六人が、同じところで笑った。
あとで訊くと、その場面に映っていたものが、一人ずつ違っていた。私は最初、皆が嘘をついているのだと思った。そう思えるうちは、まだ怖くなかった。
大学の映画サークルを出て十五年になる。昔作った短篇を集め、部室を借りて上映する会があった。現役の学生は手伝いに一人だけ。古い映像の形式を変換した私が、当日の再生も担当した。
最後の一本が、私たちの代で撮った『となりの王様』だった。河原で勝手なことばかり言う男を、仲間が水へ落とす二十分の喜劇。今見ると演技も音もひどい。誰も褒めるつもりではなく、若い時の顔を笑うために集まった。
出演した六人のうち、野間だけは来なかった。撮影の最後に足場が崩れ、野間が怪我をした映画だったから、誘いづらかった。私たちはあの事故を、撮影の事故、と呼んでいた。私生活の出来事として話したことはなかった。
野間は退院後に部を辞め、卒業も一年遅れた。その後は連絡先が変わった。誰かが付き合いを続けていると思っていたのだが、今回訊いてみると、誰も知らなかった。
映像の野間は、段ボールで作った冠を被っていた。顔が細く、声が高かった。私の覚えている彼より楽しそうに見えた。
「あいつ、こんなに笑うやつだったか」
隣の杉浦が言った。
「芝居だろ」
監督をした佐野が答えた。私は再生位置の表示を見た。水に落ちる場面の少し前になると、編集した時のことを思い出した。事故の映像は使わず、別の日に撮った水しぶきを入れたはずだった。
冠が落ちた。野間が画面の外を見た。
そこで、私を含めた六人が笑った。
手伝いの学生だけが笑わなかった。彼は後ろの席から、私たちを見ていた。映画はそのまま終わった。誰かが飲み物の缶を机へ置き、ひどいな、と照れたように言った。
片付けながら、杉浦が言った。
「最後に鶏が逃げるの、あれ、よく使ったな」
私は手を止めた。撮影に鶏など持ち込んでいない。河原にいた鳥のことかと訊くと、杉浦は首を振った。
「足元から、ばたばた出ただろ」
佐野が笑った。
「鶏じゃない。岸本が布を被って転んだんだよ」
岸本本人は、俺、あの場面に出てない、と言った。
学生が、ごめんなさい、と口を挟んだ。
「何も、映ってなかったと思います」
冠が落ちた後は、土手の景色だけだったという。私には野間が変な顔をしたように見えていた。腹を押さえ、息を吐きながら笑う顔だった。事故の直前にそんな表情をしたはずがない。私は再生ソフトを開き直した。
同じところまで飛ばすと、冠が落ちた。野間が画面の外を見た。
六人がまた笑った。
笑い終わってから、杉浦が椅子を後ろへ引いた。
「ちょっと待って」
彼は自分の口を押さえた。私も、肩が揺れた感触だけを覚えていた。映っていたものは分からなかった。
もう一度見ようとした私の手を、佐野が止めた。
「音だけ切ってみろ」
映像を止めたまま、私は音を消した。佐野が再生を押した。今度は彼一人が笑った。ほかの五人は、何も見えない画面を見ていた。青い空と、草の端が揺れていた。
佐野は笑う途中で顔をしかめ、喉を擦った。
「今の、違うだろ」
誰への言葉か分からなかった。
私は変換前のデータを取り出した。古い外付けの記録媒体に残してあった。ファイルを探すと、未編集の撮影素材も見つかった。十五年前の私は捨てたつもりでも、別のフォルダに複製を残していたらしい。佐野が画面を覗き込んだ。
「事故のところ?」
私は頷いた。杉浦は見ないほうがいいと言った。
「野間の顔、見たくないよ」
彼はそう言ってから、自分が何を言ったのか確かめるように黙った。
私の覚えている事故は単純だった。野間が岸に組んだ足場へ上がり、手前の板が外れた。水は浅く、飛び込む芝居をするはずだった。だが野間は落ち方を間違え、石へ足をぶつけた。
佐野は、板が外れたのではなく野間が勝手に跳んだ、と言った。
杉浦は、足場などなかった、岸から走ったのだ、と言った。
岸本はずっと黙っていた。訊くと、野間を押したんだろう、と言った。
押す芝居だったのか、本当に押したのか。彼にも分からないらしかった。
「俺、病院行ったよな」
照明を担当した津田が言った。彼は上腕へ巻かれた包帯を覚えていた。
「脚だろ」
私は答えた。面会に行った時、野間の左脚は高く吊られていた。杉浦は右脚だったと言った。佐野は、骨折じゃなかった、と言った。学校へ届けを出した自分が一番知っている、と強い口調になった。
学生は荷物を持ったまま、出口のそばで立っていた。私は彼に、先に帰っていいと伝えた。
彼は、皆さんも一緒に出ませんか、と言った。
出るべきだったのだと思う。それでも私たちは、その違いを今夜のうちに片付けたかった。十五年間、互いに同じことを覚えているつもりで来た。記憶違いだと分かれば、また昔の映画を笑えるはずだった。
私は素材を開いた。画面の野間は、冠を被らず、川辺の椅子に座っていた。誰かがカメラの外で準備をしている。野間は、待たされるのに飽きたように靴の先を動かしていた。
「あそこ、椅子あったんだ」
誰かが言った。野間は顔を上げた。
こちらを見ているように見えた。
「まだ?」
声は近かった。記録の音にしては、部屋の響きが混じっていた。私はスピーカーを見た。音量は消したままだった。佐野が手を伸ばし、私の指の上から停止を押した。
野間は止まらなかった。
立ち上がると、画面の端へ歩いた。彼が外へ出たあとも、川の水は動き続けた。再生位置の数字だけが止まっていた。
私の後ろで椅子が鳴った。
六人が、一斉に振り返った。
入口側の一番後ろの席に、野間が座っていた。画面の中と同じ服だった。顔だけが、私たちと同じだけ歳を取っていた。髪が短く、顎に少し肉がついていた。初めて見る現在の野間なのに、誰だか分かった。
彼は画面を見ていた。左脚を少し前へ伸ばし、右腕を膝へ載せていた。どこにも包帯はなかった。
佐野が立った。
「連絡、くれれば」
野間は返事をしなかった。
「一応、呼ぼうと思ってたんだよ。番号が」
佐野の声が小さくなった。野間がこちらを見た時、佐野は椅子へ座り直した。理由は分からない。怒った顔ではなかった。ただ、佐野を見ていた。
私は病院へ行った日の話をした。野間が見舞いの菓子を食べなかったこと、窓際に本が積まれていたこと。実際に行ったと伝えたかった。
野間は私を見た。
「そうだっけ」
それだけ言った。
私は続きを話せなくなった。部屋の窓がどちらにあったか、分からなかった。本の題名も、菓子の種類も思い出せなかった。覚えていたのは、自分が見舞いへ行った人間だということだけだった。
学生が入口から、出ましょう、と言った。まだ帰っていなかった。彼は野間の座る場所を避けず、まっすぐ通路を通って、私の荷物を取った。野間はその手を目で追った。
岸本が、俺たち、何をしたんだろう、と言った。
誰も答えなかった。野間も答えなかった。告げられるのを待っている顔に見えた。
私はパソコンの電源を落とした。映像が消え、蛍光灯をつけると、最後列の椅子は空いていた。畳んだまま壁へ寄せた椅子が、数脚あるだけだった。学生は、そこには最初から誰も座っていない、と言った。
津田が、さっきまで六人で笑ってたよな、と呟いた。
学生は私たちを数えた。私も数えた。
集まった元部員は、私を入れて五人だった。
その夜は、全員で校舎を出た。佐野が誰かに電話し、野間の連絡先を探した。見つからなかった。二日後、卒業名簿を通じて実家へ連絡が取れ、野間が今は遠方で暮らしていることが分かった。生きていた。上映会に来ていないことも、本人に確認できた。
事故で怪我をしたことについては、話したくないと言われた。
私は映像を消していない。ただ、もう開かない。誰かのせいだったかを映像に答えてもらうことは、できなかった。
あの後、同じ会にいた四人とは一度も会っていない。最初に笑った時、隣に誰がいたかを訊くと、また違う答えになる気がした。
学生から借りていた変換用の機器を返しに行った時、彼は少し躊躇ってから話した。
「あの時、後ろで笑ってた人、皆さんの顔を順番に見てました」
誰もいなかったのでは、と私が訊くと、彼は頷いた。
「だから、映ってる人だと思ったんです。最初は」
学生は、私たちが笑い終えるたびに、その人が少しずつ前へ身を折ったと言った。最後には、胸を押さえていた。彼には、泣いているように見えたという。
私は機器の入った袋を渡した。
笑った理由を、思い出さないほうがいい気がした。だが、学生が去ったあと、自分がそう思ったことだけは、手帳へ書いて残した。


コメント