奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

改札の外に残る人

改札を通ったはずの西尾が、また外に立っていた。
須田は、財布でも落としたのかと思った。ついさっき、ここで別れたところだった。西尾は定期入れを読み取り部へ当て、片手を上げて中へ入った。青い表示が点くのも見ていた。
「忘れ物か」
西尾は答えず、柱の前で小さく肩をすくめた。

二人は五年前まで同じ配送会社にいた。西尾は配車を担当し、須田は営業だった。忙しいと互いに相手の仕事を簡単そうに言った。退職してから会うのは初めてで、安い居酒屋で昔の客の話を二時間ほどした。辞めたあと何をしているか、須田は詳しく聞かなかった。自分の今の会社の話をすると長くなるし、相手にも面倒をかけたくなかった。

「まだ時間あるなら、もう一杯いくか」
須田が言うと、西尾はうなずいた。改札を通る前より顔が赤かった。飲み直せる店を探そうとして振り返ると、通路の先にも西尾がいた。券売機の横だった。右手に黒い傘を持っていた。
須田はその傘を覚えていた。店を出るときに西尾が忘れ、店員が走って届けた傘だ。今、柱の前にいる西尾の手にはなかった。

「おい」
呼ぶと、券売機の西尾も顔を上げた。柱の西尾は上げなかった。二人は互いを見ない。少し離れた同じ駅の中で、まったく別のことを考えているようだった。
須田は酒の量を数えた。二人でビールを二杯ずつ、そのあと須田は焼酎を一杯だけ飲んだ。頭がぼんやりするほどではなかった。

柱の西尾が、突然歩き出した。改札へ向かった。定期入れを当てる仕草をしたが、その手には何もなかった。扉は開いたままだった。西尾はするりと中へ入り、上りホームへの階段を登った。
券売機の西尾は、その背中を見ていた。
「あれ、何」
須田が近寄ると、彼は傘をこちらへ差し出した。
「持っててくれないか」
須田は受け取らなかった。

西尾は困った顔をした。知っている顔だった。配送の予定をどうしても変えられないとき、頼まれてもできないと言う直前の顔に似ていた。
「じゃあ、そこに置く」
傘を券売機の横へ立てた。須田は、傘を置くのをやめさせるため、西尾の肘をつかんだ。触れた腕は普通だった。肉があり、シャツの布が温かかった。
「とりあえず、座ろう」

駅の中の立ち食い店には、壁際に低い椅子が三脚あった。何か頼まず座るわけにもいかず、須田は二人分の温かいそばを買った。西尾は、腹いっぱいなんだけどな、と言った。須田もそうだった。つまみを食べたばかりで、汁の匂いを嗅いだだけで胸が重くなった。
二人は並んで座った。西尾は割箸を開けず、入口を見ていた。

通路を、西尾が歩いてきた。
須田と一緒にいる西尾より、少し痩せていた。昔の会社で着ていた薄い上着だった。財布を取り出し、店の券売機へ千円札を入れた。食券は出なかった。機械の紙が切れているのかと思ったが、誰も店員を呼ばなかった。痩せた西尾は手ぶらでカウンターへ行き、腰の位置へ両手を置いた。

そばを作っていた店員が、つゆを一杯、流しへ捨てた。注文を間違えたのかもしれなかった。痩せた西尾は湯気の前へ顔を出した。息を吸うと、頬が膨れた。蕎麦は一本も口に入っていなかった。
隣の西尾の腹が鳴った。
「気持ち悪い」
口元を手で覆った。須田が水を取る間に、椅子の下へ黒い液体が垂れた。

「吐いたのか」
「違う。靴の中から」
西尾は爪先を上げた。踵から、そばのつゆの匂いがした。須田は紙ナプキンを取り、床を拭いた。店員が雑巾を持ってきた。須田は謝り、二人分の丼を返した。店員は西尾を見て、先ほどもお見えでしたよね、と言った。
隣の西尾は、小さく首を振った。
カウンターの西尾は、いつの間にかいなかった。

須田は西尾を店の外へ連れ出した。手を離すのが怖かった。改札前には三人の西尾がいた。一人は携帯を見て、一人は腕を組み、一人は壁へ背を向けていた。どれも見知った服を着ていた。一緒に働いていたとき、夜遅くに事務所へ残っていた西尾の服だった。
「お前、あそこで何してるんだ」
須田は、隣の本人へそう言った。
西尾は、分からない、と答えた。歯を噛み合わせているような声だった。

三人は順番に改札を通った。最後の一人が通るとき、こちらへ振り返った。
「じゃあな」
須田が返事をしかけると、隣の西尾が袖を引いた。その動作が強すぎて、ボタンが一つ取れた。
「今、俺に言ったんだ」
西尾の視線は、須田ではなく改札の中へ向いていた。

須田は駅員に相談した。同行者が具合を悪くし、自分も妙なものを見ている、と伝えた。酒を飲んでいることも隠さなかった。駅員は二人を詰所脇の椅子へ座らせ、水をくれた。別の駅員が救急を呼ぶか訊いた。西尾は少し待ってくれと言った。
「見えますか」
須田は通路の柱を指した。そこにも西尾がいた。いちばん初めと同じ赤い顔だった。
駅員は、あの方にも何か、と言った。

見えている。それだけで安心しそうになったが、駅員は隣の西尾と柱の男を似ているとは思っていないようだった。見知らぬ客同士を取り違えた須田を見守る顔だった。
柱の西尾がこちらへ歩いてきた。駅員が彼を止めようとした。
西尾の腹が、駅員の肘を包んだ。
布の上から包んだのではない。腹の肉がへこんで、その中へ肘が入った。

駅員が腕を引いた。袖が引っかかり、脇の布が裂けた。柱の西尾は謝った。どうも、どうも、と繰り返し、改札へ歩いていった。駅員は腕を見ていた。血は出ていなかった。肘の外側が四角く平らになっていた。
彼は無線へ口を近づけたが、言葉が出なかった。

隣の西尾が座っていられなくなった。椅子の端へ尻を滑らせ、両膝を押さえた。
「全部、行っちゃう」
「何が」
「帰るんだろ。あいつら」
須田は西尾の背中へ手を置いた。背骨が、服の上からでも一本ずつ分かった。さっきまでこんなに痩せていなかった。

須田は店の伝票を思い出した。会計は七千四百円だった。須田が四千円を置くと、西尾は三百円を返し、自分の三千七百円を揃えた。昔は端数など気にせず、次の店で払えば済んだ。きっちり分けられた金を前に、須田は自分たちが久しぶりに会った知人同士なのだと思い知らされた。
「最近、どうなんだ」
須田は訊いた。
「今?」
西尾は小さく笑った。須田も、そうだな、と言った。一緒に酒を飲んだ相手の五年間を何も知らないのが、急にひどいことに思えた。

西尾は会社を辞めてから、同じ路線を使う仕事を三つしたという。どれも駅の向こう側だった。帰りに昔の同僚を見かけても、自分からは声を掛けなかった。忙しそうだったから、と言った。
「お前も見たことあるよ」
「そうなのか」
「一回だけ。改札のとこで」
須田は覚えていなかった。覚えていないと答えた。西尾はそれ以上言わなかった。

若い駅員が戻ってきた。ホームには該当する客がいないという。柱の前にいた人も見失った。須田は、線路へ落ちていないかと聞いた。自分と同じ顔の男たちのことなのに、西尾は聞いていないようだった。
「歩けるか」
須田が言うと、彼は立ち上がった。二人で改札から離れた。西尾は途中で、自分の傘が券売機の横に残っていることを思い出した。

取りに戻るのを須田が止めたわけではない。西尾は自分で戻り、傘を拾った。その間、須田は両手を空けたまま待った。こちらへ帰ってくる西尾の後ろに、また同じ顔の人が見えた。傘は持っていなかった。
西尾は振り返らなかった。須田の前まで来ると、持ち手へ指を掛け直した。
「これ、新しいんだ」
それだけ言った。

駅前のバスはもう終わっていた。タクシーで須田の家へ行くことになった。西尾の家へ帰れない理由はなかったが、先に一人を降ろすのがどちらも嫌だった。須田は寝具がないと言った。西尾は、椅子でも寝られる、と答えた。
駅を出る前に、二人はトイレを借りた。須田は手を洗い、西尾が出るまで扉の外で待った。すぐに出てきた。鏡は見なかったらしい。

最後の列車の放送が流れた。西尾が足を止めた。
改札の外に、何人も同じ男がいた。列にはなっていなかった。一人ずつが別々の方向を見て、帰るかどうか迷っていた。顔を上げた一人が、須田へ片手を上げた。昔、残業を終えて先に帰ったときの西尾の顔だった。
須田も手を上げた。

隣の西尾は何も言わなかった。須田は手を下ろさず、改札の一人が見えなくなるまで待った。次の一人へも手を上げた。皆に返したわけではない。最後にはどれがまだこちらを見ている人か分からなくなった。
二人は駅を出た。タクシーの中で、西尾は自分の住所を言った。須田は訂正しなかった。一人で帰りたいのだと分かった。

車が西尾の家の前へ停まった。彼は財布を出し、料金を半分払った。須田は今度は断らなかった。傘を持つのを見て、もう何も言うことはないと思った。
西尾が玄関の鍵を開けた。門灯が点き、彼の身体が家の中へ入った。
ドアを閉める前に、西尾はしばらくこちらを見ていた。
須田は手を上げず、名前を呼んだ。
「また飲もう」
西尾は、来月なら、と答えた。二人で日付を決めてから、彼は戸を閉めた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました