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天井の低い連絡口

頭を下げて、と言った男は、私の胸より低いところにいた。紺の帽子のつばが床を擦りそうだった。最初は靴紐でも結んでいるのかと思ったが、男の片手は台車の下へ差し込まれ、もう片方で私の足首をつかんでいた。

その日、駅の西側へ出る連絡通路は混んでいた。雨で地上の道を避ける人が多く、傘袋の底から水を落とす人が何人もいた。私は買ったばかりの靴が濡れるのを嫌って、柱の間を縫いながら歩いていた。踵の皮がまだ硬かった。朝は平気だったのに、帰りには右足の後ろが剝けて、立ち止まるたびに傷が靴へ貼りついた。

通路の途中には天井の低い場所があった。梁が一本渡り、その先だけ二十歩ほど、配管を隠す白い板が低く張られていた。背の高い人も普通ならぶつからない。私も毎日そこを通っていた。それなのに前の会社員が、梁をくぐる直前で急に頭を下げた。その前の人も、その前も、腰を折って歩いている。

工事の足場でもあるのだろうと思った。私も少し屈んだ。顔の脇を、湿った布が撫でた。
見上げると、天井の継ぎ目に黒いものが挟まっていた。細い紐のようで、揺れていた。すぐ先にも同じものがあった。スラックスの裾だと分かるまで、しばらくかかった。裾から出た靴が、爪先をこちらへ向けていた。

「上、見ないで。低く」
配送の男が足首を引いた。私は思わず腕を振って振り払おうとした。知らない男が床に這いつくばり、人の脚をつかむ理由などない。周りの誰も気にしていないことが、かえって腹立たしかった。
「離してください」
「離すから、しゃがんで。お願いだから」
帽子の下の顔が汗で濡れていた。ふざけている顔ではなかった。私は片膝を折った。その途端、耳の真上で靴底が鳴った。

天井に人がいた。膝から上が白い板の向こうへ埋まり、二本の脚だけが逆さに下がっているのではなかった。人は一人ずつ、横倒しに寝たような姿で板に沿って並んでいた。頭を進行方向へ向け、片頬をこちらへ向けていた。肩から伸びる腕も腹の前で組んでいる。電車で眠っている人に似ていた。
その列が、少しずつ立ち上がっていた。

前を行く会社員の肩が天井へ触れた。私より背が高いせいだと思った。だが男の両足は、床から十センチほど離れていた。鞄だけが下がり、角が床を擦っている。会社員はそれに気づかないのか、鞄を引き上げ、首をさらに折った。上の列の一人が腕を伸ばし、その男の耳の下へ指を入れた。薄い皮膚を直すように、少し持ち上げた。

私は床へ両手をついた。帽子の男が私を引いた。台車は横倒しになっていた。段ボールの箱が二つ、壁の下の窪みに落ち、台車の車輪だけがいつまでも回っていた。
「ここで待ってたら駄目ですか」
口にしてから、自分が誰に訊いているのか分からなくなった。この人も客かもしれない。私より何かを知っているとは限らなかった。
「さっき、もう少し高かったんです」
男はそれだけ言った。

通路の両側は店舗の裏側になっていた。右は金属の壁、左は閉まった搬入口だった。背後へ戻ろうとすると、人の靴が次々に私たちの間へ入ってきた。誰も頭を下げていない。こちらからは身を屈めているように見えたのに、近くに来ると、足が浮いているだけだった。胸から上は白い天井の中へ入っていた。床に残るのは鞄と傘の先で、それが私の手を踏みそうになった。

「誰か、聞こえますか」
男が叫んだ。声の最後が上へ引き伸ばされた。あちこちで喉が動いた。天井の人たちの喉だった。私は男の袖を引いた。何か答えてもらうほうが怖かった。
男は口を押さえ、うなずいた。指の間から、吐きかけた息が少しずつ戻っていった。

私は携帯を出した。画面は普通について、連絡先も開けた。駅へ電話しようとして番号を調べたが、検索結果の小さな文字が目に入らなかった。靴の中で踵がひりついていた。こんなときに何を、と思いながら靴を脱ぎ、鞄へ突っ込んだ。薄い靴下に床の水が染みた。冷たかった。頭の上には暖房の吹出口でもあるような温かさがあった。

男は横倒しの台車を押さえながら、壁に沿って進んでいた。私も膝を引きずってついていった。上を見ないようにしても、床には広告灯の光が届いていた。濡れたところに、顔が幾つも映っていた。目は閉じていた。どの顔も私たちと一緒に、ゆっくり動いていた。

左の搬入口に、細い隙間があった。シャッターの下から、店内の白い灯りが漏れていた。指二本ほどの高さだった。男が床を叩いた。
「すみません。開けてもらえませんか」
返事はなかった。私は携帯のライトを隙間へ当て、端末を左右に動かした。光が薄い線になって、向こうの床を走った。ほどなく、女性の靴が一足、線を遮った。

「何してるんですか」
普通の、少し怒った声だった。私は嬉しくて、言葉を二度噛んだ。
「開けてください。通路が、ちょっと」
「もう搬入、終わってますよ」
男が店の名前を言い、自分は隣の店へ荷物を運んでいたと説明した。会社名と名字を二回ずつ言った。それから、転んで人が起きられなくなっている、と言った。嘘ではなかった。

女性は鍵を取りに行ったらしく、靴が離れた。その間に、上の人たちの頬が近くなった。私は首を縮めた。天井の板は、さっきまで継ぎ目に黒い汚れがあった。その汚れが細かく開いた。睫毛だった。白い板のどこからも、寝ている人の目が開き始めていた。

女の声が戻った。
「お二人ですよね」
男が答える前に、上からいくつも、はい、と返った。
シャッターの向こうの靴が半歩下がった。
「何人、いるんですか」
「二人です。下にいるのは」
私は叫んだ。上の声が同じ言葉を続けようとしたので、最後まで聞かず床を叩いた。爪の先が割れた。

シャッターが少し上がった。男の帽子が通るほどだった。女性は手動で引いていた。開き切らないのか、途中で止まり、金属が細かく鳴った。男が台車の取っ手をその隙間へ差し込んだ。
「先、行って」
私は腹を床につけた。冷たい水がシャツへ入り、傷ついた踵が台車の車輪に当たった。向こうへ手を伸ばすと、女性が両手で引いてくれた。袖が捲れ、肘の皮がシャッターの下で擦れた。

店の中は靴屋だった。段ボールと紙の詰め物が床に広がっていた。私は膝立ちのまま振り返り、男の手をつかんだ。彼は台車を置いてくるのをためらっていた。指が取っ手から離れないように見えたが、こちらが二度引くと、自分で離した。
男の背中が入り切ったところで、女がシャッターを下ろした。途中まで閉じて、また止まった。外に何か挟まっていた。
五本の指が、こちらへ伸びた。手首は床のほうにはなかった。
女は声を上げず、両手でシャッターを引いた。指が一本ずつ平らになり、最後に爪の色だけが隙間へ引っ込んだ。

店長と警備の人が来た。私は靴を履けなかった。店の女の人が箱から試着用の薄い靴下を出し、使っていいと言った。新しい靴を買ったばかりなのに、と私が言うと、そこで初めて男が少し笑った。自分の帽子は通路へ落としたらしく、何度も頭を触っていた。

警備の人が別の出口から通路を見に行った。二人で行き、しばらく戻らなかった。そのあいだ私たちは店内に座っていた。終電の案内が店の天井から流れた。いつもなら遠くに聞こえる放送だった。それが途中から、知らない大勢の人に耳元で読まれているような近さになった。男も女も顔を上げなかった。

通路には台車と箱があるだけだったという。天井の板に異常はなく、人が倒れた跡もなかった。カメラの映像は、店長と警備会社が確認することになった。私と男は名前と連絡先を書いた。互いの用紙を見なかった。あの場にまた二人で呼ばれることを、どちらも考えていたと思う。

地上へ出たのは、最後の列車が出たあとだった。雨は止んでいた。男は帽子を取りに戻ると言いかけ、やめた。私も靴の交換期限のことを考え、どうでもよくなった。
駅の照明が奥から一列ずつ消えた。消える直前の天井に、肩を寄せて横たわる人たちが見えた。みんな目を開けていた。乗り遅れた顔には見えなかった。やっと座れた人の顔だった。

男をタクシー乗場まで送った。彼は私の足を見て、乗って帰ったほうがいい、と言った。私は返事をして、先に乗り込んだ。自動ドアが閉まると、男は帽子のない頭を少し下げた。身体は地面へ向かって曲がった。
私はそれを最後まで見ていた。

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