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小宮の味方

小宮は、会うたびに深見を太ったと言った。背広がきつそうだ、娘の結婚式までには痩せろよ、と、隣の席にも聞こえる声で言う。深見に娘はいない。息子が一人いるだけで、今はその息子とも連絡を取っていなかった。
「お前に娘の顔、見せたことあるか」
「ないか。そうか」
小宮は本当に意外そうな顔をして、それから笑った。

五十二歳にもなって、こんな男とつき合わなくてもよかった。ほかに友達がいないわけではない。ただ、小宮から電話が来ると、深見は大抵出た。小学校の帰り道を一緒に歩いた相手に、今週は忙しいと嘘をつくのが、なぜか難しかった。

小宮には、ずっと何かがついていた。
深見が初めてそれを知ったのは、五年生の秋だった。二人で空き地の柿を盗ろうとして、深見だけが持ち主に見つかった。枝を折ったのも深見だと言われた。小宮は先に逃げていた。深見が家へ帰ると、小宮は縁側に座り、深見が借りっぱなしにしていた漫画を読んでいた。

頭に来て、深見はその漫画を取り上げた。小宮の額へ投げつけようとしたら、誰かに肘を押さえられた。後ろには母の裁縫箱しかなかった。指が四本、腕の内側をゆっくり滑った。押しとどめる手つきだった。深見は漫画を落とした。

「怒ると来るんだよ」
小宮は床から漫画を拾った。
「俺のこと、好きだから」
深見は縁側から飛び降りた。小宮の後ろに黒いものが見えた。人間の大きさではなかった。開いた戸の上の隅に、濡れた雑巾を丸めたようなものが挟まっていた。そこから、畳へ届くほど細い腕が垂れていた。

深見の母が帰ってくると、黒いものはいなくなった。小宮は腕を動かして、もう帰る、と言った。深見が黙っていると、貸した漫画は読み終わったのかと聞いた。さっきのことを話しても、小宮はいつも同じ返事しかしなかった。俺の味方だよ。お前にも、いればいいのに。

その後も、深見は何度か腕に触れられた。小宮が深見の自転車を勝手に使い、前輪を曲げて返したとき。深見の好きだった女の子に、聞かせるつもりのない話をされたとき。小宮を殴ったことは、一度もない。殴りかけるより前に、あの指が来た。小宮の手よりずっと冷たかった。

小宮を追い越そうとして勉強した時期もあった。小宮は深見と違う高校へ入り、違う大学へ進んだ。それでも一年に何度か会った。二十代のある晩、酔った深見は、ついているものを見せろ、と絡んだ。小宮は店の座布団をめくってみせた。何もなかった。
「お前、まだそれ覚えてるの」
そう言って笑った。深見は、その夜の酒を全部払った。

二人が五十を過ぎてから、小宮の声が変わった。受話器の向こうで、ときどき息が二重になった。笑った直後に、もう一人だけが笑い続けていた。深見が指摘すると、小宮は少し黙り、テレビだよ、と言った。居酒屋で会うと、以前のように首を反らして笑わなくなっていた。

その日も小宮は深見の腹をからかい、それから、しばらく会わないかもしれない、と言った。引っ越すらしい。店の名前を書いた箸袋を折り、小さく潰し、また伸ばしていた。
「どこへ」
「まだ決まってない」
「決まってないのに引っ越すのか」
小宮は頷いた。事情を話したそうでいて、何を聞いても曖昧な返事をした。

帰りの路地で、深見は小宮の襟に黒いものがついているのを見た。抜けた髪が絡まったようだった。手を出すと、小宮に払いのけられた。その手がひどく強かった。
「取ってやろうとしただけだろ」
「分かってる」
小宮は自分の首に手を当てた。深見のほうを向けなかった。襟の内側で、小さな手が一度開いた。

二日後、小宮から電話が来た。
「一晩だけ、泊めてくれないか」
独りになって八年の深見の家には、客用の布団がなかった。そう言いかけて、やめた。小宮を困らせる側に自分がいることが、少し嬉しかった。
「来れば」
口にしたあとで、例のものが来るのではないかと思った。だが、もう小宮は何度も礼を言っていた。

九時ごろ、小宮が現れた。鞄も着替えも持っていなかった。玄関から何度も外を振り返り、深見が戸を閉めようとすると待ってくれと言った。路地には誰もいない。小宮は戸口で自分の靴を片方ずつ脱ぎ、その間も外を見ていた。

深見はソファに毛布を置いた。小宮は礼を言ったが、横にならなかった。二人でビールを飲み、テレビをつけた。小宮が深見の息子のことを聞いた。
「元気か」
「知らない。会ってない」
小宮は缶を膝へ下ろした。珍しく、返す言葉を探していた。
「お前はさ、昔から、言わなくても分かってるだろうって顔をするよな」
深見はリモコンで音を大きくした。

その夜、深見は自分の布団で眠った。眠りかけたころ、居間から声がした。小宮が電話をしているようだった。謝っていた。いい年の男が、泣き出す寸前の子供のような声で、もうしないと言っていた。深見は寝返りを打った。聞かなかったことにしてやろうと思った。

午前二時に、目が覚めた。居間で床を叩く音がしていた。
行ってみると、小宮がソファの前にしゃがんでいた。頭を低くし、両腕を床へつけている。土下座かと思ったが、手の甲を床へつけ、掌を上に向けていた。小宮は自分の身体を支えていなかった。何かに、手を広げて見せていた。

ソファの背に黒いものがいた。濡れた布を何重にも畳んだようで、裂け目のあるところだけが、薄い肌色をしていた。腕が二本、床へ垂れていた。一本の指先は小宮の耳に入り、もう一本は、彼の開いた掌を爪で掻いていた。
「やめろ」
深見が言うと、小宮が顔を上げた。
「こっちに言うな」

黒いものの中で、笑い声がした。小宮の笑い方だった。若いころ、深見の失敗を人前で話していたときの、息を吸う場所まで同じ笑いだった。小宮は口を閉じていた。指が耳から抜けると、耳たぶがゆっくり元の形に戻った。深見には、それが人の皮膚に見えなかった。長く引かれすぎた飴のようだった。

「味方なんだろ」
深見は言った。小宮は首を振った。
「あのころは」
「何で追い出さない」
返事はなかった。小宮は自分の手を見ていた。指の付け根に、爪で何度も押した半月の跡が並んでいた。黒いものの腕が彼の顔へ戻ったとき、深見は傍にあった毛布をかぶせた。

手応えがあった。柔らかいものに、毛布の重さがかかった。ソファの背からそれが落ち、座面で弾んだ。深見は毛布ごと押さえようとしたが、小宮がその手首をつかんだ。
「俺を見ろ」
小宮は必死だった。
「そいつじゃない。俺のほうを見てくれ」
毛布の下から、深見の手へ指が伸びてきた。昔、自分の肘を押さえた指だった。

深見は手を引かなかった。小宮を見たまま、ソファの肘掛けへ腰を下ろした。黒い指は手首へ巻きつき、それ以上動かなかった。冷たさが腕の内側へ広がった。小宮は一人だけ、戸口へ向かって後ずさった。深見は呼び止めた。
「お前、何しに来たんだ」
小宮は敷居を跨ぐ前に足を止めた。

小宮は敷居から戻り、ソファの前へしゃがんだ。黙って胸を押さえた。どこが痛いのか聞こうとした深見へ、痛くない、と先に言った。
「何でも、すぐ平気になるんだ」
何の話か分からなかった。小宮は自分の肩を撫でた。
「こいつが触ると、もういいやって思う。寝られる。飯も食える。嫌なことがあっても、それで済む」

子供のころ、深見の自転車を壊した夜にも、それは来たという。小宮は修理代をどうしようか考え、深見に何と言えばいいか考えていた。布団の端から腕が伸び、背中を何度か叩いた。楽になった。翌朝には、あいつも怒りすぎだと思えるようになっていた。
「大きくなってからも?」
小宮は頷いた。叱られたあと、失敗したあと、人を傷つけたと気づいたあと。何も言わずに触ってくれるものを、小宮はずっと待っていた。

深見は笑いそうになった。
「その話をすれば、俺が許すと思ったのか」
小宮の顔が歪んだ。黒い腕が毛布から出ようとした。小宮は片手を伸ばして、それを押し返した。
「もうちょっと待てよ」
深見へ言ったのではなかった。小宮は自分の胸に手を戻した。
「今、分かりそうなんだ。お前がどんな気持ちだったか」

深見は息子と最後に会った日のことを思い出した。謝れと言われて、何を謝ればいいのかと答えた。相手が黙ったので、もう話は済んだと思っていた。
あのころ小宮は、酒に誘ってくれた。深見が何も話さなくても、以前と同じ調子で接してくれた。救われたと思った。今ここで、それまで否定するのは嫌だった。

「俺はお前に、怒っててほしかったんだ」
小宮が言った。深見は顔を上げた。
「お前なら、怒ってくれるだろ」
また勝手なことを言っている。深見が立つと、手首に巻きついていた黒い指が、すぐに肘を押さえた。振り払えるくらいの力だった。けれど、その手を小宮に向けずにいられるか分からなかった。

「帰れ」
小宮は深見を見た。
「俺、帰ったほうがいいか」
深見はソファを蹴った。黒い腕が肩へ巻きつき、身体が肘掛けへ引き戻された。小宮は敷居を跨いだ。一度戻りかけて、やめた。そのまま玄関へ走った。

戸の閉まる音がした。深見は毛布の膨らみを見ていた。二本の腕だけがそこから出て、一本で深見の肩を抱き、もう一本で、その頬を撫でていた。
気持ちがよかった。
そう感じたことが悔しくて、深見は唇を噛んだ。指先が口へ来た。唇を上下にそっと開かれ、噛んでいたところへ、何度も触れられた。

深見は腕をつかんだ。爪のすぐ下までは硬かった。その先は、摘まめば簡単につぶれそうに薄かった。力を入れられなかった。黒い指が、子供だった深見の腕を押さえたときと同じ速さで、深見の掌を広げた。
毛布の中から、小さな笑い声がした。笑い終わりに鼻を鳴らすところが、小宮に似ていた。

明け方、玄関で名前を呼ばれた。小宮だった。深見は戸を開けなかった。居間から、大きな声で何の用だと答えた。
「まだいるか」
深見が黙っていると、小宮はもう一度呼んだ。
「俺、駄目だった」
戸の向こうで声が震えていた。深見は毛布を見た。膨らみは小さくなり、古い枕ほどの大きさになっていた。腕はもう出ていなかった。

戸を開けると、小宮は深見を押しのけて居間へ入った。ソファの前へ膝をつき、毛布を少しずつめくった。黒いものを見つけると、両手で拾い上げ、自分の胸へ押しつけた。
小さな腕が、耳のほうへ伸びた。
小宮は頭を傾けた。深見が止める間もなく、自分から耳を指へ寄せた。

その顔から、深見は目を逸らせなかった。目を閉じ、口を少し開けていた。泣きそうだった顔が、ゆっくり緩んでいった。小宮は深く息をついた。
「悪かったな」
軽い声だった。もう何も話すことがないように、黒いものを襟へ押し込んだ。深見の返事を待たず、玄関へ戻っていった。

引っ越したという連絡は、一度だけ来た。深見は返さなかった。電話がかかってきても出なかった。古い付き合いを断つのは難しいと思っていたが、数か月たつと、小宮を思い出さない日もできた。

ある夜、息子から電話が来た。知らない番号だったが、声ですぐ分かった。祖母の三回忌の日取りを伝えるためだった。深見は何度も相槌を打ち、近況を聞こうとして、言葉を選んだ。息子は一通り伝えると、ほかに用はないから、と言った。
深見は、分かった、と答えた。向こうから切られるまで、電話を耳に当てていた。

深見はソファに座った。謝る時間はあった。何を言えばいいか分からなかった、というのは、また同じ言い訳だった。膝の上へ両手を置いた。掌が上を向いているのに気づいて、握り込んだ。

一時間ほど、そのまま座っていた。誰かが肩へ触れてくれれば、今夜だけは眠れる気がした。顔を伏せると、唇にあったはずの痛みまで思い出した。小宮が頭を傾けたときの顔も。
深見は電話を取った。小宮が出るまで待ち、あれ、まだそっちにいるか、と聞いた。

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