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列の最後

「最後の人ですか」
その女の人に聞かれて、私ははいと答えた。
答えたときには、まだ列というほどでもなかった。私の前に二人いて、細い道の先で立ち止まっていただけだった。工事の人が向こうを通しているのだと思っていた。

九月の終わりで、日が落ちるのが急に早くなったころだった。駅から姉の家へ行く途中で、いつもの商店街が通れなかった。道路に穴が開いて、水道の工事をしていた。案内の人に一本向こうを回るよう言われ、私は住宅の間へ入った。

姉とは、母の通院のことで少し揉めていた。私は仕事があるからと言い、姉にも仕事があった。直接話そうと言われていたのに、着く前から言い訳を考えていた。細道で待っているあいだ、スマートフォンに、あと十分、と送った。
既読がついた。返事は来なかった。

後ろの女の人は、花の鉢を抱えていた。新聞紙で包んだ小さな鉢で、枝が一本、顔に触れていた。五十代くらいに見えた。重そうなので持ちましょうかと言うと、これは大丈夫、と答えた。
「どこまで行くの」
「駅の反対側です」
「そう」
女の人は、あちらも塞いでいたのね、と独り言のように言った。

前にいた二人が動いた。私も続いた。道は大人が二人並べるくらいの幅で、左にブロック塀、右に家の裏口が続いていた。洗濯機の排水が流れる音がした。家の中では夕飯を作っているらしく、魚を焼く匂いがした。

角を曲がると、前にはもっと人がいた。七、八人ほどが、一列になって歩いていた。背広の男の人、エプロンをつけた人、学生らしい子。私たちを含めると十人くらいだった。工事で迂回する人が多いのだろうと思った。

列の進み方が遅かった。一歩ずつではなく、普通に歩いて、止まり、また歩く。前のほうで何をしているのか、角が邪魔で見えなかった。
後ろの女の人が、鉢を持ち替えた。
「少し、前に入れてもらっていい?」
「どうぞ」
私は塀に寄った。女の人はありがとうと言い、私の前へ入った。

そのあとすぐに、後ろで戸が閉まった。
勢いよく閉めた音ではなかった。建てつけの悪い戸を最後まで押し、掛け金を落としたような音だった。続いて、別の家でも戸が閉まった。私は何気なく振り向いた。
歩いてきた道の窓に、人の顔があった。どの顔も、私より少し後ろを見ていた。

私は前を向き直した。列が止まったので、女の人の鉢にぶつかりそうになった。
「何か来るんですか」
小声で聞くと、女の人は首を振った。
「前、空いたら進んでね」
工事車両でも入るのかと思った。こんな道に車は無理だ。自転車かもしれない。私は鞄を前に抱えた。

猫が塀を越えた。茶色の、かなり太った猫だった。私たちの間を走り抜け、列の前へ行った。続いて、犬が来た。首輪のついた犬で、綱を引きずっていた。鳴きもせず、前の人の足元を抜けた。
鉢の女の人は犬を避け、新聞紙が破れて土が少しこぼれた。

「大丈夫ですか」
私が手を伸ばすと、女の人は鉢を抱き直した。指に土がついていた。
「平気。先に行ってもらったらいいの」
誰に言っているのか分からなかった。

道の先で、鉄の柵を引く音がした。やっと工事のところへ出るのだと思った。しかし曲がり角を越えても、また同じような路地だった。右側の家の流しの位置が、さっきの家と同じ高さにあった。窓の曇りガラスに、丸い換気扇がついていた。

姉の家はこの辺だ。何度も来ているのに、この道には出たことがなかった。私は地図を開いた。自分の位置は商店街の交差点を示していた。そこならもう姉の家まで百メートルもない。
画面を見ながら顔を上げると、列は少し先へ行っていた。

「待って」
思ったより大きい声が出た。最後の一人になり、前との間が空いたことが、急に怖くなった。
背後で、何かが止まった。
靴音ではなかった。ずっと聞こえていた生活の音が、ひとつに重なって止まった。水を流す音も、戸を閉める音も、食器を重ねる音も。

私は走って女の人に追いついた。女の人は、叱るように私の腕をつかんだ。
「空けないで」
「何なんですか」
「私も、知らないの」
声が震えていた。平気なのだと思っていた顔が、街灯の下で青白く見えた。

女の人は、娘の家へ行くところだと言った。貰った鉢を届けようと、一本近道した。前を歩く人が止まったから止まり、動いたからついてきた。
「いつから」
私は聞いた。
「今日」
答えてから、女の人は新聞紙を見た。鉢を包んだ面に、日付があった。私は顔を近づけたが、女の人は紙を内側へ折りこんだ。
「今日よ。さっき出たんだから」

列の前のほうで、男の人が横道へ入った。私の位置からも、その背中が見えた。大きな買い物袋を提げ、急ぎ足で角を曲がった。列はそのまま進んだ。
少しして、男の人が戻ってきた。
同じ角から出てきて、元の場所へ入った。誰も何も言わなかった。買い物袋だけがなくなっていた。

私は引き返そうと思った。ずっと来た道を戻るだけだ。誰かに押さえられているわけではない。
足を止めると、女の人も止まった。前の人たちが少し離れた。
「どうしたの」
「戻ります」
女の人は私の後ろを見た。顔を動かさず、目だけを上げた。
「じゃあ、私が後ろになるね」

それだけで、私は歩き出した。優しい言葉でも、脅しでもなかった。自分のしたいことをすれば、この人が最後になる。そのことを言われただけだった。

背後から、ラジオのような声が聞こえた。内容は分からない。複数の人が、別々のことを同時に喋っていた。家のテレビが窓から漏れているのだろうと思いかけて、左右の窓を見た。どれも閉まっていた。灯りはついているのに、音がしなかった。

鉢の女の人が、歩きながら私へ手を伸ばした。鉢を持ってほしいのかと思ったら、私の鞄の肩紐をつかんだ。
「見なくていいよ」
私は後ろを見ようとしていなかった。けれど、その言葉を聞いた途端、背中へ顔を近づけられているような感じがした。首の後ろが温かかった。

姉から電話がかかってきた。鳴った瞬間、私はほっとして出た。
「どこにいるの」
「道が分からなくなった」
姉は、駅まで迎えに行くから戻って、と言った。私は戻れないと答えた。
「何で」
電話の向こうの声に苛立ちが混じった。いつもの姉だった。私は道の様子を説明し、住宅の表札を読もうとした。どの家も裏口で、表札がなかった。

「何の音?」
姉が言った。
「え?」
「そっち。人、いっぱい居るの?」
私は前を歩く人を数えかけて、やめた。
「いる」
「じゃあ、誰かに代わって」
鉢の女の人に携帯を渡そうとした。女の人は手を出さず、前を向いたまま、首を振った。

電話の向こうで姉が息を呑んだ。
「今、誰が言った?」
私は何も言っていなかった。
「帰らない、って」
後ろの声が大きくなった。さっきまでラジオのようだったものが、一人分ずつ聞き分けられた。男も女も子供もいた。みんな違う声で、同じことを言っていた。

帰らない。帰らない。

私は携帯を耳から離した。姉が叫んでいた。
「返事しないで」
その声だけが細く、遠かった。切れたのかどうかも分からなくなった。

道の先が少し広がった。列の前のほうにいた人たちが、左右の戸口へ吸いこまれるように入っていった。自分の家へ戻ったのだと思った。私もどこかの戸を叩けばいい。
右側に明るい台所が見えた。窓越しに女の人がいた。こちらを見ると、さっと窓を閉めた。

鉢の女の人は、私より三歩ほど先へ行っていた。肩紐を持っていた手が離れていた。
「待って」
声をかけると、女の人は足を止めた。目の前に木の門があった。門の向こうは庭で、植木鉢がたくさん並んでいた。
女の人は、持っていた鉢を地面に置いた。

「私、ここだから」
「ここ、娘さんの家?」
返事はなかった。女の人は門を開け、私を見た。
「ごめんね」
それから門を閉めた。

列はもうなかった。前を歩いていた人の背中が、一つも見えなかった。後ろでは、たくさんの足が、私の歩幅に合わせて止まっていた。

私は門の掛け金を引いた。中から押さえられていた。鉢が倒れる音がした。
「入れてください」
声が裏返った。指を隙間に入れようとしたが、女の人が向こうで押した。私は指を抜いた。木の縁が皮を削り、血が出た。

門の中で、女の人が泣いていた。
「私も、後ろにいたの」
そう言った。私が最後尾を訊かれる前、彼女がどこを歩いていたのか、私は知らなかった。

後ろで誰かが私の靴を踏んだ。踵が浮いた。私はそのまま靴を置いて走った。もう片方も脱げた。路地の角を曲がり、曲がり、行き止まりの塀へ両手をついた。塀の上に瓦が載っていた。指から血が垂れた。

向こう側から、姉が私の名前を呼んだ。
私は塀を叩いた。姉は、少し戻れば入口がある、と言った。私は戻れないと叫んだ。大人になってから、あんな声を出したことはなかったと思う。

姉は脚立を借りてきた。私が塀の上へ手をかけると、両手首をつかんだ。どうやって上がったのか、よく覚えていない。塀の瓦が割れ、怒っている家の人の声がした。私は庭に落ち、姉の足にしがみついた。

警察にも話をした。知らない人に追いかけられた、と姉が説明した。裸足で塀を越えてきた私に、家の人も強くは怒らなかった。ただ、裏の道には誰もいなかったと言った。狭い道で、抜け道にもなっていない。端まで行けば、空き家の庭で行き止まりになるという。

靴は翌朝、私が越えた塀のそばで見つかった。二つ揃えてあった。鉢を抱えた女の人も、歩いていた人たちも、見つからなかった。
姉の通話履歴には、三分ほどの電話が一件残っていた。私は、もっと長く喋っていたように思った。

あの日から、人の後ろを歩くとき、時々、相手の肩を見てしまう。道を譲ってもらうと、礼を言う前に躊躇することがある。相手が最後になると考えてしまうからだ。

姉は、そのことを知っている。二人で歩くときは、なるべく横に並んでくれる。狭い道では私を先に行かせる。申し訳ないと言うと、姉はいつものように怒る。
「後ろにいるから、歩きなさい」
私は振り返り、姉の靴がちゃんと地面を踏んでいるのを見てから、前を向く。

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