奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

星の数え方

娘は星を十一個まで数え、それから黙った。圭介が十二個目を指すと、そっちはまだ数えちゃ駄目だと言った。理由を聞いても答えない。手すりの低い所に指を置き、口の中で別の数字を言っていた。

十一月の終わりだった。小学四年の結衣は、星を見た日の様子を宿題に書くことになっていた。圭介が帰るころには眠っていることが多く、その日は早く帰れたので、二人でマンションの屋上へ上がった。

管理人には夕方に話をしてあった。普段は閉まっている戸を開けてもらい、鍵を預かった。圭介は仕事で鍵を預かる機会が多かったから、返す時刻だけは先に確かめた。妻には三十分で戻ると言った。

屋上から見える星は少なかった。道路の街灯が明るく、商店の看板も点いている。圭介はもっと暗い場所へ連れていけばよかったと思ったが、車を出すほどの時間はなかった。結衣は文句を言わず、空を見ていた。

「十二、十三で、十四。ほら」
圭介はわざと明るく言った。結衣は指の向きを変えなかった。
「お父さん、黙って」
外でそう言われるのは初めてだった。圭介が顔をしかめると、娘は謝った。耳を澄ませている顔だった。

結衣は誰かの返事を待っていた。屋上には二人しかいない。隣の建物は三階低く、人の声が届く場所ではなかった。圭介も耳を澄ました。車の走る音の上に、布を大勢で擦り合わせるような音があった。

娘が指を少し左へ動かした。
「これで十二」
その途端、向かいのマンションの窓が一つ消えた。寝る時間なのだろう。圭介は時計を見た。八時まであと十分だった。結衣の宿題用の紙へ、晴れ、雲は少し、と書かせようと思った。

紙には数字が並んでいた。一から十一までは結衣の字だった。十二だけが、大人のように小さく整っていた。いつ書いたのか聞くと、まだ書いてない、と答えた。鉛筆は圭介が持っていた。

圭介はその十二を消した。消しゴムをかけると、向かいの窓がまた明るくなった。誰かがカーテンを引く姿まで見えた。圭介は消し屑を払い落とす手を止めた。娘は、怒るから、と言った。

「誰が」
結衣は空を見上げた。圭介もつられて顔を上げた。星の一つが大きかった。さっきまで小さな光だったものが、白い爪の先ほどの幅になっていた。そのすぐ横に、同じ光がもう一つあった。

一組の目に見えた。そう思った途端、まぶたが動いた。星が雲へ隠れたのではない。白い光の上を肌色の細いものが滑った。結衣は父の手から鉛筆を取り、紙の十二を書き直した。

「誰かが数えてるの?」
圭介の声は思ったより小さかった。結衣はうなずいた。こっちの数を、向こうが数えている。空を指しているつもりでも、指は下の家へ向いてしまうのだという。圭介は娘の手を下ろさせた。

「もう帰ろう」
手を握ると、結衣はすぐに立った。帰りたくないわけではなかった。屋上の戸へ向かって歩くと、戸の前で自分たちの影が止まった。圭介の足は進んだ。影だけが手すりの所へ残った。

結衣の影が、小さな腕を上げた。空を指した。
「十三」
娘の声ではなかった。向かいの建物の窓が消えた。続けて十四と言う声がして、道路の先の家が暗くなった。圭介は娘を抱き寄せ、戸の取っ手を引いた。

戸は開いた。階段も見えた。ところが下りると、すぐ同じ屋上へ出た。扉が二つあるのかと思ったが、手すりの所に落ちた消しゴムがあった。結衣は目を閉じたまま、父の上着をつかんでいた。

圭介は携帯で妻へかけた。声は普通に聞こえた。階段へ上がってきてくれ、と頼むと、何か忘れたの、と笑われた。説明しようとしている間に、結衣が口を開いた。
「その人は、もう数えた」

妻の声が切れた。携帯は通話のままだった。圭介が何度呼んでも返事がない。代わりに、電話の奥で何かを指折り数える音がした。骨の関節を鳴らすような、小さな硬い音だった。

圭介は結衣の手から紙を取った。娘が怒らないでと繰り返した。悪いことをしたのではない。最初に空を数えたら、上から、そっちは何人、と聞かれたのだという。人の数を聞かれても分からないから、家の灯りを数え始めた。

「家の中にもいるって言われた」
声は男とも女とも分からなかった。聞こえたというより、早く答えなければと急かされた。結衣は知っている家から答えた。向かいの友達、その下に住む先生、自分たちの部屋。

圭介は紙の数字を見た。一つ一つの下に細かな字が増えていた。娘が書けない漢字もあった。名前のようだったが、知っている人の名とは違った。数字の十二の下には、女、とだけ書いてあった。

消えた窓を見た。ガラスが黒いのではなかった。窓の枠ごと、暗い四角い穴になっていた。隣の窓から漏れる光がそこで切れ、壁の継ぎ目も途絶えている。圭介は、数えた家ではなく、答えなかった家がなくなるのかと思った。

「選んでるんだ」
口に出すと、娘が激しく首を振った。
「数えてるだけ」
圭介はすぐ謝った。娘を責めたのではない。けれど、言われた娘には同じだった。結衣は紙を取り戻そうとした。ちゃんと数えれば帰れると思っていた。

上で笑い声がした。低いところから高いところへ、一斉に広がった。屋上のアンテナが揺れ、針金の留め具が鳴った。圭介は空を見なかった。見たものに頷いてしまったら、それで何かを選んだことになる気がした。

紙を破こうとして、手が止まった。書かれたものを消したとき、空がこちらを見た。名前の一つを破いたら、その人の家まで壊れるかもしれない。正しいやり方がどこかにあると思うこと自体、向こうの言うことを聞いているようだった。

結衣は空の声を聞き、指を一本ずつ折っていた。圭介はその両手を包んだ。自分の手の中でも、小さな指がまだ動いた。
「お父さん、今いくつ」
圭介は分からないと答えた。分からなくていい、と言いかけてやめた。

娘の数を、ずっと直していた。宿題でも買物でも、少し違えば正しく言い直させた。間違えたままにしておくのが嫌だった。結衣の手を包んだ今は、何を数えても確かめる方法がない。

向かいのマンションから、男が顔を出した。消えずに残った窓だった。騒がしいぞ、と怒鳴った。圭介はその顔を見て、喉が急に開いた。
「明かり、消さないでください」
男は聞き返した。圭介は同じ言葉を叫んだ。

結衣が、あの人知らない、と言った。空でも何かが言った。男の顔の上へ、細い影が掛かった。窓の内側にいるはずの男が、遠くへ引かれて小さくなった。圭介は隣の、まだ明るい窓へ声を向けた。

「電気を点けて。窓を開けてください」
何事かと別の人が顔を出した。若い女だった。男と女が互いの窓を見て話し始めると、二つの間にあった黒い四角が薄くなった。圭介には知らない二人だった。

結衣は父の服を放し、両手で紙を持った。数字の下の文字が、紙の裏へ移っていた。表からは読めないのに、裏返すとまた表にある。娘が何かを答えかけるたび、紙の角が硬く折れた。

圭介は娘を連れて手すりから離れた。屋上の床に、いくつもの小さな影が座っていた。みんな空を向かず、下の家をのぞき込んでいた。体は子供ほどなのに、膝を抱える指が大人の長さだった。

その間を歩くと、影がこちらの足を見た。靴を選んでいるのだと圭介は思った。新しい靴に足を入れる直前のように、影のつま先が広がった。圭介は娘を抱き上げ、自分の足だけでそこを抜けた。

管理人の窓がどこにあるかは知っていた。屋上の端から中庭へ向かって叫んだ。大きな声を出すのは久しぶりだった。三度目に窓が開き、管理人が懐中電灯を向けた。光が圭介を通り抜け、空へ伸びた。

管理人の腕が止まった。何かを見たらしい。圭介は、こっちを見て、と叫んだ。管理人は懐中電灯を下ろし、階段へ来ると答えた。その声が聞こえたとき、結衣の紙の十二が、細い鉛筆の線へ戻った。

屋上の戸が叩かれた。妻と管理人だった。圭介が開けると、二人は戸口のすぐ先で立っていた。近づけるはずなのに、圭介の腕は届かなかった。間にもう一段、暗い階段があった。

結衣が、十九、と言った。妻の輪郭が薄くなった。圭介は数を訂正しなかった。娘の言葉に返事もしなかった。妻の名前を呼び、手を伸ばした。妻も圭介の名を呼んだ。暗い一段に、二人の手の影が重なった。

管理人が圭介の腕をつかんだ。圭介は結衣を妻へ渡し、それから自分も階段へ下りた。背中に、小さな膝がいくつも当たった。押してくれたのか、先に行こうとしていたのかは分からない。管理人は戸を閉め、すぐには鍵を回さなかった。

屋上で、紙を畳む音がした。結衣はまだ自分の紙を持っていた。管理人はその手を見て、ようやく鍵を掛けた。四人で階段を下りた。今度は五階の廊下へ出た。洗剤と夕食の匂いがした。

時計は八時十二分だった。妻は電話のあとすぐ階段へ来たが、屋上には誰も見えなかったという。圭介たちの声は中庭からしていた。管理人は、懐中電灯の先で何が見えたかを言わなかった。

翌朝、向かいのマンションへ謝りに行った。窓から怒鳴った男は、何人も屋上にいたでしょう、と言った。圭介と娘だけだと説明すると、子供の集まりじゃなかったのか、と不思議そうにした。数は聞かなかった。

結衣は宿題に、十一個見えた、と書いた。圭介は紙の余白を見たが、何も足さなかった。学校へ持っていく前に、娘が窓の外を見た。
「あそこの人、電気、点けなかったね」
向かいの建物に一つ、朝日が当たらない窓があった。

その窓の住人の名を、圭介はまだ知らなかった。昼にもう一度訪ねると、誰も出なかった。戸の前には新しい新聞が置いてあった。圭介は管理人を呼んできた。二人で戸を叩いている間、結衣が渡した宿題の紙を、妻が家で裏返していた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました