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新潟ロシア村のマトリョーシカは、ひとつ多い

新潟ロシア村で買ったマトリョーシカの話を、三人から聞いた。
小学校の同級生で、今も年に一度は集まる仲だという。
三人とも、四十に手が届くくらいの歳だ。
話は一人ずつ、別々の日に聞いた。
食い違うところも、聞いたまま並べておく。

千夏の話

去年の十月の最初の土曜、昼から実家の片づけに行った。
両親が駅の近くのマンションに移るので、新潟市の家を空けるのだ。
二階の、私が使っていた部屋の押し入れを開ける。
季節外れに暑い日で、中には樟脳とほこりの匂いがこもっていた。
奥から、色のあせた紙袋が出てきた。
中に、マトリョーシカが一つ入っている。

小学四年の夏休みに、子ども会のバスで新潟ロシア村へ行った。
そのとき買ったものだ。
旧笹神村の山の中にあったテーマパークで、今の地名でいえば阿賀野市になる。
新潟市から、バスで一時間もかからなかったと思う。

国道を外れると、杉林の中の細い道に入った。
窓の外に、青い玉ねぎみたいな屋根が見えたり隠れたりする。
屋根には、金色の星がいくつも散らしてあった。
男子がいっせいに立ち上がって、引率のおじさんに怒鳴られていた。

入口の手前に、丸いプールがある。
一メートルを超えるチョウザメが、底にじっと沈んでいる。
その上を、錦鯉が平気な顔で泳いでいた。
門を入ってすぐの土産売り場には、大小のマトリョーシカが棚いっぱいに並んでいた。
階段を下りた先の狭い水槽では、アザラシが一頭、くるくる回っている。
バイカルアザラシ、と札に書いてあった気がする。

教会の中にも入った。
天井がものすごく高くて、柱からてっぺんまで、外国の人の顔がびっしり描いてある。
見上げていたら、首が痛くなった。

お昼にピロシキを食べたあと、広場で踊りを見た。
丸いステージの上で、ロシアの人たちが楽器を鳴らして踊っている。
曲の途中で、外国人のお兄さんがステージから下りてきた。
私の手をつかんで、輪の中へ引っぱる。
大きくて、熱い手だった。
汗と、揚げ物の油の匂いがした。
私は克也の手をつかみ、克也は美保の手をつかんだと思う。
そこから先は、ぐるぐる回った覚えだけだ。

帰りぎわに、三人でおそろいのマトリョーシカを買った。
五つ組の、いちばん安いのだ。
帰りのバスで、膝の上に並べて数えた。
大きいのから、一つ、二つと開けていく。
五つ目は、小指の先くらいの大きさだった。
それだけは継ぎ目がなくて、どうやっても開かなかった。
隣の克也は、自分の五つ目に、私の水性ペンで何か描いている。
のぞきこむと、黒いひげだった。

ロシア村は、それから何年かして休業し、そのまま閉園になったそうだ。
大人になってから、廃墟としてテレビに映っているのを見た。
建物はほとんど取り壊されて、今は誰も入れないらしい。

台所のテーブルに、紙袋の中身を出した。
窓から昼の日が入って、赤い塗りがてらてら光る。
懐かしくて、一つずつ開けていった。
一つ、二つ、三つ、四つ。
五つ目をつまむと、腹のまわりに細い線が一周している。
爪をかけたら、あっけなく二つに割れた。
中から、もう一つ出てきた。

米粒を二つ並べたくらいの、小さな人形だ。
頭にかぶった布と、胴の花の模様は描いてある。
顔のところだけ、塗りがない。
白い木の地が、そのままのぞいている。
削りたてのように、そこだけ白かった。

六つを、大きい順にテーブルへ並べた。
全部が、同じほうを向いている。
私に背中を向けて、窓のほうへ歩いていく列に見えた。
いちばん後ろに、顔のないのがくっついている。
しばらく、椅子に座ったまま動けずにいた。

最初から、六つ組だったのかもしれない。
子どもだったから、五つ目が開くと知らなかっただけだ。
そう決めて、写真を撮った。
三人のグループに送ったのは、一時半ごろだ。
「これ、最初から六つだった?」
「バスで、五つって数えたよね?」
返事を待つあいだ、私はずっと、顔のない人形を見ていた。

克也の話

おれは今、阿賀野に住んでいる。
ロシア村のあった山から、車で十五分くらいの町だ。
嫁の実家がこっちにあって、十年ほど前に家を建てた。
仕事場へは、自分の車で国道二百九十号を走っていく。
山へ入る道の入口も、毎日のように通りすぎる。

その先には、立入禁止の柵があると聞いた。
跡地には今、太陽光のパネルが並んでいるそうだ。
教会の建物がまだ立っているのを、心霊番組で見たこともある。
壁ははがれて穴があいているのに、天井の絵は、まだ色が見えた。
あの道へハンドルを切ったことは、一度もない。

千夏の写真は、土曜の仕事の合間に見た。
次の日の日曜、昼飯のあとで二階へ上がった。
娘の部屋に、おれが子どものころに使っていた本棚がある。
こっちへ越すとき、新潟市の実家から運んできたものだ。
そのいちばん上の段に、おれのマトリョーシカはまだあった。

開けていくと、四つで終わった。
四つ目を割ると、中は空っぽだ。
ひげを描いた五つ目だけが、消えていた。
娘を呼んで、聞いてみた。
「さわってないよ、そんな古いの」
小学四年で、あのころのおれたちと同じ歳だ。
口をとがらせて、すぐに階段を下りていった。

四つ目を閉じて、棚に戻そうとしたときだ。
手のひらの中で、カラ、と鳴った。
振ってみる。
カラ、カラ。
小さくて硬いものが、中で転がる音だ。
開けてのぞくと、やっぱり空だった。
閉じると、また鳴る。

四つ目を持って、一階の居間へ下りた。
テーブルに置いて、手を離した。
少しして、カラ、と一つ鳴る。
誰もさわっていないのに、だ。
あいだを空けて、また一つ。
中で小さいものが、壁にぶつかりながら歩いているみたいだった。
「なに、その音」
台所から、嫁が顔を出した。
嫁にも聞こえている。
それで、背中がすうっと冷えた。

鳴るのを聞いているうちに、思い出したことがある。
あの日、踊りが終わったあとで、外国人のお兄さんがおれたちの頭をなでた。
なでながら、向こうの言葉で何か数えていた。
最初が千夏の頭で、次がおれ、その次が美保だ。
それからもう一回、美保の後ろの何もない空中で、手が止まった。
おれたちの頭より、少し低いところだった。
三人で、げらげら笑ったのを覚えている。
数え間違えたと思ったからだ。

スマホで、ロシア語の数え方を調べてみた。
アジーン、ドヴァー、トリー、チトィーリェ。
四つ目の、舌がもつれるような音に、聞き覚えがある。
あのお兄さんは、ちゃんと四まで数えたのだ。
勘弁してくれ、と声に出していた。

四つ目を手ぬぐいでくるんで、せんべいの缶に入れた。
ふたを閉めても、缶の中から、カラ、と小さく聞こえてくる。
家の中には置いておけなくて、缶ごと車のトランクに移した。
グループには、こう送った。
「おれのは四つ、ひげのがない」
「それと、空っぽなのに鳴ってる」

それから一週間、缶はトランクに積んだままだった。
ロシア村へ入る道の前を通るたびに、トランクの音が少し速くなる。
ブレーキを踏みそうになる足を、そのたびにアクセルへ戻した。
冬になれば、あの山はひざの上まで雪に埋まる。
それまでに、どうにかしたかった。
音は、一日も休まずに続いた。

美保の話

わたしは、マトリョーシカを買っていない。
お小遣いは、ピロシキ二つとジュースで使いきった。
写真が来た次の土曜の昼、千夏の実家の台所に三人で集まったときも、最初にそう言った。
千夏は、「三人で買ったよ」と言い張る。
克也は、「美保も買ってた気がするけどな」と首をかしげた。

千夏の実家は、半分ほど片づいていた。
食器棚は空で、窓にはカーテンもかかっていない。
昼の光が、テーブルの上までまっすぐ届いている。
千夏が窓の側に座り、わたしと克也が向かいに並んだ。
克也は、来るなりせんべいの缶をテーブルの端に置いた。
ふたの上から、ずっと手のひらで押さえている。

わたしが覚えているのは、踊りの列のことだ。
お兄さんは、刺繍の入ったシャツを着ていた。
あとで知ったけど、ルパシカというらしい。
お兄さんが千夏を引っぱって、千夏が克也を、克也がわたしを引っぱった。
わたしは、列のいちばん後ろになった。
手をつないだまま、丸いステージのまわりを回る。
お兄さんが歌って、ほかの人たちが手を叩いていた。

二周目のときだ。
空いていたわたしの左手を、後ろから誰かがつかんだ。
小さい手だった。
かさかさに乾いていて、木のしゃもじを握ったみたいに硬い。
振り返りたくても、列が速くて首が回せない。
前の克也に引っぱられて、足がもつれた。
よその子が、まぜてもらったんだと思った。
後ろの子は、ずっと黙ったままだ。

曲が終わって、列が止まった。
お兄さんが振り向いて、こっちを見る。
わたしの顔より、肩の上の、少し後ろのあたりを見ていた。
短く何か言って、うなずいた。
知っている人にあいさつするときの、うなずき方だ。

振り返ると、後ろには拍手している大人たちが立っているだけだった。
左手は、まだ何かを握っている。
開くと、小さな人形が一つ、手のひらにのっていた。
頭巾も花の模様も描いてあるのに、顔だけが白いままの人形だ。

売り物を持ってきてしまった、と思った。
怒られるのが怖くて、すぐにスカートのポケットへ隠す。
だから帰りぎわ、わたしは土産売り場の外で待っていた。
中に入れば、それも一緒に見つかる気がした。
帰りのバスでは、ポケットの上から何度もさわる。
家に着いたら、人形はなくなっていた。
バスで落としたのだと、ずっと思ってきた。

そこまで話すと、千夏がテーブルに六つを並べる。
グループの写真を見たときから、もしかしたらという気はしていた。
いちばん後ろの、顔のないのを見て、手が引っこんだ。
「これ」
声が、喉の途中で細くなる。
「わたしが、持ってたやつ」
やっぱり、あの子だ、と思った。

克也が、缶のふたを開ける。
手ぬぐいの中で、カラ、と鳴った。
台所には、冷蔵庫のうなる音と、その音だけがある。
三人とも、しばらく口をきかずにいた。
カラ。
少しして、もう一つ、カラ。

「バスで、取り違えたんだよ」
克也が言った。
「美保が落としたのが、千夏の袋に入ったんだ」
「おれのひげのは、うちで失くしただけだって」
千夏が、自分の五つ目を指でつまんで見せる。
腹に一周している、細い線。
「あのとき、これは開かなかったよね」
克也は返事をしないで、缶を自分のほうへ引き寄せた。

顔のない人形を、克也の四つ目に入れてみようと言ったのは、わたしだ。
空っぽのまま鳴っているのが、いちばん怖かった。
克也が指先でつまんで、中へ落とす。
ふたを合わせて、軽く振った。
小さすぎるのだから、中で転がって鳴るのが当たり前だ。
なのに、音はそれきり止まった。
振っても、耳に当てても、もう何も鳴らない。
三人で、黙ってその四つ目を見ていた。
これで終わったんだ、と思いたかった。

千夏の実家を出たのは、三時ごろだ。
克也は缶を抱えて、阿賀野へ帰っていった。
千夏の五つは紙袋に戻って、両親のマンションへ運ばれるという。
わたしは手ぶらで、駅へ向かうバスに乗った。

美保の話の続き

それから五日たった、木曜の昼だ。
わたしの勤めている歯医者は、木曜が休みになる。
あの土曜から、上着は玄関の壁に掛けたままにしていた。
出かけようとして袖を通すと、右のポケットが少しふくらんでいる。
手を入れると、指先に硬いものが当たった。

小指の先くらいの、小さな人形だった。
赤い頭巾に、花の模様の胴をしている。
顔には、黒いひげが描いてあった。
ペンの線がにじんで、灰色に薄くなっている。

すぐに、克也へ電話をかけた。
克也は、昼休みで仕事のトラックの中にいると言った。
「そっちのは、今いくつある?」
「顔のないのを入れて、五つそろってる」
克也の声は、いつもより早口だ。
「あれが入ってから、一回も鳴ってないよ」
「缶は、車のトランクに積んだまま」
「ひげのは、ここにあるよ」
わたしがそう言うと、電話の向こうで息を吸う音がする。
「送らないでくれ」
それだけ言って、電話は切れた。

捨てようとは、何度も思った。
でも、これは克也のものだ。
人のものを、ごみの袋には入れられない。
千夏に話すと、「持っててあげて」とだけ返ってきた。
人形は今、台所の引き出しの二段目にある。
輪ゴムと、古い鍵と一緒だ。

昼間、わたしが一人で家にいると、ときどき引き出しの中で音がする。
カラ、と一つ。
少しあいだを空けて、もう一つ。
いちばん小さい五つ目は、中まで詰まっていて開かない人形だった。
それでも、ひげの顔のすぐ下に、細い線が一周している。
その線には、まだ爪をかけずにいる。

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