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鎖塚の前では、時計を見ない

子どものころ、うちの車の時計には黒いテープが貼ってあった。

白いライトバンの、古いやつだ。
運転席の左、ラジオの上に、緑の数字が出る小さな時計がある。
その上を、ビニールテープが何重にもふさいでいる。
そこだけ、ダッシュボードの色も手触りも違っていた。
指でなでると、テープの段がいくつも分かる。

貼ったのは祖父だ。
もとは祖父の車で、年を取ってからは父が運転するようになった。
祖父は運転席の後ろに座り、そこがそのまま祖父の席になった。
「この車で、時計は見ねえんだ」
わけを聞いても、祖父はそれしか言わない。

祖父はテープの端を、いつも小さく三角に折った。
はがすときに、爪がかかるように。
納屋の鍬の柄も、玉ねぎのコンテナに付ける札も、みんなそうなっていた。
父は折らない。
「めんどくせえ」と言って、端をそのまま押しつけるだけだ。
だからうちのテープを見れば、誰が貼ったのかすぐに分かった。

うちは北見の端野で、玉ねぎを作っている。
秋になると、畑のあちこちに出荷用のコンテナが積まれる。
収穫機のコンベヤーが、畑から玉ねぎをすくい上げてコンテナへ落としていく。
九月の終わりの夜は、窓を閉めていても、甘いような土の匂いが家に入ってきた。

母の実家は網走の方にある。
月に二度ほど、土曜に顔を出して、夕飯を食べて帰ってくる。
帰りは、いつも夜だった。

その帰り道に、うちだけの決まりがあった。

網走から道道を走ってきて、国道に出る少し手前で、父は脇の旧道へ入る。
道道をそのまま行っても帰れるのに、うちは必ずこっちだ。
旧道はそこから上り坂になっていて、坂の上の方に鎖塚がある。
小さな電灯がひとつ点いていて、夜でもそこだけ明るい。
鎖塚があるのは緋牛内というところで、ひうしない、と読む。
その字を書けるようになったのは、ずっと後のことだ。

決まりは、こうだ。
旧道に入ったら、ラジオを消す。
室内灯をつけて、みんな顔を上げる。
寝ていても起きる。
車は、歩くくらいの速さに落とす。
塚の前で、「通らせてもらいます」と言う。
言うのは祖父だった。
国道の明かりが見えたら、室内灯を消して、あとは普通に帰る。

クラスの誰に聞いても、そんなことをする家はなかった。
祖父が誰からそれを教わったのか、私は聞いたことがない。

昼間に一度だけ、祖父に連れられて塚の前に立った。
まだ小学校に上がる前だ。
草の刈られたところに、土を盛った塚が三つ並んでいた。
石に字が彫ってあって、祖父が読んでくれた。
国道開削殉難者之墓。
意味は分からなかった。

観音さまと、お地蔵さんが六つ。
まわしてお祈りくださいと書いた札の付いた、輪廻車というものもある。
祖父は何にもさわらずに手を合わせて、長いこと頭を下げていた。
合わせた手の爪のあいだに、畑の土が黒く入っていた。
私も横で、同じように手を合わせる。

帰り道で、祖父が一度だけ言った。
「あそこの人らは、急がされたんだ」
それきり、その話はしなかった。

祖父は、私が小学三年の冬に死んだ。
それからは、父が祖父のかわりに「通らせてもらいます」を言っている。
運転席の後ろの席は、誰も座らないまま空いている。
母は、そこに荷物も置かない。
私はいつも、母の後ろの席だ。

祖父が死んでしばらくすると、時計のテープの端がめくれてきた。
父は、その上から一枚だけ貼り足す。
端は、折っていない。

あの秋、私は小学四年だった。
社会の時間に、端野の副読本で鎖塚のことを読んだ。
ずっと昔、車も重機もないころに、網走から北見峠まで道を通した話だ。
働かされたのは囚人で、逃げないように二人ずつ鎖でつながれていた。
百六十キロを、一年もかけずに通せと言われたそうだ。
亡くなった人は二百人を超えるといわれ、道のそばに埋められた。
墓のしるしに、鎖が置かれたという。

先生は、黒板に「突貫工事」と書いた。
私はそれをノートに写しながら、祖父の声を思い出す。
急がされたんだ、という、あの低い声。

最初の晩は、九月の終わりだった。

網走のばあちゃんの家で、ジンギスカンを食べた帰りだ。
母の膝には、もらったホッケの干物の袋がのっている。
道道の両側は、真っ暗な畑だった。
ところどころに、玉ねぎのコンテナが黒いかたまりになって積んである。
私は後ろの左側で、ドアにもたれて、いつの間にか眠っていた。

「起きれ。塚だ」
父の声で目が覚める。
室内灯がついていて、まぶしさに目をこすった。
母がラジオを消して、前を向いたまま座り直す。
ライトバンは、坂をゆっくり上っている。

道の左の草むらで、二つの目が緑に光った。
キタキツネだ。
座ったまま、こっちを見ている。
畑の多いこのあたりでは、よく見かける。

車が坂の半ばまで来たとき、後ろの窓が明るくなった。
振り向くと、黄色い灯りが二つ並んでいる。
ふつうの車のライトより、ずっと黄色い。
大きなトラックだと思った。
トラックにしては低い気もしたが、眠くて、それ以上は考えなかった。

父はルームミラーを見たが、速さは変えない。
歩くくらいの速さのまま、坂を上っていく。
後ろの灯りも、同じ速さでついてくる。
抜こうとはしない。
クラクションも鳴らさなかった。

電灯の下に、塚が見えてきた。
お地蔵さんの頭が、ライトの中で一つずつ白く浮かんでは、後ろへ流れていく。
眠いまま、私はそれを数えた。
六つ。
「通らせてもらいます」
父の声は、いつもより低かった。

坂を上りきると、国道の明かりが見えた。
父が室内灯を消す。
後ろを見ると、黄色い灯りはもうなかった。
「曲がったんだべ」
父はそう言って、国道へ出た。
坂の途中に曲がれる道があったか、寝ぼけた頭では思い出せない。
思い出せないまま、また眠ってしまった。

二回目は、十月の半ばだった。

その晩、私の頭は九時からのドラマのことでいっぱいだ。
クラスの半分が見ていて、月曜にはみんなその話をする。
網走を出るのが遅れて、私は後ろの席でずっと落ち着かなかった。
「間に合う?」
「分かんねえ」
父は前を見たまま言った。
この車には、見ていい時計がない。

旧道に入ると、父はいつものように速さを落とした。
室内灯がつく。
ラジオが消える。
私は前の座席のあいだに身を乗り出して、暗い坂をにらんだ。
歩くより遅いくらいに思える。
「もうちょっと速く行ってよ」
「急がねえ」
父の声は、ふだんと同じだった。
それが、よけいに腹立たしい。

キツネが、また道ばたにいた。
今度は車の少し前を、同じ方へ走っていく。
尻尾を低くして、坂の上の電灯の方へ。

後ろの窓が、黄色くなった。
この前と同じ、二つの灯りだ。
近い。
車の中まで明るくなって、私たちの影がダッシュボードに落ちた。
父の頭の影と、母の頭の影と、そのあいだの私の影。
三つの影が、テープを貼った時計のところで重なっている。

私は手を伸ばして、時計のテープの端に爪をかけた。
父の貼り足した端は、折っていないから、もう浮きかけている。
少しめくると、緑の数字の端がのぞいた。
八と、五と、もう一つ。
指先が、冷たい汗ですべる。
もう少しめくろうとしたとき、後ろの灯りがいっそう強くなった。

「戻せ」
父が言った。
大きな声ではない。
私はあわててテープを押さえたが、端はもうきちんとくっつかなかった。
「通らせてもらいます」
父は、いつもよりゆっくり言った。
窓の外を、塚の電灯が通り過ぎていく。

国道に出たとき、後ろには何もいなかった。
家の柱時計は、九時を十分過ぎていた。
ドラマは、もう始まっている。
私は父と口をきかないまま、テレビの前に座った。
テープの端は、浮いたままだ。
「あとで貼り直しとく」
父はそう言ったが、玉ねぎの片づけが続いて、そのままになった。

その夜、布団の中で考えた。
あのトラックは、うちの車が遅いから、いらいらしていたのだ。
抜かせてやればいいのに、と思う。
でも、あの坂で追い越すのは、たぶん無理だ。
だから、ついてくるしかなかったのだ。
そう考えると、少し楽になった。
灯りの後ろに、車の形を一度も見ていないことは、考えないようにする。

次の日の朝、父に聞いてみた。
「あの黄色いの、なんなの」
父は長靴をはきながら、少し黙る。
「トラックだべ」
それから、玄関の戸に手をかけたまま言った。
「じいちゃんに、ちゃんと聞いとけばよかったな」
父が祖父の話をするのは、めずらしい。

三回目は、十月の終わりだった。

朝から曇っていて、網走を出るころ、その年はじめての雪がちらついた。
行きの道道から見た畑は、コンテナももうほとんど運ばれて、黒い土ばかりになっていた。
父はひどい風邪で、声がほとんど出ない。
母が運転を代わろうかと言ったが、父は首を横に振った。
夜のあの坂を運転したことは、母にはない。

ワイパーが、ゆっくり雪をはらう。
父は何度も咳をして、そのたびにハンドルが少し揺れた。

道道を走っているあいだに、父がかすれた声で言った。
「今日は、お前が言え」
ルームミラーの中から、父の目が私を見ている。
母が何か言いかけて、やめた。
私はうなずいて、口の中で何度もくり返した。
通らせてもらいます。
通らせてもらいます。

旧道に入る。
室内灯がつく。
ラジオは、はじめからついていない。
雪がライトの中を、斜めに流れていく。
坂の途中に、キツネがいた。

キツネは、道の真ん中に座っていた。
ライトの中で、目が緑に光る。
父がブレーキを踏んで、ライトバンはキツネの手前で止まった。
キツネは動かない。
雪をかぶったまま、まっすぐこっちを見ている。
道が、もう白くなりかけていた。

後ろの窓が、黄色くなった。
母が前の座席のあいだから手を伸ばして、私の膝をつかんだ。
その指が冷たい。
父はハンドルを握ったまま、動かなかった。
前にはキツネがいて、後ろには灯りがある。
エンジンの音と、ワイパーの音だけがしている。

灯りは、止まらなかった。
少しずつ、こっちへ近づいてくる。
ぶつかる、と思った。
肩に力が入って、息ができない。
けれど灯りは、車のすぐ後ろで右へずれた。

灯りは、右の後ろの窓に来た。
運転席の後ろの、祖父の席の窓だ。
黄色い光が、誰も座っていないシートを照らして、ゆっくり前へ移っていく。
雪が、その光の中でだけ、横に流れていた。

灯りは二つ、並んでいる。
高さは、窓の下のふちくらい。
大人が手に提げて歩くくらいの高さだ。
灯りは、少しずつ揺れていた。
片方が揺れると、もう片方も同じだけ揺れる。
二つのあいだの幅は、いつまでも変わらない。
足音は聞こえなかった。
息の音も、何かがこすれる音もしない。

灯りが父の窓の横まで来たとき、父がこっちを振り向いた。
ミラー越しでなく、首を回して、まっすぐに。
私は口を開けた。
「通らせてもらいます」
思っていたより、大きな声が出た。

灯りは、止まらない。
同じ速さで、同じ幅のまま、坂を上っていく。
キツネが立ち上がって、その横を歩き出した。
灯りとキツネは、塚の電灯の方へ上っていった。
電灯の白い光に混じって、黄色がどこまでなのか分からなくなる。
気がついたときには、キツネもいなかった。

父が、かすれた声でつぶやく。
「先に、行ってもらった」
それから、ゆっくりアクセルを踏んだ。
歩くくらいの速さで、塚の前を通る。
盛り土が三つ、うっすら白くなっている。
お地蔵さんの頭にも、雪が少しのっていた。
私はもう一度、小さな声で言った。
通らせてもらいます。

国道の明かりが見えて、室内灯が消えた。
誰も、しばらく口をきかない。

家に着くと、母が私の頭に手をのせた。
「よく言えたね」
父は何も言わずに、咳をしながら寝室へ入っていく。

その夜、布団の中で理屈を考えた。
近所の人が二人、懐中電灯を提げて歩いていたのだ、と。
雪の晩に、あの坂を。
それなら、灯りを提げている手くらいは、照らされて見えたはずだ。
窓のすぐ外だったのだから。
けれど、手も腕も見えなかった。
灯りの後ろは、最後まで暗いままだった。

後ろから急かされていたのでは、なかったのかもしれない。
うちの車が、前をふさいでいただけで。
歩くくらいの速さで、ずっと。
そう思いかけて、やめた。
目をつぶっても、二つの灯りのあいだの幅だけが消えない。

次の朝は、よく晴れていた。

玉ねぎを掘り終えた畑の土に、雪がまだらに残っているだけだった。
父は熱を出して、まだ寝ている。
母は玉ねぎの味噌汁を作っていて、台所はだしの匂いがする。
テレビでは、今日は暖かくなると言っていた。
いつもの日曜の朝だった。

手袋を車に忘れたのを思い出して、外に出る。
ライトバンは、納屋の前に停めてある。
後ろのドアを開けて、座席から手袋を拾う。
顔を上げたとき、ダッシュボードが目に入った。

時計のテープが、新しくなっていた。
ゆうべまでめくれていた端が、どこにもない。
黒いテープがきれいに貼り直されて、緑の数字はひとつも見えない。
端が、小さく三角に折ってあった。

台所に戻って、母に聞いた。
「テープ、貼り直した?」
母は鍋をかき回しながら、首を横に振る。
「お父さん、ゆうべから一回も起きてないよ」
それに父は、端を折らない人だ。

昼すぎに、父が起きてきた。
車のことを話すと、父は長靴をつっかけて外へ出た。
私も後ろからついていく。
父は運転席のドアを開けて、しばらく時計のところを見ていた。
三角に折れた端に指を伸ばしかけて、やめる。
「そうか」
それだけ言って、父はドアを閉めた。

家の中は、何も変わらない。
母は昼にも玉ねぎを刻んで、父は咳をしながら新聞を広げた。
私は、来週のドラマのことばかり考えている。

前と違うのは、ダッシュボードの、あの小さな三角だけだった。
あの車を手放すまで、その三角を、誰もめくらなかった。

舞台になった場所

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