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まだ青い実

叔母は、葡萄を一房ずつ数える人だった。

育った実を人にやるのは好きなくせに、どこの家へいくつ渡したかをよく覚えていた。お返しを待っているわけではない。去年の一房を褒められると、そっちにあげたのは三房よ、と訂正せずにいられないのだった。

袋掛けを手伝いに行ったのは六月の終わりだった。庭の葡萄棚は、玄関から物置までを覆っていた。叔母が脚立へ上がり、私は下から新しい紙袋を渡した。去年は私の夫が来たので、その時にどうしたという話を、朝から三度聞かされた。

「今日は本人に聞けないからね」
そう言うと、叔母は笑った。夫は仕事だった。私一人では役に立たないと思われるのが嫌で、昼までには終わらせるつもりで来ていた。

実はまだ青く、硬かった。叔母は房の小さい粒をいくつか落とし、広げた袋へそっと収めた。上の細い針金を閉じる。それだけに見えたが、私が一つやると、葉まで入れないで、とすぐ直された。

棚の下には、日が細かく落ちていた。何も植えていない土の上へ、丸い影が重なっている。風が吹くと、袋の底が私の額を軽く撫でた。

十枚ほど渡したところで、叔母が脚立から下りた。玄関の脇まで歩き、空の籠を取ってきた。私が次の袋を広げていると、棚の奥から男の人が出てきた。

五十歳くらいに見えた。灰色の半袖シャツを着て、袖の片方を折り上げていた。物置へ用があったのかと思った。男は私の顔を見ず、手の甲で口を拭いて、庭を出ていった。

「今の人、誰?」
叔母は籠を脚立の横へ置いていた。
「何か言ってた?」
「何も」
「じゃあ、いいわ」
それだけだった。

男が門のところで立ち止まった。指を口へ入れ、何か小さいものをつまみ出した。道端へ捨てず、ズボンのポケットへ入れた。その仕草を見て、私は葡萄の種だと思った。まだ食べられる実は一つもないと聞いたばかりだったのに。

叔母が脚立へ上がろうとした時、掛けたばかりの袋から、雫が落ちた。肩へ落ちた叔母が、雨、と空を見た。葉の隙間は白く晴れていた。

私が袋の底を持つと、紙が濡れていた。薄い紫色だった。指に匂いがついた。葡萄の匂いではあったが、店で売っている房の匂いとは違った。食べた皮を皿に寄せ、しばらく置いた時の、少し酸っぱい匂いだった。

「虫かな」
叔母が袋の口を緩めた。私は下に掌を出した。
濡れた皮が何枚も落ちてきた。紫の皮だった。丸い実は一粒もなかった。皮の切れ目に小さな種が挟まっていて、私が手を傾けると、爪の脇を通って土へ落ちた。

思わず手を振った。叔母に、散らかさないで、と言われた。
「何か食べたんじゃない」
私は言った。「鳥とか」
「さっき、かけたのよ」
叔母は袋をひっくり返した。空になった紙を内側から見た。破れたところはなかった。

枝には、房の芯が残っていた。細い柄の先に、小さな丸い跡が並んでいた。あの袋へ入れた時に私が見たのは、確かに青い実だった。葉を一緒に入れて直された、自分の袋だった。

「落ちちゃったのかな」
叔母は下を探した。
食べた皮はまだ私の指の間にもあった。それを見せると、叔母は口を結び、空の袋を籠へ押し込んだ。次の房には手を伸ばさなかった。

門の外から、向井さんが呼んだ。裏の家の人だった。叔母より十歳ほど若く、よく車に乗せてもらっていると聞いていた。買い物へ行く前に寄ったらしく、腕から布の袋を下げていた。

「今年も多いね」
向井さんが棚を見て言った。叔母は、数えたら七十二、と答えた。
もう数えてあった。私は一つ減ったと思ったが、口には出さなかった。

向井さんは、棚の奥へ声を掛けた。
「すみません、通ってもいいですか」
何のことかと思って振り返った。葉と袋のあいだに、白い帽子が見えた。女の人だった。顔を下げていたので、帽子の縁から鼻と顎だけが出ていた。

私が立っている通路へ、女が出てきた。何も持っていなかった。口を閉じたまま、ゆっくり顎を動かしていた。向井さんへ小さく頷き、私の横を通った。濡れた果物の匂いがした。

さっきの男が戻ったのなら、門からこちらへ歩く姿が見えたはずだった。女が入ってくるところも見ていなかった。棚の向こうは隣家の高い塀で、通り抜けられる隙間はない。

「知ってる人?」
私はまた叔母に聞いた。
叔母は女を見ていた。
「食べていった人でしょう」
答えになっていないと思ったが、私も同じことを考えていた。動く口を見て、果物の匂いを嗅いだだけで、それ以外の用事を思いつけなかった。

向井さんが女へ、甘かったですか、と聞いた。
女は門まで行ってから頷いた。口へ指を当て、すみません、とでも言うように頭を下げた。飲み込めないのか、少し長く俯いていた。私たちは、その間ずっと待っていた。

女が出ていくと、向井さんは近くの袋を軽く持ち上げた。
「ずいぶん重い」
叔母が脚立を寄せ、口を開いた。私はもう掌を出さなかった。籠を下へ置いた。

また皮だった。
袋の底に、潰れた皮が集まっていた。叔母はその上から指を差し込み、房をつかむ形に手を曲げた。
「こっちは、まだあるよ」
言いながら、葉のほうへ持ち上げた。

私には、細い芯だけに見えた。枝に繋がった小さな柄が、叔母の指へ引っかかっていた。向井さんが下から、きれい、と言った。
「少し色が来てるね」
叔母も頷いた。

私は籠から一枚の皮を拾い、二人へ見せた。
「これしかないよ」
向井さんは私の指先を見て、自分の鞄からティッシュを出した。
「手、拭いたら」
皮を見ていないのではなかった。ただ、それと房の話が、二人の中では別々に済んでいた。

「中身、ないんだよ」
私はもう一度言った。
叔母は手を引き、袋の口を閉じた。私が何に怒っているのか分からないような顔をした。私は怒っているつもりではなかった。

庭の向こうを男が歩いていった。
今度は紺の作業着だった。二人連れだった。一人が振り返り、棚の陰へ手を上げた。こちらへ向けた挨拶ではなかった。もう一人は頬を膨らませ、口を動かしながら、自分の胸についた白いものを指で取っていた。

叔母が、どうも、と言った。
男たちは止まらなかった。私は向井さんの袖を引き、あの人たちが入ってくるところを見たかと聞いた。向井さんは首を振った。ずっとここにいたのにね、と言って、その時になって棚の奥を見た。

背の低い葡萄の幹と、物置の戸があるだけだった。戸には外から掛ける錠がついていた。叔母は物置を一度も開けていない。袋の掛かった枝を見上げると、白い底に濡れた点がいくつもできていた。

私が下がると、向井さんも同じだけ下がった。
叔母だけが脚立の横にいた。私を見て、そこの袋取って、と言った。新品の束だった。まだ半分以上残っていた。

「もうやめよう」
私は束を抱えた。
「何で」
「人がいるから」
叔母は門を見た。誰もいなかった。
「もう出ていったよ」

向井さんが、出てくるんだよね、と言った。
小さい声だった。叔母は彼女を見た。私が何度言っても通じなかったことが、それで通じたようだった。叔母は脚立に掛けていた鋏を取り、後ろへ半歩下がった。

去年も来た人たちだと、叔母は言った。
庭にいると、棚のほうから出ていく。初めは近所の人だと思った。葡萄を分けた相手が友達を連れてきたのだろうと。礼を言われることもあったから、呼び止めてまでは確かめなかったという。

「去年、いつ頃?」
私が聞くと、叔母は、今ぐらい、と答えた。
「まだ、食べられない頃?」
叔母は鋏の留め金を外したり掛けたりしていた。
「でも、食べて帰るから」

叔母が嘘をついているとは思わなかった。自分で言って、初めておかしいと思ったようだった。いつも数を覚えている人が、何人来たかと向井さんに聞かれると、分からないと答えた。

「私が分けたの、秋だよ」
叔母は急に言った。
誰に確かめたのか、分からなかった。私は、その年の秋に貰った葡萄のことを思い出した。夫と二人で食べた。皮は台所のごみ袋へ捨てた。あの時の房と、いま目の前にある物が同じだとは、考えたくなかった。

頭の上で紙が擦れた。
顔を上げると、袋の一つが細かく動いていた。風はあったが、それだけがほかと違う動きだった。底を片方へ押して、戻り、もう片方へ押した。中で実が転がるには、袋の幅が狭すぎた。

私は叔母の腕を取った。今度は一緒に下がった。
向井さんが門のほうへ歩き始めた。その背後から、小さな女の子が出てきた。髪の両側を丸く結んでいた。どこを通ってきたのか、三人とも見ていなかった。

女の子は叔母の前で止まった。両手を口へ当てていた。叔母が屈みかけたので、私は腕を離さなかった。
「紙、ちょうだい」
女の子が言った。
私が抱えている、新しい袋の束を見ていた。

私は上の一枚を取りかけた。手を止めると、女の子はもう一度、紙、と言った。掌を少し離した。口から紫の汁が、顎へ一筋流れた。私の指にも、まだ同じ色がついていた。

向井さんが自分のティッシュを差し出した。
女の子は受け取らなかった。私たちの顔を順に見てから、両手を口へ戻した。そのまま門へ向かった。誰も迎えに来ていなかった。私は、止めなくていいのだろうかと思いながら、門の柱で姿が見えなくなるまで動けなかった。

叔母が、一本切ってみる、と言った。
庭へ戻ろうとしたので、私はまだ腕をつかんでいることに気づいた。放して、と静かに言われて放した。叔母は棚の端にある房を選んだ。門から手が届く位置で、紙がまだ濡れていないものだった。

枝を切る前に、袋の口を開いた。
私には、最初から実がなかった。芯と、そこから出た細い柄が見えた。叔母は袋を下から支え、向井さんに、これも見えるね、と聞いた。
向井さんは頷いた。でも、さっきのようには近寄らなかった。

鋏が閉じた。
叔母の手が下がるほどの重さはなかった。本人もそう思ったのか、二度、小さく持ち上げ直した。袋を取ると、房をつかんでいたはずの指が、そのまま細い芯へ寄った。

叔母は何も言わず、右手でそれを握った。
私なら触りたくなかった。叔母が握るのを見て、向井さんは身を引いた。けれど、汁は一滴も飛ばなかった。叔母の拳の脇から、枯れた柄の先だけが出ていた。

開いた掌に、青い種がいくつも残っていた。
皮はなかった。果肉もなかった。叔母はそれを一つずつ指で寄せ、手の真ん中へ集めた。もう私へ、あるともないとも言わなかった。

向井さんが門を開けて待っていた。私は新品の袋を玄関脇へ置いた。叔母の昼御飯をどうするか訊いた。三人で何か買って食べようと言うと、叔母は鋏の留め金を掛け、私についてきた。

門を出るところで、叔母は棚を振り返った。
房の数を数えているのだと分かった。指を一本ずつ折りかけ、途中でやめた。私は叔母の掌が閉じる前に、薄い種を一粒見た。まだ緑色だった。真ん中に、歯形のような白い筋があった。

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