくなかった。

画面の廊下が突然消えた。映画が始まった。
川沿いの道を自転車が走っていた。古い画質の、昨日の番組表に載っていた映画だった。俳優の名前が出る。音楽も流れる。それで私はかえって混乱した。さっきまでの時間が本当に宣伝だったなら、何を見せられたのか。係員へ尋ねかけると、彼は人差指を自分の唇へ当てた。
静かに、という仕草ではなかった。唇が正しい場所にあるか、確かめていた。

スクリーンには明るい昼が続いた。客席へ光が届くたび、こちらを向いた顔が見えた。誰も映画を見ていない。薄い明かりの下で、口元だけが動いていた。声は聞こえなかった。私たちが何か言うのを待っているようだった。
私は腕時計を見た。十四時二十分だった。映画は九十六分。終われば誰かが場内を見に来る。その一つだけを考えた。

ずっと立っていると脚が痛くなった。しゃがめば少し楽だった。係員も隣でしゃがんだ。互いの靴が見える距離で、顔は見なかった。映画の台詞が頭へ入ってきた。二人の男が住む家の話だった。鍋が焦げ、誰かが怒り、別の誰かが笑った。私は途中で何度も笑いそうになり、そのたび両膝の間で拳を握った。

客席の前で、すみません、と声がした。初めに来た背広の人だった。スクリーンの前を歩き、壁へ掌を当てている。帰り口を探していた。ほかの人も席を立った。動き出すと、背中に顔があるのが分かった。表の顔は私たちを見ていて、背中の顔だけが映画を見ていた。
前へ歩くたび、背中の顔が遠ざかる画面を惜しむように口を開けた。

私は目を閉じた。隣で係員が、あと七分、と囁いた。
彼が何を見て時間を計ったのか知らない。私は時計を見なかった。椅子の肘掛けから、誰かの指が私の肩へ掛かった。一本だけだった。冷たくも熱くもなかった。相手の体温など気にならないほど、普通の重さだった。私は指の下で肩を動かさなかった。

映画が終わった。音楽がしばらく続き、客席の灯りが点いた。
肩の指はなかった。係員は両手で自分の名札を握っていた。いつ胸へ戻ったのか分からなかった。客は誰もいなかった。私が受付を呼ぶより先に、扉が外から開いた。いつもの女の人が、顔色を変えて私たちを見た。

彼女は上映中、何度か様子を見たという。係員が後ろに立っていたので任せていた。声を掛けたが返事がなかった。私は係員の向こう側に隠れていたらしい。客席には普段どおりの客が座っていて、終わる少し前に皆帰っていった。二重扉は一度も閉じ切っていなかったという。

係員は泣いた。涙だけが出て、声は出なかった。受付の人が肩へ手を載せようとすると、彼は激しく首を振った。
私は、触らないであげてください、と頼んだ。自分の肩にもまだ指がある気がした。

帰る前に、客席をもう一度だけ見た。最前列の椅子が全部、壁を向いていた。背もたれがスクリーンに近かった。私は以前もあの席を見たはずだったが、どちらを向いていたか自信が持てなかった。
女の人が一脚を動かそうとし、やめた。床に太い金具で留まっていた。
彼女は椅子の背へ手を置いたまま、上映は今日はここまでにします、と言った。

階段を下りると、商店街はまだ明るかった。私は鞄から新しい飴を出した。包みの端が破れず、両手で何度も引っ張った。係員も少し遅れて下りてきた。名札をポケットへしまっていた。
お疲れさまでしたと言いかけて、違うと思った。
「ご飯、食べますか」
彼は顔を上げ、うなずいた。二人で向かい合える店を探した。

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