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お別れのラッパ

父のトランペットを吹いてくれないかと、曽根さんに頼まれた。私は高校の吹奏楽部をやめてから、十五年も触っていなかった。指が動かないと思うと言うと、簡単な曲でいい、と返された。何の曲か聞くと、父なら分かると言い、すぐに、悪い、と頭を下げた。

父は前年の冬に死んでいた。曽根さんとは四十年ほど、同じ工場で働いた。二人とも退職後に小さな楽団へ入り、祭りや町の行事で演奏していた。父が病気になってからは楽団も解散した。楽器は私の押入れにあった。処分を決める前に一度吹いてみてもいいと思い、日曜日に曽根さんの家へ行く約束をした。

ケースを開けると、緑色の布がきちんとかけてあった。母がそうしたのだろう。マウスピースを外し、水で洗った。傷のついた金属が指に冷たかった。私は昔の楽譜を探したが、父のものは数字と鉛筆の印ばかりで読みにくかった。音を出すだけにしようと思い、近所の貸し練習室を借りた。

最初の音は私が息を入れる前に出た。低い、短い音だった。手がどこかを押したのかと思ったが、トランペットはそれだけでは鳴らない。私はマウスピースから顔を離し、部屋の鏡を見た。両頬が少し膨らんでいた。自分で知らないうちに吹いたのだと思い、もう一度構えた。

今度は音の先に声があった。「先に」。かすかだったが、言葉に聞こえた。誰かが廊下で話したのかと扉を開けると、隣の部屋からピアノが聞こえた。人の話し声はない。私は部屋へ戻り、楽器をケースへ置いた。最後に出した息がまだ管の中を通っているように、小さく鳴り続けた。

吹く息が足りないのに音だけが続くのは、ひどく嫌な感じだった。学生のころ、息の長さは自分の身体の都合だった。途中で苦しくなれば口を離す。今は楽器が先へ行き、私の胸が追いつこうとしていた。私は咳をした。金属の口からも、似た咳が返った。

曽根さんへ電話すると、古いからね、と言った。古さの問題ではないと説明しかけたが、彼は持ってきてくれれば見ると言った。私の父ほどではないにせよ、長く吹いていた人だ。私はケースを閉じ、日曜日を待った。その夜は風呂で顔を洗うと、唇だけが冷たかった。

曽根さんの家は川の堤防の内側にあった。門の下に、去年の増水でできた泥の線が残っていた。妻を亡くして一人暮らしだが、庭は綺麗だった。縁側へ椅子を二つ並べ、譜面台まで出してあった。私はまだ吹くと決めていないと言った。曽根さんは、分かってる、と答えた。

出された譜面は八小節ほどの短いものだった。題名はない。曽根さんが口笛で吹いてくれたので、旋律はすぐ分かった。工場の送別会でよく吹いた曲らしかった。父が家で練習するのを聞いた覚えがある。ただ、父は最後の音をいつも伸ばしていた。私が寝る部屋まで、その音が入ってきた。

「何のお別れなんですか」
聞くと、曽根さんは自分の家を見た。「そろそろ片づけないとな」。引っ越すのかと思った。息子と住むと前に言っていたからだ。彼はそれを肯定も否定もせず、父も家を畳むのを嫌がった、と話を変えた。父の家はまだ母が住んでいる。私は少し不愉快になった。

楽器を見せると、曽根さんはベルの内側へ指を差し入れた。私が声の話をすると、彼は何と言ったのか聞いた。「先に、って」。曽根さんの手が止まった。しばらくして、よくある言い方だよ、と呟いた。別れるときに何を先にするのか、誰かを先に行かせるのか、私には分からなかった。

昼前に風が弱まり、隣の家も窓を閉めた。曽根さんが合図した。私は立って、譜面を見た。最初の音を出すと、庭の隅で椅子を引く音がした。椅子は二つとも縁側にある。私の分は空いていた。曽根さんは音のほうを見ず、手で拍子を取った。

二小節目で、息が自分のものではなくなった。胸を使っていないのに、唇の向こうへ空気が押し出された。苦しくはない。かえって楽だった。私は指を動かし、次の音へ移った。音が少し割れた。割れ目から、女が笑う声が出た。私は口を離した。声も止まった。

曽根さんは譜面へ手を置き、もう一回、と言った。私は楽器を下ろした。誰の声だと聞いた。曽根さんは、知らない人もいたから、と答えた。工場の送別会には別の部署の人も来た。そういう説明で片づくと本気で思っていたのだろうか。私が黙っていると、彼の顔も少しずつ曇った。

「お父さんも、途中から嫌がってた」
曽根さんはやっとそう言った。一曲吹くと、聴いていた誰かが帰る。皆が残っている時も、席に座っている本人と、その後ろの薄い影のどちらかが帰る。それを父は見ていたらしい。曽根さんには見えず、父が演奏を断る理由が分からなかったという。

父は最後の数年、飲み会の帰りに何度も玄関の鍵を確かめた。母は酔うと心配になるのだと笑っていた。私が迎えに行くと、後ろの席を空けて、と言った。楽器のためだと思っていたが、ケースはいつも父の膝にあった。いま思い出すと、空いた後部座席へ父は身体を向けなかった。

「それを、私に吹かせるんですか」
曽根さんはうつむいた。私は怒っていた。けれど、すぐ帰るとも言えなかった。庭の奥から、途中で止まった音が聞こえ始めたからだった。吹き損ねた音が、細いまま伸びていた。曽根さんの唇は閉じている。楽器は私の手の中で、少し温かくなっていた。

私はケースへ戻した。蓋を閉めようとすると、内側の布が膨らんだ。人の胸ほどの膨らみだった。押さえると、誰かが苦しそうに息を漏らした。私は蓋を開けた。布は平らになったが、楽器の穴から冷たい空気が私の手へ当たった。吸う空気と吐く空気が、逆になっていた。

曽根さんが水を持ってきた。飲もうとすると喉へ入らず、唇の端からこぼれた。息を吸う間がない。私は椅子へ座り、胸へ手を置いた。曽根さんは私の背を叩き、ゆっくり、と言った。その声を、楽器が同じ高さで繰り返した。私の胸の代わりに、管が呼吸していた。

彼が楽器を取ろうとすると、指へ小さな水滴がついた。唾かと思ったが、曽根さんは指を見て、泣いてる、と言った。私は首を振った。彼の顔も私の顔も乾いていた。ベルの内側に水が溜まり、少しずつ縁まで上がっていた。私は楽器を傾けた。出たのは水ではなく、短い嗚咽だった。

私は楽器を縁側の端へ置き、椅子を後ろへ引いた。胸の締めつけが緩み、ようやく自分の息を吸えた。何度か呼吸を繰り返してから、母へ電話しようとした。父がこの楽器をどう扱っていたか知っているかもしれない。だが番号を押す前に、曽根さんが私の腕を押さえた。「呼ばないほうがいい」。私はその手を振り払い、呼ぶんじゃなくて聞くんです、と言った。曽根さんは黙って手を戻した。

母は驚き、父は最後の音を自分で終えなかったと教えてくれた。練習するときは窓を開け、吹き切る前にやめた。向こうで誰かが終わらせるのを待つのだと父は言ったらしい。「どこで吹いてるの」。場所を答えると、母は長く黙った。曽根さんもいるのか、と聞かれた。

父が最後に出た送別会は、曽根さんのためのものだった。すでに退職した人同士の、小さな集まりだったらしい。家を売って息子のところへ行くと決め、皆で送った。だが曽根さんは残った。息子の都合が変わったのだと聞いていた。母はそれ以上話さず、楽器から口を離していて、と言った。

曽根さんは玄関の外へ出た。私は止めなかった。彼は門の内側に立ち、楽器をこちらへ向けるよう手で示した。「俺が聞くから」。私は吹く気になれなかった。父の最後の音を受け取らなかった人が、今度は自分で受け取ると言っているようだった。けれど、何を受け取るのか、本人も分かっていない。

楽器を窓へ置くと、管の中で空気が動いた。私が口をつけていなくても、マウスピースから薄い声が漏れた。先に、先に、と繰り返した。庭に人の高さの揺れが並び、曽根さんの両側を通った。影ではなかった。日向も日陰も同じように揺れ、そこだけ草の匂いが消えた。

私は最後の小節まで吹こうとした。父ならどうしたかを考えたのではない。ただ、中途半端に鳴っている音を終わらせたかった。息を入れると、今度は自分の胸が動いた。足が震えた。音が庭へ出て、何かの背中に当たったように曲がった。私は最後の一音の手前で唇を離した。

曽根さんが口を開いた。声ではなく、息だけが出た。低い音がその息へ重なり、彼の喉の奥で一度だけ鳴った。私は楽器を下ろした。曽根さんは目を閉じ、肩をすぼめた。彼の背後で門が動き、閉まった。風はまだ弱いままだった。

長いあいだ、曽根さんはそこに立っていた。私は水を持っていった。今度は普通に飲めた。曽根さんもコップを受け取り、全部飲んだ。泣いているような顔だったが、涙は出なかった。目の端を何度も拭い、ここが痛いな、と笑った。私が謝ると、謝るな、と少し強く言った。

家の中へ戻ると、楽器は冷えていた。ベルに溜まっていたものも消えていた。曽根さんは譜面を畳み、私に渡さず自分の引出しへ入れた。引っ越すのかと聞くと、まだ決めていないと答えた。私はその返事に腹を立てなかった。決められないまま誰かを送ってもらうのは、もうやめてほしかった。

私は楽器を母の家へ戻した。ケースの布を洗ってよいか尋ねると、母はやめておこうと言った。私はそのまま押入れへしまった。父が吹いた曲を追悼会で流す話は断った。代わりに、工場でふざけている父の写真を持っていった。写っている人たちの何人かは、自分の顔を見て笑った。

曽根さんとは今も会う。父の墓へ行くときに声をかけ、帰りに二人で食事をする。妻の話になると彼は必ず黙り、目の下へ指を当てる。涙が出なくなったと言ったことが一度ある。医者へは行っているそうだ。私は楽器のせいかとは聞かない。

帰りの車では、曽根さんに助手席へ座ってもらう。彼は窓を少し開ける。風が入ると目を細め、何か言おうとして、やめることがある。そのたび私はラジオを切る。彼が言葉にできないものを、別の音で埋めてしまいたくなかった。後部座席から息が抜けても、父の名前は呼ばない。

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