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遠足の塩

弟から塩をもらった。ジャムの空き瓶に半分ほどで、蓋には苺の絵が残っていた。海で拾ったと言うので、拾った塩を食べるのかと聞いた。弟は笑い、煮たから、と答えた。それで安心するのも変な話だが、私はその瓶を食器棚へしまった。

その前の日曜、父と弟と三人で海へ行っていた。父が免許を返す前に、昔の道をもう一度走りたいと言い出したのだ。運転は結局、私がした。父は助手席から曲がる場所だけ教え、着くと防波堤の上で弁当を食べた。弟が途中で買ったおにぎりは、全部同じ梅だった。

小さいころ、母はその浜へ行くことを遠足と呼んだ。弟は、学校で行くのが遠足だと言って毎年母と争った。三十を過ぎた今でも同じことを言うので、父が、来年は先生も呼ぶか、と笑った。私たちはしばらく母の話をした。亡くなって六年たち、やっと失敗した料理の話ができるようになっていた。

父が車で眠ったあと、弟と岩場へ下りた。波打ち際から離れた窪みに、白いものが厚く固まっていた。弟は指の先で端を欠き、塩だと言った。茶色い海藻の筋が何本も埋もれていた。私は触らずに戻った。弟が持ち帰ったのは海水で、それを煮詰めたのだと、瓶を受け取ったときには思っていた。

最初に使ったのは、私が一人で食べた夕飯だった。買ってきた鯵を焼き、指先で塩を振った。粒が大きく、身の上でなかなか崩れなかった。箸をつける前に麦茶を飲むと、氷だけが口へ入った。コップの底は乾いていた。流しには水を切ったばかりのボウルがあったが、それも白く曇っていた。

私は食べるのをやめ、蛇口をひねった。水は出た。コップを満たして卓へ戻ると、焼き魚の皮がぱちぱち鳴った。火から下ろして十分はたっていた。身を裏返すと、骨の間に砂が挟まっていた。鰓を洗い損ねたのだろうと思うことにしたが、一口も食べずに袋へ入れた。

翌朝、袋は軽かった。燃えるごみを出す前に開くと、頭と尻尾の間が空になっていた。骨だけをきれいに残す食べ方でもなかった。背骨は頭に続かず、紙袋の底にばらばらと散っていた。尻尾の先から、細い糸が出ている。その糸を割り箸で引くと、尻尾がこちらへ曲がった。

弟に電話すると、そっちもか、と言われた。
「風呂の水、抜いた?」
何を聞かれているのか分からなかった。弟は昨夜、焼きおにぎりを作ったという。塩をつけて一個食べたところで、風呂場から大きな音がした。見に行くと、湯を張っていた浴槽が空になっていた。栓は閉まっていた。

「水漏れじゃないの」
言ってみたものの、自分のコップのことがあった。弟は管理会社へ電話し、階下への漏水がないことだけ確かめてもらっていた。浴槽の底に魚の鱗が落ちていたという。
「あの塩、捨てて。俺のも捨てるから」
私は瓶をビニールで二重に包み、玄関へ置いた。

それきりなら、妙なものを拾うからだと弟を叱って終わったと思う。ところが、昼にコンビニのおにぎりを食べ始めると、部屋の観葉植物の葉が音を立てた。昨日水をやった鉢の土に隙間ができ、葉が内側へ丸まった。私は慌てておにぎりを口から出した。植木鉢を持つと、熱を持った砂のように軽かった。

玄関の袋は、中から湿っていた。瓶の外側に水滴がついていたので、破れた袋からこぼれたのかと思った。袋の底に小さな蟹がいた。ひどく平たく、甲羅が両側から折れていた。まだ動くのに、乾いた綿埃しかついていなかった。瓶を持ち上げると、二本の脚でそれを追った。

弟はその夕方、私の部屋へ来た。塩を捨てるのはやめたと言って、同じように包んだ瓶を持っていた。唇が切れ、話すたび舌で触った。食べなければ水は飲める。でも何か噛むと、口の中が空になる、と言った。見せろと言うと、子供のころのように大きく口を開けた。歯の根元に、白い粉が線になっていた。

私は病院へ行こうと言った。弟も拒まなかった。待合室では二人とも、水を少しずつ飲んでいた。弟は血圧や体温を測られ、口の中も見てもらったが、歯の粉はもう消えていた。食事が取れないことについて相談し、帰りに柔らかいものを買った。医師へ言えなかったのは、診察室の花瓶の水が、弟が口を開けたあいだだけ下がっていたことだった。

その夜は父の家へ行く予定だった。私は断る電話をかけた。父は、じゃあ残り物で済ます、と答えた。ふだんならその言葉に少し腹を立てる。来られない娘へ罪悪感を持たせる言い方だと思うからだ。だがそのときは、何を食べるの、と聞き返していた。父は冷凍のうどんだと答えた。

塩を父にも渡したのかと弟へ聞いた。渡していないと答えたあとで、弟の顔が変わった。
「あの瓶、親父の家で洗った」
海からの帰り、弟だけ父の家へ寄った。窪みから削った白い塊を台所で砕き、鍋で湯に溶かした。海藻や砂を取り、また煮詰めて二つの瓶へ分けたのだという。

「全部取った?」
弟はしばらく考え、それから上着を取った。小さい鍋を借りた。縁についていた分は、そのままだと言う。私は先に父へ電話した。出なかった。車に乗ってからもかけた。呼出音の合間に、後部座席で紙をこする音がした。二つの瓶は、そこで袋に入っていた。

父の家では玄関までうどんの匂いがしていた。私は鍵を開け、父を呼んだ。返事は台所から来た。父は卓について箸を持っていた。前に鍋があった。うどんが乾いて固まり、鍋肌の形に沿って持ち上がっていた。父は箸を動かさず、空いている椅子の下を見ていた。

床に魚がいた。いや、魚の皮だった。腹側が空っぽなのに、背中だけで這っていた。父の椅子の脚に触れると、いったん動きを止めた。私の靴の前にも、薄いものがあった。干物を半分に裂いたような形で、目のあるはずの場所に穴が開いていた。その穴の奥で、人の歯ほどの白いものが触れ合っていた。

「それ踏むな」
父が静かに言った。
「台所へ来たときは、一匹だった」
弟が流しの蛇口を開けた。水が落ちる音はしたが、流しへ届く前に細くなり、途中で消えた。床の魚たちが、同じ方向へ顔を動かした。水のある場所ではなく、父の口へ向いていた。

父はうどんを一本だけ噛んでいた。私が吐き出してと言うと、口を開いた。下唇に細いものがかかっていた。うどんかと思ったが、喉の奥へ続いていて、自分で引こうとすると父の目に涙が浮いた。弟が手を出すより早く、床にいた皮の一枚が、椅子を伝って上がり始めた。

私は鍋を持ち上げ、勝手口へ運んだ。重さはほとんどなかった。床のものが足元へ寄り、足袋のように靴へかぶさった。靴の中まで冷たくなった。勝手口を開けて鍋をコンクリートへ置くと、皮はそちらへ滑っていった。乾いたうどんを、裂けた口で押し合っていた。

その間に弟が父を車へ連れていった。父は何度も咳をした。唇のものはいつの間にかなくなっていた。私たちは二つの瓶と鍋を持ち、門の外へ出た。玄関の鍵をかける弟の背中で、父が「あれ、お腹すいとるのか」と言った。弟は鍵を落とした。拾うときにも、父のほうを向かなかった。

父を私の部屋へ連れていき、水を飲んでもらった。口の中が切れた様子もなく、話し方はいつもの父だった。救急の相談窓口に電話し、今の状態を伝えた。父は落ち着いた声で受話器に答え、そのあと私の袖を引いた。家へ戻るつもりはない、と先に言った。

「あの岩の水、昔から変だったな」
父は海の話をした。母が生きていたころ、あそこで弁当箱を洗おうとして叱られたことがあった。汚してはいけないとか、そんな理由だったかと聞くと、父は首を振った。
「水が減るって。母さん、そればっかり言うとった」

母に尋ねることはできない。弟は、戻してくる、と瓶を持った。私も立った。夜の岩場へ一人で行かせたくはなかった。父にはそのまま私の部屋にいてもらい、近くに住む従妹へ事情を一部だけ話して来てもらった。父が眠ってから、二人で海へ向かった。

道路は日曜と同じだった。弟は黙って運転し、私は足元に鍋を抱えた。塩の瓶は、その中に置いてあった。瓶同士が当たらないようタオルを挟んでも、かたかたと音がした。ふと蓋を見ると、苺の絵が半分削れていた。内側から白い粒が押し、金属を薄くしていた。

浜に着いたのは二時近くだった。月が出ていた。私は車から下り、海がどこにあるのか探した。いつもなら波の白さで分かる。防波堤の外にも、岩場の先にも、白いものは見えなかった。懐中電灯を向けると、遠くまで茶色い地面が続いていた。繋いだ小舟が、泥へ横倒しになっていた。

私たちは下りた階段を、途中から引き返すべきだったと思う。けれど弟はもう岩場へ入っていた。白い塊を削った窪みは空で、指で引っかいた線が残っていた。弟が瓶の蓋を開けようとすると、唇から血が出た。私は手を借りずに開けた。中の塩は、指で押しても崩れない板になっていた。

瓶を逆さに振っていると、沖で足音がした。泥の上を、大勢が裸足で歩いてくる音だった。光を向けたが、足音の場所は分からなかった。舟よりも遠くで、低いものが動いた。立っている人はいない。何枚もの薄い背中が、こちらの灯りへ向きを揃えていた。

弟は窪みの縁へ瓶を叩きつけようとした。私は腕を押さえた。塩は割ってはいけないと思ったのではない。瓶の底に、小さな掌が貼りついていたからだ。両手だった。こちらへ向けて五本ずつの指が開き、その間から白い粒が落ちていた。弟も見た。自分の手を口元へ持っていき、そのまま動かなくなった。

私は持ってきた飲み水を窪みへ注いだ。底が濡れ、すぐ乾いた。弟の分も使った。塩を抱えた瓶は軽くならなかった。沖の足音は止まり、岩のすぐ下で、喉を鳴らす音がした。何も見なければ、父が湯呑みのお茶を飲んでいるような、ごく普通の音だった。

弟は瓶を二つとも窪みに置き、私の隣へ座った。潮が戻るまで待つと言った。何時に戻るのか調べようと携帯を出したが、私の指が濡れていて画面がうまく動かなかった。海は乾いているのに、手から水が流れていた。弟も両手を膝へ置いていた。指の間を伝った水が、岩の底へ落ちた。

朝になれば人が来ると思っていた。空が白くなっても、海の場所は空のままだった。弟は私へ肩を寄せた。瓶の中の塩が、ようやく端から透き通り始めていた。私は掌を上にして、膝に置き直した。水がどこから出るのか見たくなかった。岩の下では、飲み終えたものが次のものへ場所を譲る音が、ずっと続いていた。

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