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借りた畑の真ん中

畑の真ん中に、椅子が一脚置いてあった。晴人が借りた区画の中だった。管理の人から渡された図面では、そこまでが自分の場所になる。隣の老人が座っていたので、晴人は初日にそれを言い出せなかった。

老人は頭へ手拭いを載せ、膝の上に弁当を置いていた。箸は持っているが、食べてはいない。晴人が挨拶すると、休んでいきな、と言った。まだ何も始めていないので、と答えると、老人は不思議そうな顔をした。

晴人は三月に会社を辞めた。次の仕事を決める前に辞めたので、家ではなるべく役に立とうとした。妻が働いている間、娘の保育園の送り迎えと夕食を引き受けた。空いた時間に畑を借りたのは、家で求人を見続けるのが苦しかったからだった。

娘の珠里は土いじりを喜んだ。四歳で、虫もまだ怖がらない。晴人が畝を作っている横で、小さな匙を土に差したり抜いたりしていた。老人は椅子からその様子を見て、ときどき笑った。

借りた土地は町外れの小さな農園で、休日には何組も家族が来た。平日の昼にいるのは老人と晴人だけだった。老人は誰かと道具を貸し借りしていたから、変わった人だとは思っても、不審者には見えなかった。

一週間で葉が驚くほど伸びた。晴人は自分に向いているのかと思った。買ってきた苗を植えただけで、特別なことはしていない。妻に写真を送ると、すごいねと返ってきた。その返事を、彼は何度も見直した。

ところが翌週は伸びなかった。晴人は水の量を考え、土を触り、売店で尋ねた。日当たりは悪くない。それでも、隣の区画にある同じ苗と比べて小さかった。老人は毎日、椅子に座ったままだった。

「いつも休憩ですか」
晴人が聞くと、老人は笑った。
「そうだよ。今、昼だから」
腕時計を見ると十一時だった。老人の弁当には、真っ白な握り飯が一つ入っていた。前に見たときも、同じ角に海苔が付いていた気がした。

暑い日、晴人は作業を続けられず、真ん中の椅子へ腰を下ろした。老人は珍しくいなかった。座面は冷たく、日陰でもないのに汗が引いた。畑に来てから一度も眺めなかった空を、しばらく見た。

目を戻すと、目の前の葉が大きくなっていた。数センチ伸びたという話ではない。指ほどだった葉が、手のひらを覆う幅になっていた。晴人が立ち上がると、隣の老人がすぐ後ろにいた。

「よく育った」
老人は畑ではなく、晴人の顔を見て言った。晴人は席を空け、礼を言った。自分の借りた区画なのに、老人の席を借りて返したようで、おかしかった。腰に付いた土を払うと、小さな白い根が一本、ズボンへ絡んでいた。

その日の夕方、珠里を連れて来た。娘は苗が大きくなったことより、真ん中の椅子へ座りたがった。晴人が抱いて載せると、彼女は足をぶらぶらさせ、すぐに眠くなった。まだ六時前で、空は明るかった。

「ここ、昼寝の場所」
珠里が言った。晴人はそばへしゃがんだ。畑の葉が少しずつ開いていた。娘が目を閉じるたび、葉の縁が外へ伸びる。目を開けると止まる。晴人は声を掛け、寝るなら家へ帰ろうと抱き上げた。

老人が道の向こうから手を振った。珠里も振り返した。帰りの車で、娘は、あのおじさんと前にもお弁当を食べた、と言った。いつか聞いても、前、としか答えない。保育園の行事に農園へ来たことはなかった。

次の日に管理人へ聞くと、あの人はずいぶん長く来ている、と言われた。どの区画の人かはすぐに出てこなかった。古い利用者で、管理の人が代わる前からいるらしい。椅子の場所については、邪魔なら言っておく、と答えてくれた。

晴人はそれを断った。老人は何かを壊したわけではないし、椅子へ座ると苗が育つ。後半のことは管理人へ言わなかった。自分だけが知った育て方を、人へ教えたくなかった。

数日、晴人は畑へ着くと先に椅子へ座った。老人は隣の空いた土へ座っていた。二人で話すことは少ない。晴人が立って水をやる間、葉は動かず、座っているうちに実が大きくなる。夕方の収穫が楽しみになった。

家へ持ち帰った野菜は普通だった。妻も娘も食べた。晴人は量を増やそうと考えた。近所へ配れるくらい採れれば、辞めた会社の人が来たときにも胸を張れる。仕事をしていないとは思われたくなかった。

ある日、椅子の下に小さな靴があった。珠里の靴とよく似ていた。片方のつま先に貼った花のシールまで同じだった。娘はその日の朝、間違いなく両方の靴を履いて保育園へ行った。晴人は靴を鞄へ入れた。

迎えに行くと、娘の足は裸足だった。朝から靴を履かずに来た、と先生に言われた。晴人が説明すると、娘が自分で鞄から靴を取った。
「昼のところへ置いたの」
誰も昼のところがどこか、分からなかった。

晴人はその晩、畑へ行った。老人は椅子に座っていた。周りの区画は暗いのに、椅子の周囲だけ昼の明るさが残っている。空は夜だった。頭上に光源はなく、足元の土から明るさが出ていた。

「子供に何かしましたか」
晴人が尋ねると、老人は弁当を開いた。
「家の子だから」
親戚でもない。初めて会った人だ。そう言うと、老人は晴人の顔を見直し、まだ知らないのか、と言った。口元は笑っていたが、目はひどく疲れていた。

老人の手は晴人の父に似ていた。人差し指の先が太く、爪が横に広い。似ているだけなら珍しくもない。けれど老人が弁当の蓋を膝へ立てる癖まで、父と同じだった。晴人自身も子供のころ、それを真似したことがある。

父へ電話した。声を聞けば落ち着くと思った。老人の特徴を話すと、父は分からない、と答えた。家に農業をしていた人はいるかと聞くと、いたよ、と言った。晴人はその人たちの名を一人も知らなかった。

老人が立ち上がりかけた。椅子の下の日陰が、体から離れずに伸びた。膝が持ち上がっても足が動かない。座り直すと、枯れていた隣の蔓が緑に戻った。電話の父が、どうした、と聞いた。晴人は答えずに切った。

「どれくらい座ってるんです」
老人は弁当を見た。
「昼が終わるまで」
握り飯には齧った跡が一つあった。晴人が初日に見たときから変わっていない。老人はそれを食べようと持ち上げ、また戻した。

翌朝、晴人は椅子をどけに来た。座らず、背もたれだけを持った。軽い折り畳みの椅子のはずなのに、土に根を張ったように動かない。引くと自分の足元の畝が近づいた。立っている場所が、そのまま真ん中へ運ばれた。

道へ戻ろうと歩いた。農園の端の水道は見えていた。そこへ向かっても、同じ苗の列が左右にあった。花の向きも葉の虫食いも変わらない。晴人は、畑そのものが自分へ付いてきていると分かった。

鞄を土へ置くと、少し進めた。スコップを離すと、さらに進んだ。けれど、採ったばかりの野菜を入れた袋が離れなかった。手は開くのに、袋の持ち手が指へ絡んでいる。晴人が振ると、中から珠里の声がした。

「もう帰るの?」
晴人は袋を開けた。緑の実の一つに、小さな口が付いていた。口は笑っていた。娘の歯とは違う、古い大きな歯だった。晴人が袋を地面へ伏せると、指がようやく離れた。

彼は何も持たずに道へ出た。入口で管理人に会い、畑の利用をやめたいと伝えた。管理人は驚いた。作物があれほど育っているのに、と言った。晴人は、育ちすぎるので、としか説明できなかった。

それで終わればよかった。保育園へ迎えに行くと、珠里は昼寝から起きなくなっていた。呼べば目を開けるが、すぐに閉じる。先生と一緒に抱き起こし、妻へ連絡した。妻が病院へ連れていく支度をする間、珠里は小さく、椅子がない、と言った。

娘の手が空中を探っていた。椅子に座って眠るときの手つきだった。晴人は妻に畑のことを話した。信じてもらうつもりではなかった。それでも彼女は、全部済ませてから言わないでよ、と怒った。晴人は娘を車へ運んだ。

病院へ行く前に、妻と三人で農園へ寄った。待てないようならそのまま車を出すと妻が決めた。珠里は入口で起きた。自分で歩きたいと言ったが、晴人は抱いたまま畑へ入った。

老人の椅子には、晴人が座っていた。頭へ手拭いを載せ、膝に弁当を置いている。老人と同じ年に見えた。顔の皺の間に、今の自分の顔が薄く残っていた。妻も足を止め、晴人の背中をつかんだ。

老人はその隣へ立っていた。ようやく休みが終わった顔だった。晴人を見ると、長かったね、と言った。どちらの晴人へ言ったのかは分からなかった。椅子の自分が首を上げ、珠里へ両手を伸ばした。

娘は降りようとした。晴人は抱き直した。収穫の袋が足元にあった。中に娘の靴が見えたが、拾わなかった。靴はまた買えばいい。そう口に出すと、妻が先に道へ下がり、二人へ手を伸ばした。

椅子の自分が何かを言った。風で聞こえなかった。晴人は歩いた。畝はまた付いてきたが、足元の野菜も鞄も拾わずに進んだ。珠里は父の肩で泣き、妻の名を呼んだ。晴人は振り返らなかった。

道へ出る直前、老人がこちらを追い越した。裸足だった。足を上げるたび、土の上へ丸い影が残った。老人が先に農園の外へ出た。そのあとで晴人も、珠里を抱いたまま妻と道へ出た。振り返ると、椅子に自分はいなかった。日陰だけが、人の形で座っていた。

病院では、珠里は元気に返事をした。帰りの車で妻が眠り、娘も眠った。晴人は二人を起こさないよう、駐車場でしばらくエンジンを切っていた。休んでいる間に何かを育てようとは考えなかった。

管理人には事情を話せる範囲で話し、道具の回収を頼まなかった。畑へ戻る予定も立てていない。秋に車で前を通ると、その区画だけに作物が残っていた。葉の下へ、古い弁当の蓋が一枚立っていた。

晴人は窓を閉め、珠里に何が食べたいかと聞いた。娘は考え、白いおにぎりと答えた。前の車が動いても、晴人はすぐに発進できなかった。隣の席で妻が彼の腕に触れるまで、膝の上を見ていた。

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