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手伝わなくていい

後片づけがいちばん嫌いだ、と黒田は言った。
その年の町内の夏祭りで、私たちは机を運ぶ係だった。黒田は朝の準備にも出ていたのに、夕方になってもう一度来た。帰って寝ていればよかっただろうと言うと、おまえ一人じゃ車へ積めないから、と答えた。
そういう言い方をする男だった。

祭りが終わる前から、隅のテントを一つ片づけ始めた。
机の上へ置きっぱなしの紙皿を捨て、余った箱を潰した。脚を折った机は、二人で軽トラックの荷台まで持つ。黒田は手を貸しながら、私の積み方にも口を出した。
「それじゃ、走ったら動くぞ」
分かっている、と私は答えた。
黒田は分かっていないと思ったらしい。いったん積んだ二枚を、また下ろした。

黒田が死んでからも、その年の片づけをよく思い出す。
仕事を嫌がっているくせに、なぜ最後まで残ったのだろう。ほかの人間はいくらでもいた。誰かに頼めばよかったし、そもそも、私が一人で積めないと決めつけることもなかった。
あいつは俺を助けるのが好きだった、と話すと、皆、いい友達だったんですね、と言う。
私は頷く。ほかに返事のしようがない。

十五年ぶりに、同じ祭りを手伝うことになった。
間はずっと別の市に住んでいた。母が足を悪くし、近くへ戻ってきたばかりだった。町内会の人に頼まれ、軽トラックを出す役を引き受けた。
荷物を積む場所は昔の公園のままだったが、祭りそのものは隣の広い駐車場へ移っていた。以前の公園には、大きな遊具が増えていた。

昼前、子供が二人、用具のテントに向かってじゃんけんをしていた。
どちらも同じ方向へ右手を出していた。相手はテントの中にいるらしかった。
「またチョキだ」
「パー、出さないの」
二人とも笑っていた。
私は机を置きに入った。中には、誰もいなかった。奥の布が一度ふくらみ、外から子供が、逃げた、と声を上げた。

私は机の脚を開き、地面へ据えた。
二人がテントを覗いたので、ここは用具置き場だから、と注意した。子供は、あの人も入ってたよ、と言った。
どの人だ、と訊くと、一人が自分の左手でチョキを作った。
「ずっと、こうしてる人」
もう一人が、顔の白い人、と付け足した。
着ぐるみでも来ているのかと思った。昼の催しには、私は関わっていなかった。

午後、飾りをつけた枠が傾き、紐を結び直すことになった。
私が脚立を取ってくると、テントの裏に男が立っていた。
白い顔だった。作業服らしいものを着て、こちらを見ていた。足元は箱に隠れ、頭はテントの縁より高い位置にあった。
男は左手を上げた。
指が二本しか見えなかった。
私は脚立を置き、箱の横から近づこうとした。

箱の向こうには人が立てる隙間がなかった。
フェンスとの間へ、予備の机が何枚も立ててあった。その上に顔があったのか。見上げると、テントの白い布しかなかった。
後ろで、大きな音がした。
さっき直そうとした飾りの枠が倒れていた。隣の係の人が、離れて、と周りの子供を下がらせていた。
私の脚立は、枠の下で横になっていた。

怪我人はいなかった。
枠を起こすのはやめ、その飾りは取り外した。隣の係の人が、運がよかったね、と私に言った。
私は、あの人を捜していた、と答えかけてやめた。
子供たちは、テントの裏へ回っていた。フェンスの前で、またじゃんけんをしていた。
一人がチョキを出し、あいこ、と叫んだ。
私はその手から目を離せなかった。

黒田の左手には、指が二本残っていた。
若い頃、仕事中の事故でほかの指をなくした。親指もなかったから、物を掴むときは右手で持ち、左の手のひらを下から添えた。
私が手伝おうとすると、こっちじゃなくて向こうを持て、と命令した。
箸もペンも右で使えた。運転もしたし、仕事も変えなかった。私はよく、器用だな、と言った。
黒田は、その言い方が嫌だ、と一度だけ言ったことがある。

私は道具の箱を閉め、車へ戻った。
祭りの最中に帰るわけにはいかない。そう思いながら、鍵を出していた。
助手席へ荷物を入れ、運転席へ回ったとき、後ろで女の人が叫んだ。
振り向くより早く、肩を引かれた。体が荷台へ当たり、肘を打った。
横を、別の軽トラックが通った。
運転していた若い男が慌てて降り、何度も頭を下げた。バックしていて、私を見ていなかったという。

私を引いた者は、どこにもいなかった。
上着の肩が湿っていた。布をつまむと、水が指についた。
若い男は、すみませんでした、とまだ言っていた。私は彼の車を見た。たいした速さではなかった。自分で避けられたかもしれない。
それを口にすると、横にいた女性が私を見た。
「助かったんですから」
私は、そうですね、と答えた。

夕方、あの子供の一人が、私へ紙コップを持ってきた。
中身は空だった。あのおじさんのだと言った。
「どこにいるの」
訊くと、公園の方、と答えた。
片方の子は、もう母親と帰ったらしかった。残った子は、ひとりでじゃんけんをしながら歩いていた。
私は紙コップを捨て、あとを追った。

公園と駐車場の間に、小さな川が流れている。
今は柵が続いているが、昔は公園から水際へ下りられた。石を並べた浅い階段があり、草に隠れても、黒田はよく場所を覚えていた。
祭りの日も、あいつはそこへ下りた。
酒を飲んでいたのは事実だ。だが、足元がおぼつかないほどではなかった。
私も同じだけ飲んでいた。

あの日、黒田は財布を落としたと言った。
車にあるだろうと私が答えると、さっき下で涼んだ、と階段を指した。
もう暗かった。捜すなら明日にしろ、と言った。
黒田は携帯の明かりで足元を照らし、先に下りた。
私はついていかなかった。
その時点では、誰かが悪いという話でもないと思う。

水の音がした。
すぐに、黒田が私を呼んだ。川へ落ちたらしかった。
岸へ戻ろうとしている姿が見えた。水は、顔を出していられる深さだった。手を伸ばせば、届いたと思う。
黒田は右手をこちらへ向けていた。
「早くしろよ」
そう言った。
助けてくれ、ではなかった。

私は岸へ近づかなかった。
自分が滑ったら困ると思った。酒も入っていたし、暗かった。そう説明すると、たいていの人は、それなら仕方がない、と言う。
私が本当に考えていたことは、もっと短かった。
少し困ればいい。
いつもみたいに、俺に命令していれば何とかなると思うな。
ほんの少し、そこで待たせるつもりだった。

黒田の顔は、一度だけ水へ沈んだ。
すぐ戻ると思った。戻らなかった。
私は携帯を出した。手が震え、うまく画面を押せなかった。そこから先のことは、警察にも、黒田の家族にも、話したとおりだ。
誰を呼んだか。何分頃だったか。どこに立っていたか。
待たせたことだけは、言わなかった。

子供は柵の前で立ち止まっていた。
水は昼間の雨で少し増えていた。街灯はまだついていなかったが、対岸の店の明かりが届いていた。
「あそこ」
子供が指した。
川の真ん中に、白い顔があった。
身体はほとんど見えなかった。左手だけが水から出ていて、二本の指を広げていた。
子供が右手を上げたので、私は手首を掴んだ。

子供は痛いと言った。
私は手を離した。すぐ後ろで、迎えに来た母親が、何してるの、と声を上げた。
説明しようとしても、子供の腕に赤い跡がついていた。私が強く掴んだせいだった。
母親は子供を自分の後ろへやり、私から離れた。
子供は帰りながら、あのおじさん、まだやってる、と母親へ言った。
母親は川を見なかった。

私は柵を握った。
黒田はこっちを見ていた。
「もういいだろ」
声に出すと、自分の言い方が、ひどく頼りなく聞こえた。
左手は下がらなかった。
私があの手を取ったところで、何を返せるのか分からなかった。十五年たっていた。今も、私は岸の上で、あいつだけが水の中にいた。
黒田の顔が、少し近づいた。

後ろから、机を運んでほしいと呼ばれた。
私は柵から手を離した。祭りは終わりかけていた。拡声器で忘れ物の案内が流れ、屋台の人が大きな鍋を洗っていた。
戻ると、手の空いている若い男が二人いた。机を持ってもらい、私は荷台へ上がった。
昔と同じように積めた。
二人が別の荷物を取りに行くと、私は一人で荷台から下りようとした。

荷台の端へ足をかけたとき、靴底が滑った。
伸ばした手を、下から掴まれた。引き戻すほどの力はなかったが、身体が外へ倒れずに済んだ。
私は積んだ机へ尻をつき、息を吐いた。
手首を掴んでいるのは、黒田の右手だった。
すぐ下に顔があった。水を含んだ髪が額へ貼りつき、目は開いていた。
左の手を、私の背へ回そうとしていた。

「もう、いい」
私は車の縁へ足を置き直した。腰を上げれば、一人で地面へ下りられる。
黒田は放さなかった。
指の間から、冷たい水が流れてきた。肘を伝い、袖の内側へ溜まった。
「放してくれ」
掴まれた手が、少し下がった。
私は慌てて、空いている方の手でも黒田の腕を握った。

若い男が戻ってきて、まだ下りないんですか、と訊いた。
私は返事ができなかった。
男は荷物を置き、手を貸しましょうかと言った。
私は大きな声で、触るな、と言った。
男が足を止めた。黒田は私の手を握ったまま、顔を上げていた。
私の指は、黒田の手首へ爪を立てていた。あいつを放すのが怖かった。

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