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雨戸のない晩

最初にその音を聞いたとき、私は、後ろの人の靴が鳴るのだと思った。

町内の夜回りへ加わって、三度目だった。水曜日の九時に集会所へ集まり、三十分ほど歩く。私の班は女性ばかり三人で、用事があれば別の班と交代してもらえた。昔は酒を飲んで駐車場へたむろする人がいて、夜の見回りを始めてから減ったのだという。今は空き缶や吸い殻を拾うこともなくなったそうだ。私も引っ越してきたばかりで、近所の人と話せる機会があった方がよかった。

前を歩くのは佐野さんで、拍子木を持っていた。私は懐中電灯を持ち、後ろから古賀さんが歩いた。米屋の裏を曲がった所で、ミシッ、と音がした。かかとの硬い靴が道の端の板を踏んだような音だった。次は、八百屋の雨戸が鳴った。その次は二軒先の塀の中だった。私は家の建て込んでいる所だからよく響くのだろうと思った。二人は野菜の高い話を続けていた。

音はその後、私たちのすぐ後ろで鳴るようになった。足音よりゆっくりだった。追いついて来たと思って少し速く歩くと、向こうも間を詰める。私が振り向くと、古賀さんが立ち止まった。
「何か落とした?」
「いえ。後ろ、誰かいるような」
古賀さんは道を見て、それから私の足元を見た。
「初めは気になるんだよね」
そう言って、佐野さんの隣へ行った。私は一人で最後尾を歩くのが嫌で、二人の間へ入れてもらった。

見回りの終わりは、空き家の前だった。古い二階建てで、南側の雨戸が一枚だけ白く剥げていた。佐野さんはその前へ来ると、拍子木を鳴らすのをやめた。三人で角を曲がり、集会所へ戻った。後ろの音はもうしなかった。その晩は、どこで止んだのかを気にしなかった。

四度目も、五度目も同じだった。最初にどこで鳴るかは違っても、帰りには後ろへついてきた。工事の足場が組まれ、道の半分を塞いでいた晩、佐野さんは迷わず一つ手前を曲がった。いつもなら通らない細い道だった。どこかの家の台所のすぐ外を歩いているような所でも、音は離れなかった。佐野さんは、一周できれば道はどっちでもいいのだと言った。ただし、最後はあの空き家の前へ出るようにしていた。

夫には一度話した。後ろの人に踵の鳴る靴を履く癖があるんじゃないか、と言われた。そうかもしれないと思いたかったが、古賀さんが休んだ二人だけの夜にも、同じ音がした。足元を照らして歩いた晩には、何もない舗装の上で、木の折れる音を聞いた。佐野さんも聞いたはずだった。それでも話を中断せず、息子さんの子供が、なかなか自分をおばあちゃんと呼ばないのだと笑っていた。

夏の終わり、買物からの帰りに、あの空き家の前を通った。軽トラックが停まり、作業服の男が雨戸を外していた。下の方が腐っていたらしく、右下の隅が大きく欠け、立て掛けた戸の隙間から向こうが見えた。
「誰か住むんですか」
挨拶のついでに訊くと、近いうちに息子さんが戻るのだそうだ。男は外した戸を荷台へ積んだ。残った窓は、思っていたより大きかった。薄く濁ったガラスの向こうに、白い畳が見えた。雨戸が一枚なくなるだけで、家が広くなったようだった。

その晩も見回りだった。佐野さんへ雨戸のことを話そうとしたが、古賀さんがお孫さんの話を始め、機会を逃した。私は、工事が終わればあそこも明るくなると思った。空き家の隣の道は暗く、塀に沿って歩くときには、いつも少し緊張していた。

米屋の裏で、音がした。いつものミシッという音のあとに、何かを引きずる音が混じった。短くずって、止まる。それから、またきしむ。古賀さんが足を止め、私たちも止まった。音はすぐには止まらなかった。三人の間を、ゆっくり抜けていくように聞こえた。私は靴を少し引いた。何も触れなかったが、空気に埃の匂いがあった。

佐野さんは拍子木を片手へまとめた。
「今日は早く回ろうか」
三人で歩き出した。話はしなかった。拍子木を鳴らさなくなっても、後ろから音がついてきた。私たちが歩いているうちは、いつもとそれほど変わらなかった。ところが信号で止まると、背後のシャッターが一度へこんだ。車の光が走り、へこんだ所からまた元の形へ戻るのが見えた。古賀さんが、青になったよ、と私の袖を引いた。

空き家の前で、佐野さんは立ち止まった。外灯の明かりで、雨戸のない窓が見えた。
「これ、いつから」
昼に外していたことを話すと、佐野さんはガラスの向こうを見た。私にも畳が見えた。日中は白く見えたのに、今は黒ずんで、窓の手前だけ縁がほどけていた。
「今日はここへ返せない」
古賀さんが言った。
「返すって、音ですか」
二人とも返事をしなかった。後ろで、長く木がきしんだ。私の肩のすぐ脇だった。

佐野さんは私から懐中電灯を受け取り、門の隙間へ向けた。庭に外した戸が残っていないかを探しているようだった。昼に軽トラックで持っていった、と私が言うと、古賀さんが小さく舌打ちをした。
「業者、どこの人だった?」
車に書かれていた店の名前は覚えていなかった。町内で何度か見た男だが、話したのは初めてだった。佐野さんは携帯を出し、どこかへ電話した。相手が出るまでの間、私たちの後ろで、ミシ、ミシ、と音が移った。窓へ寄っては、少し戻る。同じ所を行ったり来たりしていた。

私が、何がいるんですか、と訊くと、古賀さんは困ったように眉を寄せた。
「分からないよ。ここで音が止むから、最後はこっちへ回るの」
「いつからですか」
「私がやり始めたときは、もう」
その答え方が、本当に知らないのだと分かる口調だった。私が見回りを始めた頃、もっと詳しく訊いていれば、同じ返事を聞いたのかもしれなかった。

佐野さんは電話を切った。あの家の親族を知る人に連絡したが、すぐには戸の行方は分からなかったらしい。
「今日はもう帰ろう。あの前にいれば、入れるかもしれないし」
古賀さんが窓の方へ顎を向けた。彼女は先に歩き始めた。佐野さんも続いた。私も二人から離れないようにした。きしみは動かなかった。曲がり角まで来て振り返っても、誰もいなかった。窓の前で、何か重い物を引きずっている音だけがした。

集会所へ着き、当番の道具を物置へ戻した。佐野さんが扉を閉めようとすると、中でミシッと音が鳴った。佐野さんはすぐに手を離した。拍子木は棚の上に揃っていた。紐の先も止まっている。古賀さんが、あそこに置いてきたよね、と言った。佐野さんは答えず、扉を開いたまま外へ出た。私も後を追った。

集会所の前には、三人の自転車が並んでいた。私が自分の自転車の鍵を外すと、隣の古賀さんの前籠が揺れた。籠には何も入っていない。それなのに、底が大きくたわんだ。古賀さんがハンドルを押さえた。佐野さんは、乗らないで、と言った。その声にかぶさるように、集会所の中で戸が引かれた。物置の扉は開き戸だった。

私は自転車を置いて、建物から離れた。道路へ出る手前で、後ろから拍子木が二度鳴った。佐野さんの手には何もない。二人も私も、同じ方を見た。集会所の玄関の脇へ、あの白く剥げた雨戸が立っていた。昼にも見た、右下の欠けた形が同じだった。中央の板が反り、向こうの暗がりが細く見えていた。

携帯が鳴った。佐野さんが電話に出た。しばらく聞き、今夜じゃなくていい、と答えた。戸を持っていった建具屋は、翌日なら連絡がつくという話だった。
「ここに戻ってます」
私は横から言った。
佐野さんは私を見て、もう一度、明日でいいです、と電話へ言った。切ったあとで、あれは触らないで、と小さな声で言った。私は雨戸から目を離せなかった。板の隙間が、ゆっくり閉じていた。誰も押さえていないのに、浮いていた木の端が一つずつ揃っていった。

戸が少し傾き、玄関の壁へ、横にずれた。誰も持っていないのに、枠へ収まるような乾いた音がした。その向こうで、人が歩いた。板を踏む音だった。続いて、古賀さんがさっき話していた、お孫さんの名を呼ぶ声がした。声は集会所の中からではなかった。薄い雨戸の、すぐ裏からだった。

古賀さんが自分の口を押さえた。私たちの後ろでも、木がきしんだ。振り向くと、道路の向かいのブロック塀に、雨戸の取っ手がついていた。私は塀を知っている。昼間、そこへ自転車を寄せて荷物を直したこともある。取っ手は横へ滑り、塀の向こうから、佐野さんが野菜の値段を嘆く声がした。二人とも黙ったまま、私の隣に立っていた。

集会所の戸の裏で、足音が三つ重なった。私たちがいつも歩いていた速さだった。向かいの塀でも同じ音が始まった。私は息を止めた。二人と初めて話した晩の自分の声が、どちらから聞こえるのか分からなかった。

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