帰りの飛行機では、いつも眠ることにしていた。
乗り継ぎの空港で何か食べ、歯を磨き、座ったら靴を脱ぐ。あと何時間で着くのかは、なるべく考えない。私の仕事は展示会の手伝いで、海外へ行ったところで、会場と宿の往復ばかりだった。
その時も四日間立ち続け、空港までの車の中で眠っていた。飛行機へ乗るころには、自分が何に返事をしているのか、ときどき分からなくなっていた。
通路側に座った。
窓際には年配の男がいた。間の席は空いていた。
男は、日本の人に見えた。薄い灰色の上着を着て、膝へ白い布の包みを載せていた。荷物はそれだけだった。
私が鞄を上の棚へ入れていると、そちらもお願いできますか、と頼まれた。
包みの方を見て、私は手を伸ばした。
柔らかい包みだった。
両手で持ち上げると、底が掌の間へ下がった。中に硬い部分があり、重さが片側へ偏っていた。
割れ物ですか、と聞くと、男は、少し、と答えた。
私は自分の鞄の奥へ押し込み、棚を閉めようとした。
男が、そこでは、と言いかけた。
乗務員が来た。
英語で何か言われ、私は荷物が多いのだと思って謝った。
男の包みを下ろしてくださいという意味らしかった。私は、今ここへ入れたもの、と確かめ、白い布を取り出した。
乗務員は受け取らず、隣の空席を指した。
私はそこへ置いた。
男は何度も礼を言った。
棚へ載せる時にどこかへぶつけてしまったのか、包みの端が少し湿っていた。
離陸してしばらくすると、飲み物が来た。
私は水をもらい、すぐに眠るつもりだったが、軽い食事も配られた。男は小さなパンの袋を指で摘まんでいた。
なかなか開かない。
私が、自分の爪も割れていてこういう袋は苦手だ、と話すと、男は顔を上げた。
「無理に引くと、駄目になりますよ」
そう言って、袋の縁を私へ見せた。
男は指の腹で、角から端までゆっくり撫でた。
それからごく小さな所を摘まんだ。
音もなく袋が開いた。力を入れたようには見えなかった。
私が感心すると、男は、普段からやっていますから、と言った。
何の仕事をしているのか聞いたが、返事はなかった。
空いた袋を丁寧に畳み、食事の盆の下へ入れた。
男の額に、窪んだ所があった。
右の生え際が少し低くなっていて、その下へ皮膚が引きつったような跡が走っていた。古い怪我だろうと思い、見ないようにした。
男は私の視線に気づいたらしかった。
右手を上げ、その窪みを指で押した。
痛そうではなかった。むしろ、ここに問題があるのだと、品物の傷を見せるように押した。
私は、さっき荷物を、と言いかけた。
「落とすと、こうなるんです」
男は小さく言った。
私はとっさに、すみません、と謝った。
包みを落とした覚えはなかった。ただ、棚の奥へ入れる時に少し乱暴に押したかもしれない。
男は首を振った。
私に説明しようとしているのか、私を叱っているのか、よく分からなかった。
食事が下げられ、機内の照明が暗くなった。
男は空いた真ん中の席へ、包みを置き直した。
その上へ薄い毛布をかけると、窓へ肩を寄せた。
私は目を閉じた。
最後に見た男の顔は、こちらを向いていた。何か言いたそうだったが、私はもう相槌を打つ余裕がなく、眠ったふりをした。
どれくらい眠ったのか分からない。
目を覚ました時、肩と首が痛かった。
頭が前へ落ちるたびに起き、また眠るのを繰り返していたらしい。機内は暗いままだった。周囲の客も大半が眠っていた。
隣の男はいなかった。
空席の毛布が、膝くらいの高さに盛り上がっていた。私はそれを見て、トイレへ行くなら今だと思った。
立ち上がった時、飛行機が小さく揺れた。
空席から白い包みが滑った。
私は咄嗟に手を伸ばしたが、間に合わなかった。
鈍い音がした。
固い物が床へ落ちた音だった。
私は自分の足を引っ込め、通路へ一歩出た。
布がほどけていた。
男の顔が、横向きに床へ置かれていた。
私はすぐには分からなかった。
倒れているのかと思った。窓際から空席を越えて、頭だけが私の足元まで来るはずはないのに、そうとしか思えなかった。
上着や腕を探した。
顔の下には布しかなかった。
目が開いた。
私を見た。
額の窪みが、さっきより深く見えた。頬は床へ押しつけられているのに、口元が少し動いていた。
私は声を出そうとしたが、息が喉へ引っかかった。
周りの人を起こさなければと思った。
だが、足元を指す手が出なかった。
通路の向こうから乗務員が来た。
私が立っているのを見て、座席の番号を確かめた。離陸前に包みを棚から下ろすよう言った人だった。
私は床を指した。
乗務員は驚かなかった。
しゃがみ、布の端をつまんだ。
私が見ていることに気づくと、先に手を洗ってきてください、と日本語で言った。
その意味が分からないまま、私は通路を歩いた。
トイレの前まで行くと、一人待っていた。普通の若い女の人だった。靴下のままで、眠そうに目を擦っていた。
私はその人に話しかけようとした。
でも、隣の客の頭が落ちた、と言っても分かってもらえない気がした。話しているうちに自分で何を言っているのか分からなくなりそうだった。
女の人が先に入ったあと、壁にもたれて待った。
手を見ると、指の間に白い糸がついていた。
包みを受け取った時のものだと思った。
洗面台で水を流すと、糸は指に貼りついた。私は強く擦った。爪の割れた所へ水がしみた。
赤いものはついていなかった。
そこを確認している自分が嫌だった。
席へ戻る途中、乗務員を呼び止めた。
さっきの人とは違った。
私は日本語で話しかけ、それが通じないと分かると、座席の方を指した。具合が悪い人がいる、と、知っている英語を並べた。
乗務員は私を席へ連れていった。
男は窓際へ座っていた。
顔も頭も、普通の位置にあった。
「この方ですか」
日本語のできる別の乗務員も来た。
私は頷いた。
男はこちらを見て、どうかしましたか、と尋ねた。
空席には白い布が畳んであった。
それだけだった。
私は、さっき床に、と言ったきり、続けられなくなった。
乗務員は男へ二言三言話し、私に、少しお休みになってくださいと勧めた。
席を変えられないかと頼むと、空いている所を確認します、と言われた。
私は座らずに待った。
男は何も言わなかった。
しばらくして、後方の通路側へ移れた。鞄を取る時、男に背中を向けるのが嫌で、私は片方の肩を下げたまま棚を開けた。
男が立ち上がった。
鞄を取ってくれるつもりらしかった。
私は自分でできます、と強く言った。男は伸ばした手を止めた。
その手の指先が、私の鞄の縁を一度だけ撫でた。
パンの袋を開けた時と、同じ動きだった。
私は鞄を胸へ抱き、すみませんと繰り返して離れた。
後ろの席で、私は着陸まで眠らなかった。
何度か、さっきの乗務員を探した。だが通路を歩く人の顔が、暗い所では同じように見えてしまう。
窓の外は明るくなっていた。
朝食を勧められたが断った。湯気の立つ飲み物を置かれるのも嫌だった。
揺れるたびに、あの鈍い音を思い出した。
着陸後、私は人が減るまで待った。
荷物を上げ下ろししている所へ近づきたくなかったし、窓際の男と前後に並ぶのも嫌だった。出口は前にある。あの席を通らずに降りることはできない。
乗務員が忘れ物を見て回り始めたので、ようやく鞄を持って立った。
男はまだ元の列にいた。白い布を丸めて持ち、通路の方を見ていた。
私が来ると、空席の背もたれへ手をかけ、少し身を引いた。
「さっきは、すみませんでした」
男はそう言った。
私は首を横に振った。
「持っていただいたのに」
何を持ったことを言われているのか、聞きたくなかった。私は、もう大丈夫ですから、と答え、男の前を通ろうとした。
男は右の額を指した。指が離れると、窪んだ皮膚は少しずつ元へ戻った。
「お返しに」
男が布を左手へ移した。
右手の掌が上を向いた。反射的に鞄の持ち手を差し出しかけて、私は止めた。
手は、もっと高い所へ来ていた。
私の顎の下で、親指がゆっくりと動いた。何かを摘まめる所を探していた。
私は肩を引き、通路の反対側の席へぶつかった。
男は手を止めた。
「持つだけですから」
私はいいです、と言った。
声が大きくなった。前にいた乗務員が振り向き、足元にお気をつけください、と言った。男にも、出口はこちらですと声をかけた。
私は鞄を引き寄せて歩いた。
後ろで靴音がしたが、振り返らなかった。乗務員に挨拶をされても、顔を上げられなかった。
飛行機と空港をつなぐ通路には、少し隙間風が入っていた。
そこで初めて、服が汗で濡れていることに気づいた。前を歩く客は携帯を見たり、荷物の持ち方を変えたりしていた。私は追いつかないように、少し間を空けた。
私は鞄を片手で持っていたが、もう片方の手でずっと顎を押さえていた。指を外しても、そこに何か触っているような気がして、また押さえた。


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