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音・声だけ

怪談

旧吹上トンネルの下を抜けてきた声

六月の終わりは、工場の中まで湿っている。床のコンクリートが汗をかいて、長靴の底がきゅっと鳴った。グリスと雨の匂いが、朝からこもったままだ。樋口の勤める整備工場は、青梅の黒沢にある。成木街道を北へ上がって、吹上峠にかかる手前だ。
怪談

小坪トンネルの無線と、六〇八号室の客

夜八時から朝の六時まで、逗子の営業所で配車の無線を取っている。駅から歩いて五分の、古いビルの二階だ。私の夜勤は、火曜と木曜と土曜。零時を回ると、事務所には私一人になる。机の上には、卓上のマイクと電話が二台並んでいる。
怪談

印西の惨殺屋敷、十七本目の杭

十月の半ばの火曜日、印西の現場に着いたのは三時四十分だった。前の現場の生け垣が長引いて、一時間近く押していた。社長からは、日が暮れる前に上がれと言われている。俺は佐倉の小さな会社で、空き家の外まわりを請け負っている。
怪談

稲毛・白幡大神のそばの借家で、二回だけ名前を呼ぶ声

名前は二回しか呼ばれていない。三回目が来ない。ばあさんの声が、頭の後ろで言う。人は二回で諦める。三回呼ぶのは用のある者だけだ。
怪談

砧公園裏の第六天の森、店番の午後に鋸の音がした(世田谷・岡本)

奥の作業場から、シャッ、と音がした。鉄を擦る音。父だ、と思った。現場が早く終わって、裏口から入ったんだろう。声をかけたけど、返事がない。
怪談

桃尾の滝の駐車場、深夜一時の迎車

深夜一時の無線で、天理市滝本町の桃尾の滝へ上がった。駐車場には白い軽が一台。道の入口には、揃えて置かれた運動靴と、手すりに掛かったチェックのシャツ。
怪談

八王子城跡の宿で、明け方の留守電に残っていた返事

部屋の中で、女の声がする。低く、平らで、名前を読み上げるような調子。一つ呼んでは、間を置く。また一つ呼んで、間を置く。美和は息を止めた。
怪談

武蔵一宮氷川神社の蛇の池で、二回だけ吠えた

十日市の昼、工場の後輩と武蔵一宮氷川神社の蛇の池まで下りた。柵の向こうの木立で、犬が二回だけ吠えた。境内に犬は入れないはずだ。
怪談

烏の森から届く五時の放送

チャイムが終わった。いつもならそこで切れる。今日は、女の人の声が続いた。亡くなった、友人の、と言ったきり、先は森に吸われて届かない。
怪談

宮内春日神社、裏へもう一本

宮内春日神社の宵宮。拝殿裏の石の囲いを、町会の人は「裏」としか呼ばない。人の引けた深夜、御神酒を抱えて拝殿前に立つ私の耳に、裏から鐘が届いた。