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未開封の土産

父の背広を取りに戻ったとき、箪笥から小さなバスが出てきた。赤い二階建ての、土産物屋で売っているような玩具だった。箱の正面だけ透明になっていて、側面に色の褪せた値札が貼ってあった。三百五十円。私はその値札まで覚えていた。幼稚園の年長のころ、父に買ってもらった物だ。

父は明け方に亡くなった。病院から葬儀社の車に乗って、小さな会館へ移った。母をそこに残し、私は実家へ着替えを取りに来ていた。前夜からほとんど寝ていなかったので、バスを見つけても、何でこんな所に、と思ったきりだった。背広の上着のポケットに箱を入れた。母に見せたら、旅行の話くらいはできるかもしれなかった。

そこは海に近い遊園地だった。観覧車のほかに、動物を見せる建物があった。私は乗り物に弱く、汽車の形をした遊具でも気分が悪くなったので、昼食の後はその建物へ入った。父と母と私の三人だった。外はひどく暑かったが、中は冷たいコンクリートのにおいがした。日陰にしゃがんでいる父の、白い半袖の背中をよく覚えている。

バスは入口の売店で買った。箱から出そうとしたら、父が持っていてやると言って取り上げた。母は私の手を引いて、ガラスの向こうの蛇を見せた。父がついて来ないので戻ってみると、檻の前にしゃがんでいた。私は勝手に、動物へバスをやるのだと思った。父にはそういうところがあった。自分が買ってやった物なら、人に貸すのもやるのも自分で決めた。

檻の中には黒いものがいた。長い毛で顔は見えなかった。猿よりは大きく、熊ほど厚みはなかったと思う。ただ、動物として思い出そうとすると、どうもうまくいかない。床へ膝をつき、腰を折っている。背中から垂れた毛が、水を吸ったモップのように広がっていた。頭はその毛の中に入っていた。父は正面を向いていたが、私は横から、その丸い背中ばかりを見ていた。

父が片手を前へ出していた。その手の下にバスの箱があった。何か言っていたようだが、声は聞こえなかった。隣で鳥が金属を叩くような声を出していたし、母のサンダルが床を擦る音もした。父の声だけがなかった。腹を立てた私は、買ってくれた物を動物にやらないでほしいと言った。自分の声は大きく響いた。父は振り返らなかった。

後で母に連れられて外へ出た。父はなかなか来なかった。私は売店の脇の日陰で座っていた。出てきた父は汗びっしょりで、顎から水が落ちていた。バスは持っていた。母が何か聞き、父の口が動いた。私は早く箱を開けてほしくて、父の脇腹を引っ張った。父は私の手を掴んだが、バスはくれなかった。その晩、泊まった宿の押し入れへ、自分の鞄ごと入れてしまった。

おかしなことに、私はそのバスで遊んだ覚えもある。屋根に指を載せ、ざらざらした所を走らせた。段差を越そうとして、前輪が何度も引っかかった。屋根が掌にぴったり収まる大きさだったことや、車輪がうるさかったことまで覚えている。ところが、場所が分からない。宿の畳ではなかった。自分の家の床でもなかった。玩具そのものを見かけなくなってからも、あの車輪の音だけは覚えていた。

会館へ戻る前に、車の中で箱をよく見た。透明な窓に埃がついていたので、袖で拭いた。バスは新品だった。車輪の溝にも、赤い屋根にも傷がない。左右の口は小さな丸いシールで塞がれていた。爪を立てれば割れそうなほど茶色くなっていたが、どちらも一度も剥がした跡がなかった。父が同じ物を二つ買ったのだろうか。値札の端だけ、斜めに折れている。それも、覚えている物と同じだった。

母は私が広げた背広を見て、これじゃなくてよかったのに、と言った。父が結婚式にしか着なかった、一番いい服だった。普段の柔らかい上着を持ってくればよかったらしい。取り替えてくると言うと、いい、疲れるから、と止められた。母は何度も襟を撫でた。父が横になっている部屋は、私たちしかいなかった。白い布の下で、父の鼻の形が少し尖って見えた。

「これ、箪笥にあったよ」
箱を見せると、母は手を出さなかった。
「まだあったんだね」
「俺、これで遊んだよな」
「遊んでないよ。お父さんが持ってたんだから」
母の答えには迷いがなかった。私がまだ聞こうとすると、箱を鞄へしまうように言った。ここで出さなくてもいいでしょう、と。

母は、私が動物の前で泣いた日のことも覚えていた。私の記憶では、腹を立てただけで泣いてはいなかった。それを言うと、声が出なくなるほど泣いてたよ、と返された。父に話しかけたことは覚えていないらしい。母は売店へ戻ってジュースを買い、少し離れたベンチで私に飲ませていた。父はずっと檻の前にいたという。

「何してたの」
「分からない」
「餌でもやってた?」
母は首を振った。それから父の顔の布を直し、私のほうへ向き直った。
「返してくれって、頼んでた」
声を落としたので、聞き返した。
「返してください、お願いします、って。あの人があんな言い方するの、初めてだったから。私もね、どうしていいか分からなくなっちゃって」

私は、箱を差し出す父の手を思い出した。持っていたのではないのかもしれない。箱は下にあった。父の掌は上へ向いていた。指を何度も曲げた。子供においでとするように、何度も。自分の物を取られたと思い込んでいたので、何をしたがっているのか考えたことがなかった。

母も途中で檻の前へ行ったそうだ。父の肩に触れると、見てないで手を貸してくれ、と言われた。何をするのか聞くと、そこにあるだろう、と檻のほうを指した。母には何があるのか分からなかった。バスならこちら側に落ちていた。父の足元から拾うと、そんな物じゃない、と怒鳴られたという。父は私たちが外へ出た後も、一人で頭を下げていた。

「お父さん、何か落としたのかな」
私は聞いた。母は答えず、紙コップの茶を飲んだ。病院から持ってきた父の鞄が足元にあった。財布も、腕時計も、家の鍵もそこに入っている。父が長く使っていた物のうち、何かが欠けていたとは、私には思えなかった。母は空の紙コップを潰しかけて、丸い形へ戻した。

あの玩具は、引っ越すときにも父が持っていった。私が高校生のころ、マンションへ移ったのだが、母が古い玩具をまとめて人に譲ろうとすると、あれだけは別にした。私が家を出てからも、箪笥の引き出しに入っていた。母が掃除のたびに気にしていたのは、バスが大切だからというだけではなかった。

「夜、引き出しの中で走るのよ」
母はそう言った。片方から片方へ、車輪が転がる。何度か続く。父は目を覚ますと、それを手で止めるように、箪笥の側面を押さえた。最初は母も起きた。そのうち、音がすると父の肩を揺するだけになった。
「箱から出したことがないなら、中で走れないだろ」
「だから、あの人を起こすんじゃない」

私は玩具を鞄から出した。箱は開けないまま、窓越しに車輪を見た。バスは灰色の台紙へ留められていた。箱の内側には、前にも後ろにも指一本ほどしか隙間がない。手を動かすと台紙がかさりと鳴った。それを聞いて、母が顔をしかめた。父も、こうして箱を揺すったことがあるのだろうか。開けて確かめようと思わなかったのだろうか。

部屋の入口が開いて、係の人が飲み物を足しに来た。母はそちらへ行った。私は父の横に座っていた。箱の窓に父の白い布が映り、バスが見えなくなった。角度を変えたとき、指先に小さな振動があった。耳へ寄せると、かり、かり、と鳴った。子供のころ、前輪が段差へ引っかかったときの音だった。

箱を耳から離した。まだ聞こえた。肘を伸ばし、膝の先まで離しても、音の大きさが変わらなかった。車輪は動いていない。バスは台紙に載っている。私はあのとき、どこでこれを走らせていたのだろう。足の下がひどく冷たかった。頭から何かを掛けられていた。暗かったが、箱から出したバスはよく見えた。父の靴も見えた。靴の上に父の手があった。手の間に、何本も縦の棒があった。

母が戻ってきて、私の顔を覗いた。私は箱を見せ、いま音がしたと言った。母は驚かなかった。バスを鞄へ入れようとしたので、私は引いた。まだ確かめたかった。母は私の手首を掴んで、もうやめて、と言った。指に力がなかったので、余計に振りほどけなかった。

「あの日、俺、どこにいた」
「私のそばにいたよ」
「途中でいなくなったりした?」
「しない。ずっと手を掴んでた」
母はそう答えながら、私の袖を掴み直した。あの日もこうされた覚えがある。紙コップの甘いジュースを飲んだ。そこまでは確かに母のそばにいた。だが、バスを動かしていたときは、誰も私の手を掴んでいなかった。私は自分の頭の上にある、温かくて重いものを押し上げようとしていた。

母の唇が動いた。手を離し、父のほうを指している。何か言っているが、聞こえない。廊下では係の人がスリッパを引きずっていた。遠くで電話が鳴った。私は母の顔を見て、首を振った。母はもう一度同じことを言い、私の耳へ口を近づけた。その息だけが当たった。私は子供のころと同じように、ここで泣き出しそうになった。

そのとき、父の声がした。布の下からではなかった。私が両手で持っている箱の、向こう側だった。どうか、と父は言った。若い、よく通る声だった。私は箱を胸へ引き寄せた。すると声が遠ざかり、父はますます必死になった。返してください。頼みます。母は何も聞こえていない顔で、箱を渡すように手を出した。母の手が箱を掴んだ。私は離せなかった。紙の角が折れ、前輪の引っかかる音が一つした。

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