高校のころ、学校に裏の掲示板があった。
正式なものではない。
誰かが勝手に立てた、学校名を少し崩した名前の掲示板で、先生は知らないことになっていた。
書き込むのはほとんどが同じ学年で、名前は誰も出さない。
それでも、文の癖で、誰が書いたかはだいたい分かった。
私は八日市場の高校に通っていた。
匝瑳の、田んぼの中に線路が通っているような町だ。
町の名前を言っても、東京の人間には通じない。
通じないので、千葉の東の方、と言うことにしている。
海は見えず、山もない。
あるのは田んぼと、線路と、駅の周りの少しの店だった。
家は市内で、自転車で二十分。
帰りは達也と一緒に、線路沿いを走って帰った。
達也は中学からの友だちで、家が隣の集落だった。
字が右に倒れる癖があって、掲示板の書き込みでも、達也のはすぐ分かった。
倒れた字を打つわけではないのに、文の切り方が、字と同じに倒れていた。
落書きマンションの話が掲示板に出たのは、二年の秋だった。
書いたのは達也ではない。
もっと字の荒い誰かだった。
八日市場の外れに、三階建ての廃マンションがある。
窓は全部抜けていて、壁一面に赤と青のスプレーで落書きがある。
夜に行くと、三階の角の部屋から、子どもの泣き声がする。
そういう書き込みだった。
地元の人間なら、建物のことは知っている。
通学路から少し外れた所に、確かにそれはあった。
田んぼの中に、タイル張りの古い建物が一つだけ立っている。
昼に見れば、ただの廃墟だった。
落書きも、近所の中学生がやったと聞いていた。
夕方に通ると、抜けた窓を風が通って、笛のような音を立てる。
建物の中を風が通る音だと、達也が言っていた。
私はその音を、帰り道で何度も聞いている。
音は、風の無い日にもしていた。
掲示板の書き込みに、返事が付いた。
行った、という返事だった。
泣き声は聞いていない。
その代わり、壁の落書きの中に、同じ字が何度もあった。
ひらがなで三文字。
おりて。
それが、壁のあちこちに書いてある。
写真が貼ってあった。
暗い中でフラッシュを焚いた写真で、タイルの壁に、太い赤の字で、おりて、と書いてあった。
私は、その写真を見て、少し引っかかった。
落書きの字は、ほかの字と比べて、筆が揃いすぎていた。
スプレーの字は、普通、流れる。
その三文字だけ、全部同じ大きさで、同じ太さだった。
達也に言うと、達也は笑った。
「誰かが型を作って吹いたんだろ」
そういうことにした。
それから、掲示板の書き込みが増えた。
行った、という報告が、週に一つか二つ。
行った人間は、みんな同じ三文字を見ている。
おりて。
そして、返事がおかしかった。
書き込みに返事が付く時、返事の方が先に書いてあることがあった。
時刻の表示で、返事が書き込みの二分前になっている。
二十三時四十三分に、今から行く、と誰かが書く。
その返事が、二十三時四十一分に、気をつけて、と付いている。
返事を書いたのが誰か、文の癖で分からなかった。
学年の誰の癖でもなかった。
掲示板の時計が狂っているのだと、誰かが書いた。
狂っているにしては、ずれるのはその三文字に関する書き込みだけだった。
達也が、行くと言い出したのは、十一月の終わりだった。
「写真撮るだけ。中には入らない」
理由は、聞かなくても分かった。
掲示板で、行った人間の写真に、いちばん返事が付く。
達也は、行った人間の写真に、同じクラスの女子が普通の返事を書いているのを知っていた。
名前は出ないが、文の癖で分かる。
達也はその子に、自分の写真を見てほしかった。
私は行かなかった。
怖かったからではない、と当時は言っていた。
夜に自転車で出るのを、親が許さなかった。
本当はその両方だったと、今なら思う。
行くと言った日の夜、達也から電話が来た。
うちの電話に、達也の古い携帯の番号が出ていた。
私は二階の子機で取った。
電波が悪くて、声が途切れた。
「着いた。暗い」
写真撮った、と達也は言った。
壁の字、おりて、ってやつ。
あった。
でも、一か所、違う。
「おりて、じゃなくて、おりろ、って書いてある」
新しい字、と達也は言った。
赤が、まだ濡れてる。
私は、帰れ、と言った。
達也は、分かってる、と言った。
その時、電話の向こうで、達也の声の後ろに、もう一つ声がした。
達也の声と同じことを、半拍遅れて、低い声が言っていた。
わかってる。
達也には聞こえていないようだった。
私は、後ろに誰かいるのか、と聞いた。
達也は、誰もいない、と答えた。
その言葉も、半拍遅れて、低い声で返ってきた。
だれもいない。
それから、笑い声がした。
達也の声ではない。
男の声で、短く、一度だけ。
電波の雑音の中から、そこだけはっきり聞こえた。
電話は、そこで切れた。
かけ直したが、つながらなかった。
受話器を置いてから、自分の手が冷えているのに気づいた。
母が下から、誰から、と聞いた。
達也、とだけ答えた。
私は親に言えず、自分の部屋で、掲示板を見ていた。
二十三時を過ぎて、新しい書き込みが付いた。
達也の文の癖だった。
帰った。何もなかった。字は、おりて、だった。
おりろ、ではなかった。
私は、電話で聞いた言葉を、そのまま返事に書いた。
おりろ、って言ってたよね。
返事は付かなかった。
次の日、達也は学校に来た。
普通だった。
弁当を食べて、授業中は机に伏せていた。
その日、学校で、別のことがあった。
朝、屋上へ上がる階段の扉に、赤いスプレーで三文字が書いてあった。
おりて。
一時間目の前に、先生が灰色のペンキで塗り潰した。
塗り潰しても、乾くまでは、下の赤が透けていた。
掲示板には、昼休みのうちに写真が上がった。
誰がやった、と書き込みが続いた。
達也の名前は出なかった。
それでも、みんな達也の方を見た。
達也は、見られていることに気づいていない顔で、机に伏せて寝ていた。
掃除の時間に、私は屋上の階段の下を担当した。
塗り潰した扉の向こうから、音がした。
子どもが泣いている声だった。
小さい子で、言葉にならずに、ただ泣いている。
屋上に子どもがいるはずがない。
扉には鍵が掛かっている。
私は箒を持ったまま、しばらく立っていた。
一緒に掃除をしていた別のクラスの女子が、どうしたの、と聞いた。
聞こえるか、と私が聞く前に、その子が言った。
「何も聞こえないけど」
声は、その子が言い終わると同時に止んだ。
帰り道、線路沿いで、私は達也に電話のことを聞いた。
達也は、電話はかけていない、と言った。
携帯は、あの夜、電池が切れていたと言う。
掲示板に書いたのは自分だ、と達也は言った。
字は、おりて、だった、と。
私は、それ以上聞かなかった。
聞けば、達也が何かを思い出す気がした。
思い出さない方がいいものを。
達也の自転車の籠に、紙が入っていた。
コピー用紙を四つに折ったもので、達也が開くと、赤いスプレーで、三文字あった。
おりろ。
達也は、それを田んぼの脇の用水に捨てた。
捨てる時、達也の手が震えていた。
紙は水に浮いて、流れていかなかった。
用水は流れているのに、紙だけがその場で回っていた。
私たちは、それを見ないで自転車に乗った。
その翌朝、同じ場所を通ると、紙は無かった。
達也の籠には、また一枚、入っていた。
達也は今度は捨てずに、鞄にしまった。
何も言わなかった。
覚えていないことだけを、達也は知っている顔だった。
その冬、達也は転校した。
父親の仕事で、県外へ移ると言った。
急な話で、送別会もなかった。
掲示板には、達也が最後に書いた、帰った、何もなかった、字はおりてだった、の書き込みが残った。
それから、落書きマンションの話を書く人間はいなくなった。
行った、という報告も、途絶えた。
返事を書いていた女子は、三学期に学校を休みがちになった。
理由は知らない。
掲示板で聞く人間もいなかった。
書き込み自体が減って、春には掲示板そのものが消えた。
東京へ出る前の春、一度だけ、昼に一人で行った。
自転車を道に停めて、田んぼ越しに建物を見た。
窓は全部抜けていた。
壁の落書きは、二度の冬を越して、色が薄くなっていた。
その中で、三文字だけが、赤かった。
塗ったばかりのように赤く、太さも大きさも揃っている。
おりろ、は、どこにも無かった。
入口は板で塞がれていて、板には釘が打ってあった。
誰かが入った跡はなかった。
私は写真を撮らずに、帰った。
帰る時、風の音がした。
建物の中を抜ける、笛のような音。
その日は、風がなかった。
掲示板はもう無かった。
見せる相手もいなかった。
私は大学で東京に出て、そのまま就職した。
匝瑳には、年に二回帰る。
帰るたびに、あの建物の前を車で通る。
今も建っている。
窓枠まで落ちて、落書きは色が褪せて、何が書いてあるか読めない。
読めないのに、おりて、の三文字がどこにあるか、私には分かる。
車を停めたことはない。
会社で、私は書類を扱う仕事をしている。
一昨年の春、同僚に言われた。
「それ、何のメモ」
同僚は書類の束を持って、私の机の前に立っていた。
付箋だった。
私が書いた付箋が、書類の束に貼ってある。
赤いペンで、三文字。
おりて。
書いた覚えはなかった。
字は私の字だった。
少し右に倒れた字。
私の字は、高校のころは、まっすぐだった。
倒れ始めたのがいつからか、思い出せない。
それから気をつけて見るようになった。
会議のメモの隅。
手帳の月の終わりのページ。
買い物のメモの裏。
どれにも、赤で、三文字がある。
全部、私の字だ。
いつ書いたのか、思い出せたことは一度もない。
赤いペンは、持ち歩いていない。
机の引き出しには、黒しか入れていない。
上司に一度、注意された。
書類に関係のないメモを貼らないように、と。
私は謝って、付箋を剥がした。
剥がした付箋を、上司が自分の手帳に挟んだのを、私は見た。
なぜそうしたのか、上司に聞けなかった。
上司はその週、休みを取って、理由を言わなかった。
去年の秋、匝瑳に帰った時、母に聞いてみた。
達也の家は、まだあるのか。
母は、とっくに空き家だよ、と言った。
あの子、転校したんじゃなかったっけ。
私は、そうだよ、と答えた。
転校先の住所は、聞いていない。
年賀状も来なかった。
母は、お茶を淹れながら、何でもないことのように続けた。
「転校の前の日ね、あんたの部屋の窓の下に、ずっと立ってたよ。あんたは寝てたけど。声を掛けようと思って外に出たら、もういなかった」
私はそれを、初めて聞いた。
窓の下、と母は言った。
うちは二階建てで、私の部屋は二階だった。
今朝、出がけに、玄関の鏡に付箋が貼ってあるのを見つけた。
鏡の、ちょうど私の顔の高さに。
赤い字で、三文字。
おりろ。
て、ではなく、ろ。
私の字で。
私は付箋を剥がして、財布に入れた。
捨てる気にはなれなかった。
財布に入れた付箋は、駅に着いて見たら、無かった。
財布の中には、何も増えていなかった。
職場に着いて、引き出しを開けた。
黒いペンの横に、赤いペンが一本、入っていた。
私の物ではない。
キャップを外すと、先が乾いていた。
乾いているのに、手に赤が付いた。
私はそれを、黒いペンの横に戻した。
戻してから、自分の手が、赤いペンの方をもう一度取ろうとしているのに気づいて、引き出しを閉めた。
閉めた引き出しの中で、ペンが一本、転がる音がした。
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