奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

伊与久沼公園、昼の動画の三十二秒

十二時の鐘が鳴ると、多田は倉庫の裏口から外に出る。

伊勢崎市の流通団地にある倉庫に勤めて、三年目になる。
仕事は検品と伝票の打ち込み。
昼休みは四十五分しかない。
社員食堂はなく、休憩室は喫煙組の男の声でいつも騒がしい。
女子更衣室で上着だけ替えて、裏口へ向かう。
三十四歳、独り暮らし。
昼だけは、ひとりで静けさを買いに行く。

白い軽で五分走ると、伊与久沼公園に着く。
日乃出町の交差点を曲がって、工場の塀に沿って南へ下る道だ。
境いよく野球場の脇に車を停める。
駐車場の南は、フェンス一枚で田んぼに接している。
駐車場の端に公衆トイレがあって、その横に水飲み場。
多目的トイレの扉は、ボタンを押すと横に開く。
ここで弁当を食べて、沼を一周して戻る。
四月から続けている習慣だ。

十月に入って、蓮の葉が茶色く縮れてきた。
水の上に、枯れた葉の匂いが薄く漂っている。
県道をトラックが通るたび、車体が小さく揺れる。
工業団地の方からは、フォークリフトの後退音が流れてくる。
ピー、ピー、と間延びした音。
それが昼の伊与久沼の音だ。
風のある日は、野球場のネットが鳴る。

沼のまわりには遊歩道がある。
一周して十五分ほど。
護岸は固めてあって、低い柵が水際に続いている。
柵の内側に降りる人はいない。
向こう岸に雷電神社の森が見える。
道の真ん中には弥八の柳が一本、立ったままだ。
車はそれを避けて通っていく。
多田はその柳の下で、いつも一度足を止める。
水面を見て、息を吐いて、また歩き出す。
それだけの昼だ。

東屋には、たいてい先客がいる。
青い作業着の男で、五十くらい。
胸の刺繍を見る限り、別の会社の人らしい。
缶コーヒーを持って、ベンチの端に座っている。
目が合えば会釈をする。
名前は知らない。
向こうも知らないはずだ。
話したことは一度もない。

その動画を見たのは、水曜の夜だった。

風呂上がりに、短い動画のアプリを開く。
おすすめの一番上に、見慣れた景色が出てきた。
「伊与久沼公園 昼 何も起きません」
投稿者の名前は、ただのひる。
再生回数は十万を超えていた。

五十秒の動画だった。
昼の光の中を、遊歩道を歩く速さで景色が流れていく。
枯れた蓮、柳、野球場のフェンス、駐車場。
撮っている人の足音と、トラックの音。
それだけで終わる。

何も起きないのに、なぜ十万回なのか。
コメント欄を開いた。
「三十二秒」
「音だけ聞いて」
「ピンポーンって鳴ってる」
「これ、昼間だよね」
「群馬の人、場所分かる?」

イヤホンを差して、三十二秒まで戻した。
柳の下で画面が止まり、水面が映る。
その瞬間、ピンポーン、と鳴った。

知っている音だ。
駐車場脇の公衆トイレ。
あそこの多目的トイレは、扉が開くときにこの音が出る。
多田も何度か使った。

柳とトイレは、沼を挟んで反対側になる。
それでもマイクは拾う。
小さな公園だし、水の上は音がよく通る。
そう考えれば、何でもない。

少し笑った。
自分の昼休みの場所が、十万回も見られている。
それだけのことだ。

アプリは、多田が毎日あそこにいるのを知っているのかもしれない。
位置情報は切ったつもりでいる。
設定の画面を開く前に、眠気が勝った。
アプリを閉じて、布団に潜る。

木曜の昼。
弁当を食べ終えて、いつもの一周に出た。
今日は耳を立てて歩いた。
自分の足音、砂利の音、トラック。
東屋の男が、こちらを見て会釈した。
多田も頭を下げた。
缶コーヒーの銘柄まで、今日は目に入る。

神社の森から、鳥が二羽飛び立った。
雷電神社の鳥居は、道からでも見える。
多田は一度も境内に入ったことがない。
入る用事がないからだ。

柳の下で足を止める。
水面に、枯れた蓮の茎が突き立っている。
風はほとんどない。
日差しが首の後ろに当たって、じわりと熱い。

ピンポーン。

水の向こうで鳴った。
首だけ回して、駐車場の方を見る。
公衆トイレの前から、青い作業着が歩き出すところだった。
男が使っただけ。
肩から力が抜けた。

届くんだ、と思う。
あの動画も、こうして拾っただけ。
それで済んだ。
その日は、それで済んだ。

その夜、また同じ投稿者の動画が出てきた。
「伊与久沼公園 昼 二本目」
投稿は昨日。
昨日は水曜。
多田が一本目を見た日だ。

同じ道、同じ速さ。
枯れた蓮、柳、フェンス、駐車場。
説明の欄に一行だけ書いてある。
「朝七時に撮影。誰もいません」

コメントを読んだ。
「三十二秒、またピンポーン」
「駐車場の白い軽、一本目にもいた」
「東屋に人いるけど」

指が止まった。
画面を戻して、駐車場のところで止める。
白い軽が一台。
野球場のフェンス寄り。
多田がいつも停める場所だ。

白い軽なんて、この辺りにいくらでもある。
会社の駐車場にも五台はいる。
そう思いながら、画面を二本の指で広げた。
フロントガラスに銀色の日よけ。
多田の車にも、銀色の日よけが入っている。
あれも、近くの量販店で山積みにされている品だ。

東屋の方へ画面を送る。
小さく、青い作業着の背中が見えた。
朝七時に、あの人がいるのか。
早番なら、いるかもしれない。
そういうことにした。

柳の影が短い。
幹のすぐ下に、丸く落ちている。
朝七時の柳を、多田は見たことがない。
見たことのないものとは、比べようがない。
もう一つ、引っかかることがある。
一本目と二本目で、足音の間隔が同じだった。
同じ人が歩いているのだから、当たり前だ。
当たり前のことを、わざわざ確かめている自分がいる。

画面を消して、布団に入った。
目を閉じても、しばらく喉が鳴っていた。

金曜の昼。
弁当を車の中で食べながら、東屋の方を見ていた。
青い作業着は、いつもの端に座っている。
缶コーヒーを傾けて、沼の方を向いたまま動かない。
今日は風があって、沼の面が細かく波立っていた。

食べ終えて、車を降りる。
一周の前に、東屋の前を通った。
初めて、声をかけてみる。

「朝も、来てます?」
男は缶を膝に置いた。
「朝? 昼しか来ねえよ」
「そうですか」
「昼休みだもん。あんたも毎日いるね」
「はい」

それだけ言って、歩き出した。
朝七時に、あの人はいない。
動画の説明と、本人の言葉が合わない。
誰かが間違えているだけだ。
投稿者か、男か。
背中に汗が出ていた。

柳の下では、足を止めなかった。
水面も見ずに、残りの道をいつもより速く抜ける。

一周の終わり近く、駐車場の南のフェンス際で足が止まった。
フェンスの向こうは、すぐ田んぼだ。
周りの田はもう刈り終えていて、切り株が並んでいる。
一枚だけ、黄色い稲が残っていた。
刈るのが遅れているのか、わざと残しているのか。
今まで気に留めたことがなかった。

その稲が、筋になって倒れていた。
農道の側から、こちらへ向かって。
一本の線になって、公園のフェンスで止まっている。
幅は人ひとり分。
風で倒れたなら、もっと広く寝るはずだ。
農道には、軽トラも人も見えない。
穂先が、フェンスの金網に触れていた。

誰かが歩いただけだ。
農家の人が、様子を見に入っただけ。
そう思って、線の先を目で追った。
金網のすぐ向こう側。
線は、フェンスを挟んで、多田の白い軽の真後ろで終わっていた。

足が勝手に速くなって、車に戻る。
鍵を回す手が、二度すべった。
倉庫に戻ったのは、十二時五十分。
課長に遅刻を言われた。
謝りながらも、手の冷たさが戻らない。

金曜の夜、三本目が上がった。
「伊与久沼公園 昼 三本目」
投稿は、今日。

今度は、画面が動かない。
柳の下で止まったまま、水面を映している。
足音がない。
トラックの音と、フォークリフトの後退音だけ。
水面の波立ちが、昼に見たものと同じだった。

三十二秒。
ピンポーン。
今までより、はるかに近い。
マイクのすぐ横で鳴ったような音量だった。

すぐあとに、息を吸う音が入る。
「はい」
女の声だった。
低くも高くもない、ただの返事。
玄関の呼び鈴に出るときの、あの声。

そこで画面が切り替わる。
今度は田んぼの中だ。
農道の側から、倒れた稲の筋を撮っている。
線の先に、フェンスと、白い軽。
画面がゆっくり下がる。
足元の稲が、まだ揺れている。
そこで終わった。

コメントは千を超えていた。
「撮ってるの誰」
「はいって言ったの誰」
「稲、通った跡じゃん」
「これ今日?」
「投稿時間、十二時三十五分」
「白い軽の人、見てたら逃げて」

多田は、動画をもう一度最初から再生した。
「はい」のところで止める。
三回聞いて、四回目は音量を上げた。
自分の声かどうか、分からない。
録音した自分の声は、いつも他人の声に聞こえる。
会社の留守電の声も、自分では分からなかった。
そう思うことにして、アプリを閉じた。

通知を切って、イヤホンは引き出しの奥だ。
車の音楽は、月曜からラジオにしようと決める。
携帯とカーステレオの接続も、その場で切った。

土曜も日曜も、公園には行かなかった。
行く理由がない。
昼休みがないのだから。
洗濯をして、実家に電話をして、それで終わった。
母の声を聞いている間だけ、肩が下りている。
日曜の夜、アプリから通知が来ないのを何度も確かめた。
切ったのは自分なのに。

月曜の十二時。
倉庫の裏口から出て、白い軽に乗った。
別の場所で食べることも考えた。
流通団地の近くに、車を停められる場所は少ない。
コンビニの駐車場は、三十分で追い出される。
ハンドルは、伊与久沼公園に向いていた。

野球場の脇に停める。
いつもの場所ではなく、二つ隣に入れた。
携帯は鞄の底に入れたままにした。
接続は切ってある。
カーステレオの画面は、黒いままだ。
ラジオは点けなかった。
点けるには、ステレオに触ることになる。

弁当を開いた。
卵焼きを一つ食べたところで、時計を見た。
十二時三十二分。

スピーカーから、音が出た。
ピンポーン。

一度だけ。
車の中で、四方から鳴った。
ステレオの画面は黒いまま。
電源の灯りも点いていない。
鞄の底で、携帯は動いていない。

窓は閉めてある。
外の音が、こんなふうに車内で鳴るはずがない。
それでも窓を開けた。
枯れた蓮の匂いが、ひと息で入ってくる。
東屋のベンチに、青い作業着が見える。
トイレの前には、誰もいない。
多目的トイレの扉は、閉まっている。

箸を置く。
弁当に蓋をして、助手席に置いた。
膝の上で、指が勝手に組まれている。

降りた。
一周はしないつもりだ。
田んぼだけ、見ておこうと思った。
見ないと、午後の仕事が手につかない。

南側のフェンスに沿って歩く。
稲の筋は、まだそこにあった。
三日前より、黄色が褪せている。
線の先に、空いた駐車枠。
そこは、多田がいつも停めていた場所だ。

芝生の上に、目を落とした。
フェンスの下をくぐるように、芝が一筋、寝ている。
倒れた稲と同じ幅。
その筋は、駐車場の縁石まで伸びている。
縁石の先は、空いた枠。
今日は二つ隣に停めている。

筋は、空いた枠の縁石で途切れていた。

多田は東屋へ歩く。
一周は、やめにした。
男がいる端とは反対の端に、腰を下ろした。
木のベンチは、日なたで温かい。
男との間は、三メートルほど。
缶コーヒーの甘い匂いが、風に乗って届く。
男がこちらを見て、何か言いかけてやめた。

水の向こうに、駐車場とトイレが見える。
ここからだと、全部が見える。
今までは、歩きながら背を向けていた。
座って、正面から見るのは初めてだ。

ピンポーン。

「はい」

声が出てから、自分の口だと気づいた。
男が缶コーヒーを持ったまま、こちらを見ている。
多田は、口を手で押さえない。
押さえる気が起きなかった。
動画の声と比べようとして、やめた。

記憶をたどる。
さっき車の中でも、言った気がする。
木曜の柳の下でも、小さく言っていたかもしれない。
数えると、これで三回目になる。
金曜の動画の分は、数えないことにした。

トイレの扉は、閉まったままだ。
誰も出てこない。
男が立ち上がって、缶を潰した。
帰るらしい。
多田は、動かない。

十二時四十分。
戻る時間だ。
立たなかった。
もう一回鳴るまで、ここにいると決めていた。
いつ決めたのかは、分からない。

舞台になった場所

群馬県伊勢崎市境伊与久の伊与久沼公園を現地写真で記録。沼の周囲や雷電神社との位置関係、「困窮沼」という名にまつわる話、水辺で語られる心霊の噂…

同じ地域の怪談

2026.05.28

心霊スポット怪談「第1話 赤い橋に、網が張られている」。YouTube撮影の依頼は、いつもみたいに軽かった。 「群馬の神流湖。琴平橋って赤い…

この地域の心霊スポット

群馬県の史跡に残る心霊スポット「城之内公園(小泉城)」。堀跡の水面と古墳の輪郭。公園名だけでは収まらない場所。怪談・都市伝説として語られる噂…

群馬県の社寺にまつわる心霊スポット「龍神宮」。広瀬川の河川敷に沈む小さな神社。浦島伝説と水辺の噂が同じ祠に集まる。現地の空気と、噂の出どころ…

群馬県高崎市鼻高町の心霊スポット「入の谷津橋」。寺沢川に架かる橋に残る水害慰霊と未解決事件の記憶、子どもの声や人影の噂を、敬意を優先して記録…

群馬県安中市簗瀬の簗瀬八幡平首塚を深夜に単独調査。古墳から約150体分の中世頭骨が見つかった安中市指定史跡。男性の霊・心霊写真の噂を、史料と…

群馬県の橋にまつわる心霊スポット「不通橋(とおらずばし)」。渡れる橋なのに、とおらずばし。名前の違和感が足元へ先回り。怪談・都市伝説として語…

コメント

タイトルとURLをコピーしました