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立ち飲み屋の出口

柳田の誘いを断りそびれたのは、店に入るより前だった。

二年ぶりに連絡が来て、一度飲もうということになった。柳田は小さな会社を始めていた。私は今の仕事を続けていたが、休日に少し手伝えないかと、電話の終わりに頼まれた。
会ってから話を聞く。そう答えただけなのに、店へ向かう途中で彼は、助かるよ、と言った。
私はそこで訂正しなかった。久しぶりに会った相手を、最初の一言でがっかりさせたくなかった。

駅裏の立ち飲み屋だった。
細長い店で、壁に沿ったカウンターと、中央の小さな卓が二つあるだけだった。奥へ行くには、人の背中と壁の間を通らなければならなかった。
柳田は慣れていた。入口で店主へ手を上げ、私を奥へ通した。
「こっち、空いてる」
彼が空けた場所へ身体を入れると、知らない男の背中がすぐ横にあった。

瓶のビールを分け、煮物を二皿頼んだ。
店は騒がしかった。隣の卓の話が耳へ入ってきた。天気、電車、知っている店が閉まった話。柳田は会社の説明をした。私は聞こうとしていたが、肩が隣の客へ触れるのが気になった。
相手は紺の作業着を着ていた。大きな背中だった。
私が謝ると、男は振り向かずに、どうぞ、と言った。

何をどうぞなのか分からなかった。
もう少し寄ってもいいという意味だと思い、私は柳田の側へ身体を引いた。
その直後、後ろを通る客が作業着の男の背中へ手をついた。
押した。
布が内側へ開いた。

私は皿へ箸を落とした。
客の手が男の腰の中へ入り、肘まで見えなくなった。紺の布の合わせ目の向こうに、細い路地があった。小さな室外機と、積まれた空のケースが見えた。
客は身体を横にして、その中へ入った。
最後に靴の踵が消えた。
作業着の背中は、平らに戻った。

「今」
私は柳田の袖をつかんだ。
柳田は箸を止めた。
「どうした」
私は隣を見た。作業着の男は飲んでいた。肩が上下し、喉を鳴らしていた。背中には何もなかった。左右の肩をつなぐ縫い目が、少し擦れていた。
柳田は、酔ったのか、と笑った。
まだ一杯も飲み終えていなかった。

店主が皿を下げに来た。
私の後ろが通りにくかったので、私は壁へ寄った。すると店主は、そっち、開きますよ、と言った。
壁のことだと思った。
見れば小さな戸のような継ぎ目があった。店が狭いので、物を置くための戸棚かもしれなかった。
私が触れる前に、壁のほうから人が出てきた。

中年の女だった。
肩に買物袋を掛け、頬を少し赤くしていた。彼女は私に頭を下げ、柳田の後ろを通った。壁の中に見えたのは、さっきと違う道だった。街灯の下に自転車が一台あり、舗装が濡れていた。
女はカウンターへ小銭を置いた。
店主は何も聞かずに酒を出した。

私は自分が触ろうとしていたところを見た。
壁ではなかった。
薄い灰色の上着の背中だった。ひどく平らに、壁へついていた。首の位置は梁の陰にあり、顔は見えなかった。私が立つ場所の狭さだけを、周りと同じものだと思っていた。
私は柳田へ寄った。
柳田の胸へ、肘がぶつかった。

「何だよ」
彼が顔をしかめた。
私は、外で話したい、と言った。
「まだ食べてるだろ」
「あとで食べるから」
柳田は皿の上の煮物を見た。言い方が気に障ったらしかった。私も、説明せずに急かされれば嫌だろうと思った。けれどここで人の背中が開くと言うには、すぐ横に当人がいすぎた。

柳田が声を落とした。
「嫌なら、先に言ってくれればいいのに」
仕事の話をしていた。
私は、そのことはまだ決めていないと答えた。
彼の顔が固くなった。
「そういう返事だった?」
私はうなずいた。背中の向こうへ消えた客の靴が、頭から離れなかった。柳田は私が真剣に聞いていないと思ったのだろう。
実際、聞けていなかった。

入口から新しい客が二人来た。
私の後ろを通ろうとしたので、私は腰を引いた。作業着の男の背へ、肩が当たった。
その背中が開いた。
私は足を踏ん張った。靴の先に、外の冷たい空気が当たった。店の床は乾いていたのに、片方の靴底だけが濡れた石を踏んだ。

柳田が私の腕をつかんだ。
引っ張ってくれたのだと思った。
だが彼は私を横へ動かし、人を通そうとしていた。私の後ろの客が、すみません、と言って入ってきた。
私と客の間に、店ではない道が細く開いた。
作業着の男の襟が揺れた。道の奥で自転車のブレーキが鳴った。

私は柳田の手を振り払った。
強く払ったので、彼のグラスが倒れた。ビールが卓へ広がった。
店が一瞬静かになった。
柳田は濡れた指を見て、何も言わなかった。私は謝った。店主が布巾を持って来て、柳田も拭き始めた。
そのあいだ私は壁にも客にも触れないよう、両手を腹の前へ寄せていた。

「帰る」
私は言った。
柳田が顔を上げた。
「一回、外へ出る」
言い直した。話を終わらせたかったわけではない。ここでは話せなかった。
彼はうなずき、会計を頼んだ。店主は少し待ってと言い、カウンターへ戻った。
私は普通の入口を見た。ガラスの引戸が、客の肩の向こうにあった。

入口まで三メートルくらいだった。
途中に三人いた。一人が半歩横へ寄ると、別の人の背中がこちらを向いた。私が右へ避けると、その背中に道が開いた。
道の向こうにも、人の背中があった。
店の中へ来る道なのか、外へ出る道なのか、見ただけでは分からなかった。

私は立ち止まった。
店主が会計の額を言った。柳田が先に払った。私は財布を出し、自分の分を渡した。彼は金額を数えずに受け取った。
その小さな動作で、ようやく彼が怒っていると分かった。
私は、表で待ってる、と言った。柳田はまだ、こぼしたビールで濡れた袖を拭いていた。

店へ入ってきた二人が、瓶のケースを避けるため横へずれた。
ガラス戸まで、一人分の幅ができた。
私はそこを通った。誰かの背を押さず、戸の金属の縁へ手を掛けた。
外へ出た。

駅裏の道だった。
看板の下に空のケースがあり、見覚えのある自転車が置かれていた。店の中で見た道のどれとも似ていた。
私は靴を見た。片方だけ濡れていた。
携帯を出し、地図を開いた。駅の位置も現在地も普通だった。それで安心できるほど、知らない場所を見たわけではなかった。

柳田が出てこなかった。
ガラス越しに店を見ると、彼はまだ奥にいた。こちらからなら、たった数歩の距離だった。作業着の男の横で、店主へ何かを言っていた。
私は引戸を少し開け、柳田を呼んだ。
彼が顔を上げた。
その向こうの男の背が、また開いた。

柳田はそちらへ足を向けた。
私は名前を大きく呼んだ。彼がこちらを見た。
「こっちだよ。俺はここ」
柳田は怪訝そうな顔をした。背中の中を指した。彼の口が動いたが、店の音で聞こえなかった。
私はもう一度、自分の立っている敷居を指した。店へは入らなかった。

柳田が入口へ歩いた。
後ろから店主が皿を持ってきて、彼は半歩避けた。その足が、紺の作業着の向こうへ入りかけた。
私は扉を大きく開けた。
通りの車の音が店へ入った。柳田は音のほうを見た。私と目が合った。
彼は一度止まり、近くの卓へ手をついてから、入口へ来た。

外へ出ると、柳田は振り返った。
「お前、あっちにいなかった?」
彼は店の奥を指した。
私は首を振った。こちらへ出てから一度も入っていない。
柳田は自分の右手を見た。さっき私が振り払った手だった。指の間が濡れていた。
ビールだと思った。だが路面へ垂れた雫には、泥が混じっていた。

私たちは隣の店の前まで歩いた。
そこでようやく、何が見えたかを話した。柳田は、人の背中に道が開くところは見ていなかった。狭い入口が多い店だと、それだけ思っていた。
私が外から呼んだとき、奥の細い道にも私が立っていたそうだ。
こちらへ来いとは言わず、いつものように片手を上げていた。

仕事は引き受けなかった。
駅まで歩くあいだに、休日を空ける余裕はないと伝えた。柳田はそれには怒らなかった。そうか、と答え、もう頼まなかった。
別れるとき、彼は、あの店へ連れていって悪かった、と言った。
私は彼の顔を見た。私が黙っていた時間の長さを、初めて考えた。

改札へ向かう柳田を見送った。
私は背中を見続けることができなかった。けれど先に歩き出すこともできなかった。
柳田は一度振り返り、手を上げた。
その向こうへ、駅裏の細い道が一瞬見えた。改札の灯りより暗い、あの店の中から見た道だった。
彼が腕を下ろすと、普通の人の流れへ隠れた。
私は追い掛けなかった。呼び戻すとき、どちらから彼が来るのか分からなかった。

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